2018/02/28

■花独活そぞろ読み01:リアルにイナカその他

花独活(はなうど)っても、あのウドじゃありません。関悦史第2句集『花咲く機械状独身者たちの活造り』。長いなあ、書名。どう略すかは定着していないようですが、とりあえず、これ、アタマから気ままに読んでいこうと思います。

急に思い立ったわけですが、まずもって、私、関悦史の句が好きなんですよね。どう好きかはおいおいお話ししていくことになりますから省きますが、関さんて批評・評論のほうで注目されることが多いのですが、私は、彼の俳句が好き。

それと、この句集、句がたくさん入っているので、そぞろ読むのにいいと思ったんですよね。

じゃあ、早速、最初から行きます。

11章立ての第1章は「近景」。章扉のこの2字が平体(活字を上からちょっと押しつぶしたような書体。反対が「長体」ね)になってるんですが、なぜ? 

私は、意味のわからない平体・長体が嫌いでね、ここは気になりました。不満・文句も書いてしまいましたが、以降、あまりこういうのはないと思います。句の話をしましょう。

サンタガールの素肌の腿や北風の吹く  関悦史(以下同)

小学生といへどもマスク美人となる

悪い視線。2句目はPTAの連絡網で通報されるレヴェル。単にいやらしい目なわけですが、俳句でこれって意外に稀少。

田植機の誤作動ならむ道ぢゆう苗

物置にされたる廃車冬日和

リアルに田舎の景。

前の2句と合わせて、今回の「近景」は、前句集『六十億本の回転する曲がった棒』の最初の連作「日本景」と呼応しているように思いましたよ。

もう一度言いますが、リ・ア・ルにイ・ナ・カ。

「誤作動」のあたりに臭うのですが、SFを含む大ロマンと目の前の場所をむりやり繋いでしまおうというあたり、大好きなエドガー・ライトにも通じるんじゃないか、とも。

火事のニュースの珍なる子の名皆眺む

キラキラネーム/DQNネームを詠んで酷薄。でも、眺めているのは、作者だけじゃなくて、私たち全員なわけでね。母親とその恋人はパチンコ屋で、そのあいだに出火という陰惨な現実、ニュースで繰り返されていそうな現実もアタマをよぎる。


ところで、ここで取り上げた5句のうち、2句は下6、1句は上7。このあたりの変則もうまく取り入れて、よろしき韻律。関さんの句って、ヘンなこと詠んでも(否、からこそ、か)、リズムがたいへん良い。グルーヴあります。


ここまでで「近景」の4分の1くらいですかね。もうしばらく「近景」を見ていきますね。

ラヴ&ピース!

2018/02/27

■未完と未知


この手の「わからない」は《開かれている》。なんだか希望のある、明るい「わからなさ」ということですね。句が既知として静的なわけではなく、未知へと動いていく最中というか。

しかしながら、このところよく目にする・耳にする「わからない」は(参照:例えばこちら)(上記ツイートは、俳句世間の「わからない」発言に向けられたものでもありましょう)ぜんぜんこんなんじゃなくて、暗くて、《閉じている》。なんでなんだろうね?


2018/02/25

■父は 海地大破の一句

ウラハイで長く続く樋口由紀子「金曜日の川柳」に、

父の部屋に父の平均台がある  海地大破

http://hw02.blogspot.jp/2018/02/blog-post_23.html

どうしても寓意を引き寄せてしまうが(平均という語の強度)、それにとどまらない面白さは、平均台の《大きさ》から来ている。

ちなみに、もし競技用だとしたら、長さ5メートル。

父のこの部屋、めちゃくちゃに広いですよね。

さらには、女子選手に限った競技であること。

レオタード姿の父も想像されます。

樋口由紀子さんは上記リンク先記事で「父が自分の部屋で黙々と平均台を歩いている姿は決して意外でもなく、まして怪ではなく想像できた。」と書いておられますが、いやいや、じゅうぶん意外だし、とてつもなく怪しいですよ、これ。


