2009/11/30

忌日観・俳句観

週刊俳句のスピンオフ・サイト「毎日が忌日」。一週間に一度いろいろな方が担当する「選」の記事。執筆者それぞれの忌日観、俳句観が出ていて、おもしろいです。

くにたち句会、無事終了

あっしは20句弱、捻る。

 炬燵にて岩下志麻な日曜日

 びつしりと若尾文子な霜柱

ほか。

(人名俳句以外もつくりました。当然ながらほかの方はもっとりっぱな俳句をたくさん作られていらっしゃいました)

世界が岩下志摩と若尾文子で作られていたとしたら、ほかに何もいらない。

あ、句会後はてっちりを美味しくいただきました。雑炊の最後の一粒一滴まで。

2009/11/28

猫が…

スティーヴ・ミラー「ジョーカー」のカヴァー。猫が、まあ、なんというか…



…かわいい。

ところで、この「ジョーカー」という曲、あらためて、いい曲だなあ、と。スティーヴ・ミラー・バンドは、この少しあとの「フライ・ライク・アン・イーグル」の入ったアルバムをよく聞いていた。知名度や人気、やってる音楽が「いい意味で中途半端」(なんだ、それ?)。これから老後に向かって安心して部屋に流しておける音ざんす。

せっかくなのでオリジナル版。

2009/11/22

11月くにたち句会のお知らせ

11月29日(日) 14:00 JR国立駅南口
句会場:キャットフィッシュ ※句会場に直接でも結構です。

題詠(10題程度)ののち選・合評。お時間のある方は飲み食いも。

携帯電話etc連絡先はページ左・profile に。

おきギ・第3回 B.B.キング

一音聞いただけで、その人とわかるギタリストは、B.B.キングのほかに思い浮かばない。

弦を押さえる指は、きほん、(第一関節から先が)立っていなければいけないと言われるのだが、B.B.キングのぶっとい指はべたっと寝ているように見える。指の力がよほど強くないとできない技。

もちろんのこと歌唱も、めっぽう、よござんす。


↓スボンをたくし上げるところが、キュート。



おきギ=お気に入りギタリストの略

2009/11/19

準備

アンヴィルを観るなら、スパイナル・タップ(1984年)を観ておかなくちゃ、という意見が多いので、ツタヤ・ディスカスで借りた。

ヘヴィメタは、まったく聴いたことがないが、この映画は観たい。

2009/11/17

死語と皆の衆パターン

句友で漫画家のかまちよしろうさんの句が話題にのぼったものの、全部が思い出せない。何人かで必死に思い出そうとしたが、結局ダメだったことがあった。

  ××××はもう死語ですか皆の衆

この「××××」が思い出せない。俳句ではあるが、季語ではなかった(有季? あはは、糞くらえ!)。

思い出せないなら、適当に何かを入れてしまえばいいわけで、ウラハイの記事を読んでいたら、ちょうど「ノリノリ」という語が出てきた。

  ノリノリはもう死語ですか皆の衆

そのまんまだけれど、まあ、いい。

元の句が名句選に入ることがなくとも、「もう死語ですか皆の衆」パターンは長く残るだろう(私個人のなかで)。

2009/11/16

北九州



青山真治監督の北九州サーガ、『Helpless』『EUREKA』『サッド ヴァケイション』、最近になってまとめて観る。どれも良。きわめて良。

2009/11/15

銀色の裏地


  コピー機のひかり滑りぬ冬の雲  中嶋憲武

冬の雲に、その裏にある太陽光が美しく映えることがある。なめらかにすべるように。

Every cloud has a silver lining. 

裏側は見えないけれど、冬雲の縁(ふち)が、裏側から洩れた光でまぶしく輝くことがある。

この人の句の哀しさと可笑しさ(どちらもなにげない)は、雲の裏側の明るさ、なんだなあ、と思う。


掲句は週刊俳句・落選展2009出展作品「昧爽」より。「住処」と併せ、この100句、いいです。昨年の50句よりも色合いが沈潜して洗練を増した気がします。

2009/11/14

30年

すごい。まだやってたんだ!

