2017/03/31

■コシヅカのコンビーフ+春キャベツ


最強の組み合わせでござんした。

いっしょに炒めるだけ(若干手を加える、そこは嫁はんに訊いてくれ)。


ブログに食べ物の写真を上げるようになったら、末期的。でも、すでに末世だからオッケー(これ、前にも言った)。

2017/03/30

■卒業 『なんぢや』第36号より

くにたちには大学通りというものがあって、大学通りというくらいだから、この時期、卒業式を終えた大学生をよく見る。男の子たちのイタにつかない背広姿、女の子たちの袴スタイル。

卒業の土手のはるばるあることよ  太田うさぎ

その特別な日、土手にいるなんて、なんてさわやかで晴れ晴れとした卒業でしょう。

ケレン味ゼロの、気持ちのいい句。

この句の卒業は、大学生ではないですね。もっと若い。大学卒業の時点で、はるばるといした土手なんて、もうすでに残っていないかも。

…なんてことを言うのは感じが悪いし、この句の土手が喩えみたいになっちゃいますね。失言でした。


掲句は『なんぢや』第36号(2017年3月10日)より。

2017/03/29

■前島密ふたり+はがきハイク


業界最小最軽量の俳誌『はがきハイク』第16号、リリース。そろそろみなさんのお手元に届く頃と思います。

タイポあります。誤字脱字は愛嬌。

あっしのタイトルは、ode to 金子光晴。

『はがきハイク』はこちらから勝手に送りつける御挨拶のようなもの。送り先の漏れは多々。届かないときは、「おい、こら、来てねえぞ。送れ」とゆってください。
tenki.saibara@gmail.com

見たことがない、興味がちょっとあるよ、という方も、同じメールアドレスへどうぞ。


【お願い】
はがき「全面」の写真、画像キャプチャー等を、ネット上に載せるのはご遠慮くださいますようお願い申し上げます。

理由は、

 恥ずかちいから。

というのはウソで、

1 はがき大という寸法の関係から全文引用(こんな語はない。転載ですな)になってしまう。

2 おひとりおひとりにお送りする意味がなくなる。それなら最初から私らが画像をネットに掲載すれば済む話で。

なんか、送りつけておきながら、こんなお願い、恐縮ですが、なにとぞよろしく。


なお、引用は大歓迎。

この句、好き、とか、叫びまくっていただきたい。句も私も喜ぶ。

2017/03/26

■ルジャドーゼ・オドローゼ 3月下旬の消息その他

ウラハイに「るびふる」10句を寄稿。

イロモノ、企画モノのたぐいですが、本気です、正気ですので、ご心配なく。


ひとつ、手術の句は17音にこだわりすぎました。

手術してもらふ紫雲英田のまひる と五六五(八八)のほうがよかった。入稿直後に改稿、痛恨。


本誌トップ写真は函館の早朝。

この直後に撮った写真。


2017/03/24

■桜

月満ちてゆく枝に花満ちてゆく  下坂速穂

美しいグラフィック。まるで花札のような。

掲句は『なんぢや』第36号(2017年3月10日)より。 


2017/03/23

■ジプシー



紙巻タバコはほとんどやりませんが、たまに気が向いたら買う。この日、かまやつひろし追悼でゴロワーズを買おうとして、隣にあったジターヌを。

なお、公共の場所での分煙には大賛成。家庭内分煙は、個々、家庭の問題。

なお、ジプシーは日本の放送/出版業界では差別語扱い。ロマって呼ぶ。

■新しい眼鏡ケース

チョコレートを食べ終えて新しい眼鏡ケースに。

2017/03/21

■「ねじ」について 『川柳ねじまき』第3号(2017年1月15日)より

「ねじを巻く」という言い方、あまりしなくなったような気がしますが、「ねじまき句会」という名称は、怠け者の私にはよくわかる。ふだんだらだら過ごしているが、ここはひとつアタマをしゃきっとさせて、句をつくろう、句を読もうという感じ。