2018/02/24

〔連鎖〕蛮族≫垂直

1

運針のあとを音符がついてくる

英虞湾はしずか遠心力により

夜はまだ四つに畳まれたまんま

ひかがみが輝きここは泣くところ

しゅるるんとコードをしまう鳩尾に なかはられいこ


2

深夜28時…。  

タルホニア博士は星型をした硝子の器に、新種のモリアオガエル式アンドロイドを浸しては、ひどく神経質な手つきでその青白い脚を洗っていた。窓の外では、ほわわん、ほわわん、と粋な超おんぱを奏でながら、雑種のコウモリが飛んでいる。コウモリは、この時代にしてなお生身の身体を死守しているファンキーな蛮族だ。

小津夜景

3
するとそこには、一人の天使と(相變らずこの言葉が、私を不安にし、誘惑し、氣持をわるくします。彼等に翼がある位なら、齒だつてないでしようか? 彼等はあんな重い翼、羽根の生えた翼《神秘な翼》で、翔ぶのでしようか? そして堕ちると變える天使という彼等の有難い名のおかげで、木乃伊になるのでしようか?)
ジャン・ジュネ『花のノートルダム』1944/堀口大學訳/新潮社1953
それにしても、イカロスはほんとうに墜落していくのか。イカロスは、やがて海中の深みに行って、すっくと立ちあがるのではないだろうか。
ガエタン・ピコン『イカロスの墜落』1971/岡本太郎訳/新潮社1974
「でも」とセラフィトゥスは答えた。「あなたはもっと広い空間を恐れずに見ているではありませんか」 p24

セラピムは飛び立つためにそっと翼をたたんだ。もう二人の方は振り向かなかった。もう《地上》とは何のつながりも持たなかったのだ。 p229
バルザック『セラフィタ』1835/沢崎浩平訳/国書刊行会1976

垂直にまつわる3つの引用 quoted by 西原天気



タグ:連鎖ゲーム

2018/02/23

〔連鎖〕鳩尾≫蛮族

1

運針のあとを音符がついてくる

英虞湾はしずか遠心力により

夜はまだ四つに畳まれたまんま

ひかがみが輝きここは泣くところ

しゅるるんとコードをしまう鳩尾に なかはられいこ


2

深夜28時…。

タルホニア博士は星型をした硝子の器に、新種のモリアオガエル式アンドロイドを浸しては、ひどく神経質な手つきでその青白い脚を洗っていた。窓の外では、ほわわん、ほわわん、と粋な超おんぱを奏でながら、雑種のコウモリが飛んでいる。コウモリは、この時代にしてなお生身の身体を死守しているファンキーな蛮族だ。

小津夜景



れいこさんからいただいた5句を夜景さんに投げたところ、このような2連になりました。次は私が付けます。どんどん行って、それから考えることがあれば考えましょう。

タグ:連鎖ゲーム

2018/02/22

〔連鎖〕なかはられいこさんからスタート

運針のあとを音符がついてくる

英虞湾はしずか遠心力により

夜はまだ四つに畳まれたまんま

ひかがみが輝きここは泣くところ

しゅるるんとコードをしまう鳩尾に なかはられいこ



5句、いただきました。連鎖、スタートです。

タグ:連鎖ゲーム

2018/02/21

■連鎖ゲーム(仮)がもうすぐスタート

あのね、前に、ここで、歌仙を遊んだことがあってね、そのメンツでまたなにか遊びましょうかという話になった。

でも、前と同じに歌仙じゃ、なんだか面白くない。最近はあちこちで歌仙をやってるのを目にするしね。

そこで、連句とかではなく「連ねていく」ものを考えた。

「考えた」といっても、考えがまとまったわけじゃなくて、だから、ルールや形式が決まったわけじゃない。とりあえず始めてみましょうか、ということで。

(この「とりあえず始める」っての、多いんですよね。でも、それでいいんです。ぜんぶデザインしてから、というのは、仕事ではいいかもしれないけれど、遊びではどうでしょう? 決めないでおくところ、始まってから決めるところを残しておいたほうが愉しい気がしますよ)