ジェームズ・チャンス、55歳のパンク↓↓↓




当時↓↓↓ およそ30年前

2009/11/13

新参に厳しく内輪に甘い

月評担当の中堅俳人先生たちも相手が句歴が浅いと見るやたちまち上から見下ろすように「まだ俳句の体になっていないのが惜しまれる」なんてことを言うていますが、(…)
俳人劣化のなげき:かわうそ亭のコメント欄
≫http://kawausotei.cocolog-nifty.com/easy/2009/11/post-7511.html
月評に限らず、「中堅」に限らず、「先生」に限らず、よく目にします。

新参に厳しい。これはいいのです。しかしながら「俳壇」とやらの内部、内輪には、甘い。ハードルの高さがぜんぜん違う。全部が全部というのではないのですが、その傾向が顕著。これは昔からよく言われていることです。

「俳壇」の成員にはパーティやらで顔を合わすことがあるが、新参者にソレはない、といったアタマがあって、大きな差になるのでしょうか。あるいは、包装紙ですでに予見が与えられてしまうのでしょうか。

個人として見れば、そんなに尊大な人ばかり、厚顔な人ばかり、通俗ばかりではないと思うのですが、なんでこうなっちゃうんでしょうね。「俳句を語る」という機会や場に、歴史的に醸成された空気があるのかもしれません。どのように?かは、また考えてみることにします(「選」や「評価」から始まり、そこから抜けられないとか、いろいろ)。

いずれにせよ、批評が不在のまま、評価、それも狭量でナマクラな評価が蔓延しやすいところです。俳句世間というのは。

1980年代半ばの東京

http://www.youtube.com/watch?v=4efWMjC2LNE

外国人が撮ると、見慣れた風景がエキゾチックに映る。不思議な作用だ。

2009/11/11

最近のこと、ふたつ

むかしは「祗園」の「祗」がワープロ(PC)で出なくて、「祇園」とするしかなかったのに、いつのまに? 世の中は進歩しているんですね。

「足カバー」とあったので、「そくりょく・バー」って、どんなバーだ?と。…落ち着いて読んだら、「あし・カバー」だった。

で、こうしたこととは無関係に、「ホテル・ソング」(映像は、ルームメートなんでしょう、女の子ふたりの静止画アニメーション)。いい曲。



気持ちのいいこと、楽しいことを探して暮らすのがいいです。あたりまえだけれど。



ついでにレジーナ・スペクターをもうひとつ。

2009/11/10

おきギ・第2回 エイモス・ギャレット

第2弾はエイモス・ギャレットです。ブラックっぽいのを続けると、路線が決まってしまいそうなので、初回のデヴィッド・T・ウォーカーから、うんと離れたところへ。

「幼少の頃から酒と音楽に親しみ…」といったプロフィール(biography)をむかしどこかで読んだような聞いたような。

子どものときクラリネットを手にしたのが音楽との関わりのスタート、といった記述も、どこかで読んだような聞いたような。もし、そうなら、独特のフレーズ(他のギタリストでは聞けないような)の理由がわかる気もする。などと、むかし友人としゃべった気がする。

観客、もんのすごく少ない↓


ポールバターフィールドのベターデイズというバンドでの演奏を評価する人が多いでしょうし、ジェフ・マルダー、マリア・マルダーのアルバムでの演奏が好きな人も多いでしょう(私も、そう)。




露結さんとこで、いか爺(いかしてる爺さんの略)が始まりました。
http://yamadarockets.blog81.fc2.com/blog-entry-259.html

「いか婆」もやってほしいです。

2009/11/09

無聊

畳が広い。自分がちっちゃくちっちゃくなっていく。

秋は、こんな感じですね↓
http://kachinas.exblog.jp/12204601/

河童の三平。貸本版というところに、強烈なこだわりが。

消息:いわゆる一句鑑賞

週刊俳句・第133号〔週俳10月の俳句を読む〕にちょこっと書いています。
http://weekly-haiku.blogspot.com/2009/11/10_4199.html
上田信治さんがタイトルを付けてくださいましたが、遠慮があったのでしょうか、もっとヘンテコなので良かったのに(「かなしみのハマグリ」とか「悪漢カウチポテト」とかw)。