ただ、一方で、ねじが1本抜けた句がよい(小川軽舟さんが言っていた)。

ねじがぜんぶきちんと締まっている句は、「がんばってる」句ではありますが、コクやら広い意味での面白みが足りない。

川柳は、どうだろう。

ねじが1本抜けた川柳、ヘンな締め方のしてある川柳、ねじの曲がった川柳が読みたい。



以下、『川柳ねじまき』第3号(2017年1月15日)より、御一人様御一句。

ふくろうとまめでんきゅうが鳴き交わす  なかはられいこ

安売りのチラシの上を走る8  中川喜代子

納豆の糸をひらひらさせちゃって  瀧村小奈生

きつねにばかされないようにいっぷく  妹尾凛

クリストファーと名付けたくなる朝がある  魚澄秋来

全面表示画面で覗く臍の底  安藤なみ

夕焼けにバケツを鳴らすウルトラマン  犬山高木

あの家も曇りときどき無計画  青砥和子

元彼が静脈瘤で待っている  米山明日歌

声になる手前の笑い桑畑  八上桐子

明朝体コチョコチョしても笑わない  三好光明

柿の木から落ちた客室乗務員  丸山進

もはやもう紅組でさえない幸子  猫田千恵子

雨脚のだんだん強くなる頭  二村鉄子



2017/03/19

■無事終了

≫嫁はんがライブやるです
http://sevendays-a-week.blogspot.jp/2017/03/blog-post_1.html
http://sevendays-a-week.blogspot.jp/2017/03/blog-post_48.html

たくさんの方に来ていただきました。ありがとうございます。

1 嫁はんが書いたプログラムの曲目紹介、とくに「動物の謝肉祭」が好評。

2 2台ぶんの響きは、やはり豊か。

3 最後の「カルメン」で、嫁はん、弦をぶち切る(私がステージを観た範囲で今回が三度目)。切れたまま、アンコールの「月の光」。

4 終演後、俳句関係の皆様と居酒屋。吾郎さんが事前に店を決めておいてくれる。さすがその道のプロ。


2017/03/18

■夜桜のこと 加田由美句集『桃太郎』の一句

夜桜も夜桜の図も音あらず  加田由美

現実とその写しの繰り返しによって夜桜の姿かたちが強調され、音を排除することで、視覚要素がさらに際立つ。


桜はもうすこし先ですが。


掲句は加田由美句集『桃太郎』より。



≫過去記事:おなじものとちがうもの

2017/03/17

■ハガキ、届く。

もともっちゃん、ありがとう。


2017/03/16

■明日に迫った嫁はんのステージ

嫁はんのピアノデュオリサイタルがいよいよ明日に迫り、プログラムをつくる(いつもながらいわゆる夫婦の仁義)。

原稿は演奏者のお二人。校正(変更)が多いので、フライヤーデザインの亞子さんのお手を煩わせず、あっしがMSワードで作り、プリンターでじーこじーこと印刷。


杉並公会堂小ホール
2017年3月17日(金)18:30会場 19:00開演


2017/03/14

【お知らせ】3月のくにたち句会

2017年3月26日(日)14:00 JR国立駅改札付近集合

句会場所:ロージナ茶房(予定)。

席題10題程度

句会後の飲食もよろしければどうぞ(会費アリ)


初参加の方は、メールtenki.saibara@gmail.com)、電話etcでご一報いただけると幸いです。

問い合わせ等も、上記メールまで。

2017/03/13

■土砂降りの巴里 『丘ふみ游俳倶楽部 百五十号発刊記念句集』の一句

レコードの傷の土砂降り巴里祭  秀子

アナログ盤のスクラッチノイズはたしかに雨の音です(レコードが終わった後の音=雨、といった句を作ったことがある)。

この句は、雨どころか、土砂降りとまで言い切った。振り切れています。

季語・巴里祭からすると、シャンソンの古いレコード。革命記念日(7月14日)だからといって勇ましい曲と限定することもないでしょう。

掲句は『丘ふみ游俳倶楽部 百五十号発刊記念句集』(2017年2月)より。

土砂降りの映画にあまた岐阜提灯  攝津幸彦

こちらは視覚の雨。

2017/03/12

■今井委員待たねえし無季認めねえし 俳人協会新人賞の選考がおもしろい 

俳人協会報を紹介した神野紗希さんのツイートに反響。

無季への絶対的ダメ出し、カタカナへの相対的/場当たり的なダメ出しは、ずっと変わらず繰り返されてきたこと。それへの疑問・批判を含め、ほぼ定期的に話題にのぼる(≫参照)。

保守的(とはほんとは言えないんだど)で旧弊な規則遵守の態度、それへの拒否反応・批判。この双方にいまさら感は否めず、後者の硬直化がむしろ心配(カジュアルな寛容主義って排他主義・厳格主義よりも受け入れられやすいしね)。カギ括弧付きの「伝統」をめぐる見解や感想の対立は、常態化というより儀礼化した感。

個人的に、ツボは、むしろ「遅刻の今井委員を待たず選考」の部分。

へえー、待たないんだ。ちょっと吃驚。

ふつう待つでしょ?

