2017/11/21

■うごく福田・しゃべる若之

『オルガン』第11号(2017年11月8日)より。

苔的に九月の雨に自生する  福田若之

第一句集『自生地』刊行でますます注目の高まる福田若之さんのイベントが相次ぎます。

11月25日(土)のこれとか、12月3日(日)のこれとか。

週刊俳句では刊行記念インタビュー3本。音楽、本、アートと、福田若之がぞんぶんに語っております。

1 歯ギターは序の口なんです。そのあと火つけるところまでいく。 聞き手:西原天気
http://weekly-haiku.blogspot.jp/2017/09/1_10.html

2 しびれることです。感電すること。それと、本っていうのは物体です。 聞き手:小津夜景
http://weekly-haiku.blogspot.jp/2017/09/2_17.html

  ≫12月8日(金) 五味太郎と、俳句をこわす。

3 怪獣・色彩・低解像度 聞き手:小津夜景
http://weekly-haiku.blogspot.jp/2017/09/3_23.html


2017/11/19

■文フリとか蒸しプリン会議とか

週俳、文学フリマへ。春に続いて出展。
http://weekly-haiku.blogspot.jp/2017/11/in.html

『塵風』バックナンバーとか貴重だと思いますよ(僅少出品予定)。高野文子インタビューとか、つげ義春の写真での参加とか、俳誌の範疇を超えちゃってます。

あと、『MANO』終刊号とか、福田若之『自生地』に付いてくるオマケの第二句集もね。

で、このまえの文フリ向けに「蒸しプリン会議」という小冊子が出たのですが、今回「秋冬」を鋭意制作中。今朝、自分ぶんの5句をようやくまとめた。

判型は前と同じB7判(てのひらサイズ)。仕様と紙質が異なります。

※下写真は5月に出た「蒸しプリン会議 2017春夏」


2017/11/17

■蘭鋳 『奎』第2号より

よちよちとらんちうの来て縁に沿ふ  クズウジュンイチ

そういえば、ランチュウは泳ぐというより水の中を這う感じがする。「縁」は金魚鉢の内側だろうか、あるいは水槽の底の置き物だろうか。ともかく、それに身を沿わせる。

状態・行動そのものを詠んで、キュート。さすが、金魚。何をさせてもキュート。

掲句は『奎』第2号(2017年6月)より。


2017/11/16

■『オルガン』は純文学



『オルガン』の句を取り上げると、オルガンの動画を載せられるので、うれしい(ヘンなうれしがりかた)。

楽器としてのオルガンにはいろいろあるのですが(演ってる音楽もいろいろ)、貼っているのはもっぱら、ソウル/ジャズ系。だからといって、俳誌『オルガン』がソウルフルあるいはジャジーかというと、そうでもない。

同人誌というもの、メンバーによって作風が異なる(結社誌のほうが均一でしょうね、道理的には)。だから、ジッパヒトカラゲにソウルフルとかジャジーとか形容詞をあてはまめることにはムリがある。それは承知しながらも、自分なりにざっくりその俳誌を言い表す語について思案したりする。でね、昨日、思いついたのは「純文学」という語。

『オルガン』って、純文学だよな。と、ひとりごちたわけです(声にはしません、アタマの中で)。

俳句全般、純文学とエンタメ(昔なら中間小説・大衆小説と呼ばれていた分野)という二極をもって位置づけることができるかもしれない。

もちろん洩れてくる句/作家、どちらなのか迷う句/作家もあるでしょうけど。

というわけで、『オルガン』は純文学。


では、エンタメに属する句は?

例えば、このあいだ週俳にレビューを書いた大野泰雄『へにやり』なんかが、そう(私の決め方です。いまさらの為念)。

あ、そうそう、サブカル的な句群は、純文学じゃないほう、エンタメに入れていいかもしれません。例えば、だいぶ前に週俳にレビューを書いた岡野泰輔『なめらかな世界の肉』


どれが良いとか悪いとかではなく、俳句は、豊かなバラエティーをもっているということ。

「俳句とはこういうもの」「そんなのは俳句じゃない」とか偏狭なことを言わずに、ひゃあぁ、いろいろあるなあ、ニコニコ、でいいんじゃないかと思います。

ラヴ&ピース!