というわけで、とりあえず「連鎖ゲーム」(もっといいネーミング、ないのかなあ。どなたか良い案があれば教えてください)と名付けた遊び、もうすぐ始まるはず。


2018/02/20

■指先 『円錐』第76号の今泉康弘

菊の香や棺より戻す指の先  今泉康弘

蓮の香や天より戻す指の先  同

『円錐』第76号(2018年2月15日)掲載の今泉康弘「誰も目覚めてはならぬ」12句の冒頭に置かれた2句。

前者は言うまでもなく、《ある程の菊投げ入れよ棺の中 夏目漱石》が下敷き。その直後を詠んだような一句。

その構成と音に呼応した2句目は、蓮と天の照応(伝統的で安定した照応)のなかで、「指の先」が美しく幻想的。

プレテキストから出発して、素晴らしい変奏へ。こういうセット、ほんと愉しい。


草色の雲ありてすぐ枯れてゆく  同

この句も美しい。


2018/02/18

■もうひらいています

ウチの前の梅。


2018/02/17

■勝手に組句:夕立

今走つてゐること夕立来さうなこと  上田信治『リボン』

夕立が来さうで来たり走るなり  西村麒麟『鴨』

夕立と走るはセット。これを詠んだからと言って必ずいわゆる類想になるわけではない。そんなことを言ったら、どんな優れた映画も、「よく見た」シーンの合成物。要は、人が知っていることをどのように組み立てて、「在ったもの」「在るもの」こそが、世界のあざやかさを形作っていることを提示すること=俳句、です。ちがう?

夕立が来そうだから走る人(1句目の語順は因果そのままではないが、まあ、とりあえず)と来てから走る人。

どちらの句も好き。


≫柳本々々【感想】今走つてゐること夕立来さうなこと
http://yagimotomotomoto.blog.fc2.com/blog-entry-169.html

■『オルガン』第12号の鯨

会議眠たし馬鹿シロナガスクジラ  田島健一

「馬鹿」の挿入具合・混入具合。「白鳥定食」を思い出した。

『オルガン』第12号(2018年2月3日)には、福田若之「パサージュの鯨」13句も掲載。

徐行する鯨の知その裏のたばこ屋  福田若之

福田は同じタイトルで、『週刊俳句』第57号(2017年12月24日)にも10句の鯨句を寄稿。一句も重複しておらず、合わせて23句を「パサージュの鯨」と解すればよいのかもしれない。

【訂正・補記】
「パサージュの鯨」は他にもたくさんあるらしい。『オルガン』の同じ号のテーマ詠にも。また、いま話題沸騰(参照1参照2)の『群青』にも。つまり、福田鯨は大増殖中。

鯨って、魅力的なんですよね。


そうそう。田島健一『ただならぬぽ』、ゆうべ再読したんだけど、やっぱり、クソおもしろいぞ、これ。

ラヴ&ピース!

2018/02/16

■空は 『円錐』第76号の宮﨑莉々香

きょう届いた『円錐』第76号(2018年2月15日)に宮﨑莉々香「けやき台団地」20句。昨日に続いて速報的に。


けやき台団地は、過日、福田若之くんと二人で散歩したときにも通ったことだし(同名の別団地かもしれないけれど)。

きのう取り上げた「表情」13句に比べると、輪郭のくっきりした句が多い印象。そんななか、

歯ならびが写真にしたとたんふるびる  宮﨑莉々香

電柱を囲むと白いビルになる  同

といった(選ぶ私にとっては偶然にも)無季の句が、感覚の軋みのようなものを伝えて、興趣。

(おっ、どっちも「びる」「ビル」。って、しょうもないこと言ってる場合じゃない)

季語って、便利な半面(この作者が便利に使っていると言っているのではありません)、悩ましいものでもあるなあ、と思いました。俳句伝統の、よく設えられた感じ方・読み方の筋道を否応なく引っ張ってきちゃうところがある。だから、「設えられていない」道を行こうとする句に魅力を感じてしまうと、季語含みの〈収まりの良さ〉が邪魔になったりする。もっとも、それは承知で、季語の刷新のようなものを企図する作家が確実にある程度の数いて、宮﨑莉々香もその一人なのだろうけれど。

あ、そうそう。

冷たいと言はれはるばるから空は  同

福田くんと散歩した午前は、こんな感じの空だったと思う。「こんな感じって、どんな?」と訊かれても困る。こんな、だったよ。

ラヴ&ピース!