俳句以外にすることなくも暇な(憶測です)老人たちなのに? と言ったら叱られるかもしれないけれど、交通渋滞の遅れくらいは待つでしょ?

(で、今井聖さん、その後、どうだったのだろう? こんど聞いてみよう)

つまり、きっと。

有季定型や外来語にまつわる判断基準も、定刻どおりスタートも、「考えるのがめんどう」だから、決めたとおり、ということなのでしょう。

めんどうなら、賞とかやめればいいのに、協会も解散すればいいのに、と思う。こういうことのほうがよほどめんどうそう。


くわえるに、待たなかった理由に「今井委員がいたら、めんどう」というのもあったんじゃなかろうか(憶測です)。

2017/03/11

■人はあまり読んではいない

朝日新聞に小津夜景さんの12句「胸にフォークを」。
http://www.asahi.com/articles/DA3S12831866.html
(やがてリンク切れになるでしょう? 新聞記事って)

なかなかに自由奔放な12句。

それはそれとして、読んだ(見た)人の反応として、記事に付された著者近景〔*〕を見て初めて、夜景さんが女性であることを知った人もいらっしゃるようだ。

ということは、彼らは、角川『俳句』3月号も、北海道新聞のエッセイ「かもめの日の読書」も、『週刊俳句』の新春対談「〈身体vs文体〉のバックドロップ 格闘技と短詩型文学」も、夜景さんのブログも、どれも読んでいない。

あんがい(というかあんのじょう)、記事は読まれず、人名とその作品が世の中を漂うわけです。これは、読まないのはダメといった話ではなく、また今回個別の事情でもなく、記事というもの、全般に、あまり読まれていない。

書く→載る→読まれる、という過程と結果は、ともすると、自然に進行するように考えがちですが、誰かに読まれるという成果へと達するのはきわめて困難なことなのですね。



このところ、俳句について何か書くとき、「どうせそんなには読まれない」と、気楽に考えるようにしている。これは自分にとってはポジティブな方向性。

同時に、「前に書いたことがあるから」といって書かないでおくということもしないようにしている(このことも前にどこかで書いた)。「前に書いた」ものを読んでいる人はごく限られている。何度同じことを書こうが、初めて読む人がいる。

なお、読まれないから品質はどうでもいい、という話ではありません。書く以上は、どんな戯言でも片言でも、その時点でめいっぱいのベスト。


〔*〕この著者近影、私がお会いした夜景さんとはちょっと感じが違う。この写真だとしっかりした人みたいに見えますが、私の記憶では、いつ見ても道草くってる、あるいはわざと迷子している子どもみたいな人、という印象。明晰な散文とのギャップに驚く人は多いと思います。きっと、写真とは、いろいろな写り方をするもの、ということですね。

■田老と宮古〔震災以前〕



2017/03/10

■又読み

「又聞き」ならぬ「又読み」をすることが、俳句には多い。

俳句雑誌や句集を読んでいなくてもレビュー・評論に引かれた句を私たちは相当数読む。

掲載誌の連作を読む、句集本体を読む、レビューを読んで興味がわいて入手する、といった行動をとるのが良い読者、という見方もあるが、又読みも、カジュアルに句に接するという点で、それほど悪いことではないと思う。

外形的・量的にコンパクトな俳句は、とりあえず、作るに易く、発表するに易く、読むに易い。前二者についてはちょっと立ち止まって考えてみる必要があるが、手軽に読めるのは俳句の良いところでしょう。

