2013/10/02

■釘と月光

あるとき、ふと思いついた、というか、ふと感ずるものがあったのだろうか。木枯さんは、月光と釘の取り合わせに。

月光がくる釘箱をたづさへて  八田木枯(『夜さり』2004年9月)

月光が釘ざらざらと吐き出しぬ  同(『鏡騒』2010年10月)

6年間の時間を隔てた句集に収められたこの2句のほかにも、、未発表の《月光+釘》句はいくつか存在した。というのは、ある句会の席で、、月と釘でつくろうとするのだが、なかなかうまく行かない、といったことを(もちろんのこと関西弁で)おっしゃっていたからです。『世さり』に収録した「釘箱」の句でこのネタを終わりにせず、繰り返しトライしていたということで、その成果が『鏡騒』の「吐き出し」句なのか、この句はまだ途中経過だったのか。

いずれにせよ執念ですね。

短い期間、かつ浅く、でしたが、木枯さんと会話を交わす機会を得て、ひとつ、思ったことは、俳句は、「もう詠み尽くされている」と「まだ詠まれていないことがあるはずだ」のせめぎあいを、内に抱えた人だったということ。

鉱脈と言い換えれば、「もう掘り尽くされている」と「まだ何か出てくる」のせめぎあい。

《釘と月光》は、木枯さんが掘り当てた鉱脈、あるいは鉱脈の予感だった。だから、ひつこく掘り尽くそうとされたたのだと思います。

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