2018/02/15

■感覚器 『オルガン』第12号の宮﨑莉々香

受容体にちょっとした傷や軽い歪をくわえたような感触。語と語のずれ、と同時に、語の選択への腐心が見て取れる。

ぼんやりが耳あてを出て水たまり  宮﨑莉々香

泡が出てきさうな枝に見える風邪  同

兎小屋昼の手が切手をつかふ  同

大雑把に「身体感覚」という語が俳句の批評に用いられること、頻繁(自戒をこめて)。違う語や概念が要りそうな「表情」13句でした。

掲句は『オルガン』第12号(2018年2月3日)より。


■外階段:如月銀座

画像をクリックすると大きくなります

外階段ラヴァーズと裏側ラヴァーズ双方の愛を受け止める一区画。


2018/02/14

【お知らせ】2月くにたち句会は谷保天満宮の梅を見に

まだ満開ではないと思いますが、毎年この時期に思い出すのが《咲くまでの梅を不思議な木と思ふ 正木浩一》。
2018年2月25日(日)14:00 JR谷保駅(南武線)改札前集合

句会場所:未定席題+吟行句

初参加の方は、メールtenki.saibara@gmail.com)、電話etcでご一報いただけると幸いです。問い合わせ等も、このメールまで。

2018/02/13

■『川柳ねじまき#4』を読んだ

この雨は私に降った雨じゃない  米山明日歌

突き抜け感があります。

雨をネガティブに捉えると、雨という災禍は私じゃない他人に降ったものということになり、雨をポジティブに捉えると、この雨は、私への恩恵ではない。

雨さん「じゃあ、どうしろと?」

「私のためだけに降れよ、雨」てなことで、ものすごい要求というか命令というか。

雨をどう捉えようが、燦然と「私」が輝く。いい意味で尊大。その意味での「突き抜け感」。

この句、ほんと、好き。

掲句は『川柳ねじまき#4』(2018年1月15日)より。ほか、同人諸氏それぞれの20句より1句ずつ。

ここ押せばひかる東芝ひかる枇杷  なかはられいこ

承知しました地球と気球  二村典子

ペンギンが出てくる違う君じゃない  猫田千恵子

透けそうな林透けないバーコード  早川柚香

昔から浅丘ルリ子三つ上  丸山進

気遣いの境界線の液状化  三好光明

鳥が首かしげ鯨が裏返る  八上桐子

理科室の中にもあった赤鳥居  青砥和子

竹皮を付けたまんまの高笑い  安藤なみ

満月は薄荷の味と知る頁  魚澄秋来

サンクトペテルブルク的梅雨晴れ間  犬山高木

なめらかなうどんとそうではない月  妹尾凛

アルカリか酸性なのか河馬の舌  中川喜代子

水滴がふくらむ電話口の父  瀧村小奈生


こう並べていくと、分の好みや考え方がなんとなく見えてきます。叙情にせよ諧謔にせよ不思議にせよ、句のなかの「私」や事物がのびのびしている句が好き(川柳・俳句とも)。一方、理屈っぽい句はダメぽ(唐突に「ぽ」)。

楽しませていただきました。

ラヴ&ピース!


2018/02/11

■フォトジェニックな句集群

書影を撮る(日本語として正しい?)のは、もともと、「あったほうがいいだろう」という必要からくる撮影だったのが、最近は、好きになってきた。

山田露結『永遠集』は、小ささとそこからくる美しさが少しでも伝わるといいのですが。
http://weekly-haiku.blogspot.jp/2018/02/blog-post_81.html

八上桐子『hibi』のカバーは、句集史上最もシャワシャワしているが、それを写真で伝えるのは難しい(プロの技が要る)。

黄土眠兎『御意』のカバーは「金(きん)」が印象的なのですが、それは、この写真ではぜんぜん伝わらない。

やっぱり実際に手にとってほしいですよ。気になった句集は。


なお、撮るだけじゃなく、読んで、自分なりに語ったりもしています。

2018/02/08

■ねじまきオルガン


ただ、ふたつくっつけて言いたかっただけです。

2018/02/07

■句評のクリシェ

このツイートを見て、思い出したのですが、句会で、たまにありますね。風は吹くもの、雨や雪は降るもの、てな感じで、語の重複、ムダの指摘。

でも、私は、使います。雨が「降る」も、風が「吹く」も。

調べ/韻律、感触の点で、それがいいと思うなら(音数合わせも含め)、使います。意味(だけ)で句をつくっているわけではないので。


句会のクリシェだと、例えば「季語が動きますね」というのもあります。

これについては、「動いていいんだよ」と思ってます。動こうが揺れようが、作者/読者がそれでしっくりくるなら、それでいい。しっくりきていないなら、しっくりくるまでいろいろ動かしてみるといい。