と、ここまで書いて、俳句がなかなかマネタイズしないのは、このへんも関係がありそう。

例えば小説は、レビューを読んで面白そう→本・雑誌を買う、という行動は起きやすい。俳句は、そういう流れにならないんですね。又読みで済んじゃうところがあるから。

まあ、マネタイズなんて卑俗なこととは無縁に遊べる、というのも俳句の良いところでしょう。

2017/03/09

■夏蜜柑は春の季語

お向かいのミワタさんからいただいた夏蜜柑のマーマレード。

遠い親戚よりも、料理のじょうずなご近所、ですね。


2017/03/07

■岸辺のシロー 『川柳ねじまき』第3号から

『川柳ねじまき』第3号(2017年1月15日)より。

電柱と岸辺シローは出会えたか  なかはられいこ

どうだったのだろう? 出会えたのか? と必要以上に親身にマジメに「結果」に思いをはせてしまうのは、どうしてだろう。

掲句は「岸辺」。岸部シロー(岸部四郎)の岸部とは字が違う。けれども、どうしたって「きしべ・しろー」は彼のことなのだ。

(岸辺の用字は、水際の危うさを呼び寄せる)

岸部シローのことは、ザ・タイガースでタンバリンを手に、隅っこのほうに立っていたときから心配している。私などが心配してもしかたがないことは承知の上で心配していた。

電柱くらいに出会えないはずがない、きっと出会えたはず。そう思いたい。


なかはられいこの20句作品「ととととと」には、

魚の腹ゆびで裂くとき岸田森 同

質問の最後に神田うのを置く 同

人名俳句の泰斗として(冗談だから真に受けないように)、目を止めざるを得ないが、これはもう重症化しており、次の見開きの最後の句、

加茂茄子に紺を充填する真昼  中川喜代子

の「加茂茄子」を、「かも・なすこ」と、人名に間違えてしまうという、われながら重篤。

それはさておき、「ととととと」に戻ると、

サイレンと水母いっぱい室内に  なかはられいこ

くしゃみして猫はいっしゅん海になる  同

といった聴覚・視覚のマルチメディアによって、わからないようでよくわかる気がする〈この世の事態・世界のテクスチャ〉を伝える句が心に残りました。  


2017/03/06

■日曜俳句

1 俳句は、たくさん作りたいときはたくさん作る。作りたくないときは作らない。

2 俳句は、手書きで作る。パソコンで(タイピングで)作らない〔*〕

以上2点は、俳句を作ることが「作業」になってしまわないための、自分の中の取り決め。



きほん、句会でしか作らないのですが(かつもっぱら題詠)、このところ、週に一度、日曜日に、句会でも題詠でもなく、ひとりで句を作る時間を持つようになりました。自分でなかば義務化しています。作業的にはなりますが、作業そのものでない。作句スペースは紙1枚。そこから5句をいちおう仕上げる。ちょっと負荷がかかって、新鮮です。



〔*〕メール句会や入稿などは、手で書いたものをパソコンで入力して、それから並べ替えたりはします。

2017/03/05

■至上/最高

巻貝のくるりと至上見えている  清水かおり〔*1〕

巻貝は季語ではないが春の気配がみなぎる句。螺旋のその先はとうぜん至上・至高なわけで。

俳人なら、抽象語の「至上」ではなく、空にまつわる語をもってきそう、と思ったが、

うつうつと最高を行く揚羽蝶  永田耕衣〔*2

「最高」を用いてチョーサイコーの俳句があることを思い出した。


〔*1〕『川柳木馬』第150・151号合併号(2017年1月)

〔*2『天狼』第7号(1948年7月)

2017/03/03

■男雛+女雛+前島密ふたり


雪我狂流さんからむかしもらった豆雛。とてもちっこいけど、おんかんばせは、まことやんごとなき造作。

2017/03/02

■まだ届かない首 徳永怜の一句

ディアゴスティーニそろそろ届く僕の首  徳永怜

ディアゴスティーニはいわゆる週刊百科/分冊百科(業界ではパートワークと呼ぶ)で知られる会社。

ぜんぶ届いたら「僕」になるのか、別のモノになるのか。とにかく、「僕の首」がまだ届いていないというこの状況が素晴らしい。首のない人間を描くに、まこと秀逸な設定であります。

『川柳木馬』第150・151号合併号(2017年1月)より。

2017/03/01

【お知らせ】嫁はんがライブやるです


ふたりで1台(いわゆる連弾)だったり2台だったり、みたいですよ。

問い合わせは tenki.saibara@gmail.com 天気まで。