落選展は、目次の下のほうから4つ、コメントを付けました。
http://weekly-haiku.blogspot.com/2009/11/2009.html

いわゆる「一句観賞」(ぜんぜん鑑賞じゃないけど)が続きました。

2009/11/08

ナイスでございます

この概要は表示できません。投稿を閲覧するには ここをクリック してください。

2009/11/07

チェ・ゲバラ

Tシャツを干せばはためくゲバラの忌  露結  サイト「毎日が忌日」より
チェ・ゲバラの忌日は10月9日。革命の英雄も日本ではもっぱらTシャツの柄。それをとやかく(例えば苦々しく)言うのではない。ゲリラ戦も共産革命も日本からは、はるかなイメージしかない。いま、ここでゲバラ忌を詠むとしたら、これしかない、と思う。私も「ゲバラ忌」で俳句をつくったことがあるが、それとは比べものにならないくらい、この句は、いいですね。

イコンとしてのゲバラはTシャツばかりではないようで、ホテルの喫煙具売場で、ゲバラ柄の灰皿を見つけた。値段を見ると、2万円だか3万円だか。ひゃっ、高い。いくらダビドフ製とはいえ、なんの変哲もない白くて四角い灰皿にゲバラの顔が描いてあるだけなのに。

 

そういえば、だいぶ前の日曜日はNHK-BSで「俳句日和」という生放送をやっていたそうな。たくさんの応募俳句から賞が決まるという趣向で、結果は番組ホームページにあります。

 大賞 広場から革命生まる星月夜  神奈川県・寺田篤弘さん
 
選ばれた過程は観ていないのでもちろん知らないのですが、この手のファンタジーを「良い」と思うセンスは、いったい、社会や歴史とどのような距離感を持てば生まれるのだろうか? と、不思議です。

広場って、どこの広場だ?w

例えば、この句をキューバかどこかでの海外詠と解するにしても(つまり「世界遺産観光」の一句)、また、いいとか悪いとかの話ではなく、さらにまた、俳句とかそういう分野の事情を超えて、ただ単に、たいへん不思議。

 

ソダーバーグ監督の「チェ 28歳の革命」「チェ 39歳別れの手紙」は地味な良さを持った映画と思った。無用なドラマをつくらないことで、陳腐化を避けたと見た。

「革命」という語、それから「チェ・ゲバラ」といった固有名詞が、どうしたら陳腐化を免れるのか。そこは困難だが、かなり大事。

というか布団って…

http://weekly-haiku.blogspot.com/2009/10/2009_788.html?showComment=1257478583529#c6009896753116366651
…貧乏くさいほど、俳句になるんですよね。

  蒲団屋の命の果てのやうな柄 山口東人

2009/11/06

おきギ・第1回 デヴィッド・T・ウォーカー

突然ですが、お気に入りギタリスト・シリーズです(略して「おきギ」。
古い人ばかりになります。 順序はランクとは違います。

最初は、David T Walker ざんす。



男は、禿げてからが勝負ですね。


おすすめアルバムは断然「Press On」。

小唄のような 小川春休『銀の泡』

炬燵欲し炬燵欲しとて自転車漕ぐ  小川春休
小川春休句集『銀の泡』(タカトープリントメディア・2009年10月1日)には、小唄のような気持ちのいい句がたくさん。

俳句というのは、どうしたって交響曲にはなりえないのですが、うまくすれば、泥臭いブルースだったり、きれいなバラードだったり、バッハっぽかったり、あるいはテンションいっぱいの現代音楽だったりもするわけです。

(演歌だったり大漁節だったりもしますが、そういう句集は、個人的にはあまり読みたくありません)

音楽の好みからしても、私は、小唄が好きで(声を張り上げるのはあまり、ね)、例えば、初期ライ・クーダー。古い小唄を軽い調子でリラックスして唄う。生成りのようなピュアなところもあって、少し泣かせて、きほん微笑んでしまう。『銀の泡』は、そんな小唄の感じ。