だいたいが(まじめに言いますが)、二句一章(いわゆる取り合わせ)で季語が動かないなんてことはありえない。動きます。

取り合わせの句で、「この季語は動きませんね」などと、したり顔で言う人もいますが、「現状、その人が考えうる限りにおいてベストに近い」というだけの話です。


句会に数回出れば誰でも覚える程度のクリシェを、そんなにありがたがる必要はありません。鼻たかだかにクリシェを連発する人がいたら、信じないことです。「この人、なにも考えてないな」つうわけで。

(それがクリシェなのかどうかがわからん、ということもあるでしょう。つまり、得意満面なんだけど、どこかで聞いたことばかり言ってるな、この人、と思ったら、眉に唾つけておくのがいいです)

句会や俳句に「慣れる」ことと、俳句を親しくすること・だいじにすることとは、まったく別ですしね。

ラヴ&ピース!

2018/02/04

■風景としての週末 麻雀「姫」的な?

吟行句会の吟行部分だけ参加させてもらうの、yuki氏(嫁はんです)からは「それって感じ悪いから。付き合いはだいじよ」と諭されるのですが、「まだまだ散歩を続けたい」という欲望には抗えない。そのへんは、

≫ウラハイ 〔週末俳句〕散歩散歩散歩

に書いたとおり。




で、帰宅。夜中に降りた西国分寺駅の駅前の持ち帰り寿司店で、恵方巻が山のように積まれ、半額セール。買わなかったけど(買ったことがない)。

ところで、義理チョコは要りません。

ゴディバに賛成、というのではなく、「本気チョコなら、喜んでもらうぞ」という、必死すぎて引くたぐいの宣言。

それはそうと、ゴディバがセブンイレブンに並んでいるのを見て、「これは義理チョコではないのか?」と大いに訝る。

というわけで、週刊俳句・第563号です。

私は、黄土眼兎句集『御意』の二句を取り上げました。

ラヴ&ピース!

2018/02/02

■冒頭集:宝島

郷士のトレローニさん、医者のリブシー先生、そのほかの紳士たちが、ぼくに、宝島のことをすっかりくわしく初めから終わりまで、ただし、まだ掘りおこした宝もそこにあるのだから、島の位置だけはかくして、それ以外はすべて書きとどめておくようにといわれた。いまペンをとっているのはキリスト紀元一七--だが、この話は、ぼくの父が「ベンボー提督亭」という宿屋をひらいていたころまでさかのぼって、そこへ、日焼けした、刀傷のある、年とった船乗りがあらわれて、泊まりこむことになったときからはじめることになる。
スティーブンスン『宝島』1881:阿部知二訳/岩波書店/1967年

2018/02/01

【句集をつくる】第18回 販売方法の一案


前回からずいぶんと間が空きました。「次の句集」への熱意がわかない状態が長く続いたと解していただいて結構なわけですが、熱意というものは一定じゃないので(とくに私)、ぜんぜん問題じゃありません。

さて。

上田信治さんの第一句集『リボン』が出たのですが、発売というそのとき、販売サイトを覗くと、定価が「0円」となっていました。「おっ!」と思いましたが、それは単なる間違いで、すぐに本当の定価が反映されていました。

「おっ!」と思ったのは、「なるほど、こういう手もあるのか」と感心したからです(信治さんなら、やりそう、とも思った)。

贈呈については悩みます(参照≫第11回 贈呈という大問題)。もらって迷惑になるんじゃないかと心配になります。一方で、読んでみたいという人には、買ってもらうのもいいのだけれど、金銭的負担をかけたくない。

それを解決するのが「0円」という価格設定です。

amazon で送料だけで手に入るなら、読みたい人に低負担で入手してもらえるのではないか? 素晴らしい!

非売品として「読みたい人には送らせていただきます」とブログetcで告知する手もあるよ。そう考えるかもしれませんが、それだと、著者(私)への気遣いという精神的負担があるでしょう。だから、amazon なり出版社の販売サイトなりがいい(もし置いてくれる書店があるなら、フリーペーパーという扱い)。

「0円」が規則上ムリなら「1円」でもいいですね。

これは選択肢として大いにアリ、です。

ラヴ&ピース!