以下、「おひねり 十一月」の章から気ままに。
新藁の山の崩れて降りつづく

茸狩の人やリムジンのぞき込み

澄む水をかためてさしみこんにやくよ

焼き上がる鯛焼のみなこちら向き

天井の隅つこの暮早きこと

靴底に枯野の小石はさまりぬ
「新藁」の句は、子規「あたたかな雨が降るなり枯葎」を思い出しますね。

2009/11/05

レヴィ=ストロースの死

10月30日に死んだそうだ。「まだ生きていたのか?」が正直な感想だが、100歳(!)。

11月1日、句会後の与太話のなかに、なぜかレヴィ=ストロースの話も出てきた(訃報はまだ知らなかったはずなのに)。どんな話題かといえば、『悲しき熱帯』の話。とりわけ上巻は極上の旅行文学。人類学(民族学)に興味のない人でも興奮しながら読める(川田順造訳・中公版がよい。講談社版「悲しき南回帰線』は翻訳が異様というか拙くて読んでいられない)。

最初にレヴィ=ストロースを読んだのは、ジョルジュ・シャルボニエ『レヴィ=ストロースとの対話』(みすず書房1970)。著作ではなくインタビュー本というところが変則。まだ20代前半(ニュー・アカデミズム流行時代のさなか、だったような)で、その手の素養も思考スタイルも身についていない私にも平易でわかりやすく、魅力的な語り口だった(翻訳だけど「語り口」を確かに感じたのだ)。

その本の内容でいまでも印象的に憶えているのは、現代西欧社会を蒸気機関に、いわゆる「未開」社会を精緻な時計に譬えて対照させた箇所。大袈裟にいえば、「相対化」ということが「常に為されるべき作業・一過程」として自分の中にしっかりと据え付けられた瞬間だったように思う。

(いま『レヴィ=ストロースとの対話』を調べてみると、翻訳がなんと多田 智満子(!)。他著作のほとんどは人類学者によるものだから、多田 智満子訳レヴィ=ストロースはおそらく唯一。そのときは知らずに読んでいたが、最初の出会いに多田 智満子訳で読めたとは、なんという幸せだろう)

その後、翻訳ばかり相当数を読んだが、大部の「神話論理」シリーズ翻訳刊行が始まるはるか以前に、自分の読書領域からは外れた。



大理論(グランド・セオリー)に向かうレヴィ=ストロースの仕事は、民族誌的事実からの反証を「例外」と片づけがちで、人類学/民族学全般からその点を批判する声も多かったが、正確で破綻の少ない中理論(ミドルレンジ・セオリー)よりも、少々乱暴でも大理論のほうが夢がある。

学問的知識に乏しく好奇心旺盛な末端の読者(例えば私)にまで夢を与える、スターのような存在。それがレヴィ=ストロースだったような気がする(専門家にしてみれば、噴飯物のねじ曲がった捉え方かもしれないことは承知しつつ)。


追記
●小田亮による追悼文 http://d.hatena.ne.jp/oda-makoto/20091104#1257337628
構想主義の「構造」の意味は、これでもまだ伝わらないと思うが(誤解のきわめて多い概念。ろくすっぽ読まずに想像で「構造」を口にする人がいかに多いかの証左)、コンパクトで、びしっとした追悼文。

●内田樹による追悼文 http://blog.tatsuru.com/2009/11/04_1227.php
パリのアカデミー(知の世間)とレヴィ=ストロースの(想像上の)回顧。パリじゃなくニューヨークだよん、という上記・小田亮の指摘と重ねると興趣。

2009/11/04

稲垣足穂

少年愛の世界、と言ってもあのマントヒヒのような容貌で、と、思って以来作品は読んでいない。
http://kijitsu-haiku.blogspot.com/2009/11/20091025-1031.html
女性にとっての少年愛は、どうしてもいわゆる「やおい」に傾くわけでしょうか。容貌の美醜は、愛されるのに少しは関係があっても(これもきつい話ですね。自分ではいかんともしがたいのに)、愛するには無関係。とはいえ、鑑賞するとなると、それはまあ、マントヒヒより美少年のほうがいいか。ふつう。

しかしながら、この世に生まれながらタルホを読まずにいるのはなんとももったいない話です。

一篇挙げよと言われたら、「弥勒」でしょうか。

でね、もちろんのこと、タルホは、少年愛ばかりじゃあないです。天文、映画、ヒコーキ、天守閣、機械…。いろんな事物の、コクの濃いーところがちりばめられています。

2009/11/03

呪術と科学

疑似科学への嫌悪感(拒絶の態度)は人並み以上に強いと自認していますが、池内了『疑似科学入門』(未読です)への人類学者・小田亮さんの批判には深く納得しました。
http://d.hatena.ne.jp/oda-makoto/20091101#1257091870

「科学」を標榜・自称していないもの(占いなど)まで「疑似科学」に含めるのは、おかしかろう。それは「科学者による「疑似科学」カテゴリーの創出」だろうという指摘は、なるほどです。このあたりのこと、人類学的話題とからめて、小田亮さんはこう書きます。
科学者としてのアイデンティティを純粋化するためという理由だけで、「第一種疑似科学」のような科学を装っているわけではないものまで「疑似科学」「ニセ科学」というカテゴリーに入れてしまうのではないでしょうか。そして、自分たちより低位のそのカテゴリーに属するものは自分たちがコントロールすべきだという態度(「未開」に関して言えば、それが植民地主義の態度です)も、このアイデンティティ・ポリティクスで説明できるでしょう。
占いが「科学」とは別に、私たちにとって必要な説明であることも、わかりやすく書かれています。科学的説明とは別に「非科学」的説明というか「科学の外にある」説明も必要なことが往々にしてあるのですね。

予測ということに関して(ここからは私の世間話です)、明日の夜明け時刻を辻占い師に数千円払って訊く人はいない。新聞に出ている。50年後の地球の平均気温を占い師に訊くこともない。関連科学者が研究し、討議すればいいことです。来週の株価を占い師に訊く人はいるかもしれないけれど、有能な相場師には思えない。

でも、金運や結婚運のヒントを、気象庁や経済研究所に求めるわけにはいかない。占い本読んだり、占い師に手相を見てみらったりするわけじゃないですか。

呪術(占いや神託を含む広義の呪術)は、科学の下にあるのではない。科学「以前」でもない。分担が違うのですね。

参考 ≫kikulogで池内了『疑似科学入門』に触れたエントリ
http://www.cp.cmc.osaka-u.ac.jp/~kikuchi/weblog/index.php?UID=1211820517
もっぱら科学者からの見方。ざっと見たところ、小田亮さんが示した観点は欠けているようです。なおkikulog自体はたいへんおもしろく、ためになるブログです。



言うまでもないことですが、みずからを科学と言い張る呪術は、タチ悪です。

2009/11/02

リンク●自分の俳句

このブログの右下付近に、自分の句のリンクを貼りました(さいばら天気の俳句、中嶋憲武×さいばら天気)。いずれも週刊俳句に掲載してもらったものです。

さいばら天気の俳句
* チェ・ゲバラ 10句  2008-09-28
* 贋札 7句 2008-12-28
* 値段俳句 七五〇〇円 10句  2009-04-26

中嶋憲武×さいばら天気
* 真夏の出来事 2007-08-12
* 毛皮夫人×毛皮娘 2008-02-03

30年前のビデオゲーム

以前、週刊俳句にシューティングゲームについての回想(というには朦朧すぎる心許ない記事)を書いた。その後、K-Toさんという方のご親切なコメントのおかげで、思い出したかったビデオ(アーケード)ゲームの端緒を掴んだ。

副産物で、懐かしい潜水艦ゲームの動画も見つかった。



これ、よくやったなあ。飽きもせずに。

2009/11/01

さてと

ワイルド・サイドって、どのサイドなのだ?


Lou Reed - Walk On The Wild Side

どっちのサイドかというと、そっちを歩いていたい。

消息:週俳

週刊俳句・第132号に「政治と文学性結社と俳句世間のジレンマ 『俳句界』2009年11月号を読む」を書いています。

俳人さんたちがさかんに「私淑」「私淑」と使うアレ、なんとかなりませんか。
(といった些末だけど、すぐになんとかなるだろうってなことを書いたり)
あるべきはずの参照を欠いた記事。これも俳句世間には多いですよ。別の常識で廻っているのではないか、と思うくらい。
(といった、こんなもん基本だろうよ、ってなことに触れてみたり)

で、今週は「後記+プロフィール」を長めに書いています。

で、haiku mp(動画)は、渾身の選曲となっております。