『オルガン』ウェブサイト

2017/11/14

■案山子と死 『オルガン』第11号より

ぶさいくな案山子に思い出せない死  田島健一

案山子はたいがい不細工。田圃であれを見ると、なんだか悲しい気持ちになる。死もまた悲しい死が多いわけですが、その悲しみとは大きく違う。「思い出せない死」となれば、その悲しみは透明感を増す。こうとは言えない、いまひとつ自分でとらえられないという意味での透明。

ここにあるふたつの事物はおおむね対照的。助詞「に」が問題となるが、場所や所以を示す格助詞よりも、並列助詞(と=and)で読みたくもなる。前者で読むと、案山子の顔と死者の(思い出せない)顔がリンクしすぎるのだ。

掲句は『オルガン』第11号(2017年11月8日)より。



2017/11/13

■勝手に組句:プロペラ

プロペラの句は意外に少ない。

ぷろぺらのぷるんぷるんと花の宵  小津夜景『フラワーズ・カンフー』 

プロペラ機までの日傘をひらきけり  山尾玉藻

胸に聴くプロペラの音夏は来ぬ  10key「東京タワー」


2017/11/12

【お知らせ】11月のくにたち句会

2017年11月26日(日)14:00 JR国立駅改札付近集合

句会場所:ロージナ茶房(予定)。

席題10題程度

初参加の方は、メールtenki.saibara@gmail.com)、電話etcでご一報いただけると幸いです。問い合わせ等も、このメールまで。


2017/11/10

■木枯の季節(というにはまだちょっと早い?)

人が来て木枯しが来てインターホン  伴場とく子

「来て」で対句となった「人」と「木枯し」は、最後の「インターホン」で、どちらも音だったことがわかる。

音も、映像も、クローズアップ。

句としての構成がきちんと設えられています。

掲句は『現代俳句』2017年11月号より。


2017/11/09

■失恋じゃなくて失婚の話のようですね スピカの今月の連載

スピカでの一か月連載、織田亮太朗「まいにちがしつれん」。連載の途中での「謝罪」が入りました。異例ですよね。

2017年11月8日
http://spica819.main.jp/tsukuru/21150.html

スピカ賞 受賞発表
http://spica819.main.jp/tsukuru/21154.html

年寄りがこういうテーマについてなんだかんだ言うのはみっともないし、どうでもいいっちゃどうでもいいのですが、どちらの記事にも「表現」についての謝罪が入っている。

《今後はそういった表現の無いように》《スピカ運営からも不適切な表現の掲載についてお詫び申し上げる》

これを見て、急遽、ちょっと書いておこうと思いました。表現が問題なのか? 違うだろう、ということで。

私が(あるいはSNS上では何人かの人が)違和感を持ったのは、おもに次の二つの記事。

http://spica819.main.jp/tsukuru/21130.html

http://spica819.main.jp/tsukuru/21132.html

違和感をざっくりかいつまめば、前者:句会は婚活の場かよ? 後者:結婚は幸せのゴールかよ? ということ。

(付け加えれば、ご自分の恋愛観・女性観・結婚観を、ややうざったいかんじに周囲に振り撒きまくっていると思しき言動)

いわば、織田氏の考え方やスタンスへの違和感です。表現じゃない。

なぜ、スピカ運営も、織田氏も、表現が不適切だったなんて言い方をするのでしょう(失言政治家がよく言う「誤解を招いてしまった」というのに似ている。いや、誤解してないですから)。

表現なんていう政治的な逃げ方をするんじゃなくて、こんなふうに抗弁あるいは補足するべきなんじゃないか?

A「句会を婚活と考えて何が悪い?」

B「結婚は幸せ(の一形態、一手段)でしょ? ちがう?」

(あえて悪ふざけ気味に付け足せば、「私たちスピカ3名は、俳句で伴侶を見つけ、幸せだ。どんなもんだい? なにか文句ある?」)

Aについては、私も、悪いと思わない。そういう魂胆があっていいでしょう。でも、織田さん、それを公言してしまうのはねえ、戦術的にどうなんでしょう?

句会を、恋愛を、結婚を、どう考えるかは人それぞれですが(私もそんなに道徳的な人間じゃないし)、連載を読んで、「この人、他人を好きになったことがあるだろうか?」とはちょっと思いました。ご自分の幸せのことはわかったけど、相手の幸せはどうなんですかね? ということ。

タイトルは「まいにちがしつれん」となっていますが、これ、失恋じゃなくて、失婚の話ですよね。

Bについては、幸せな結婚もあるし、そうじゃない結婚もある。幸せなときもあるし、そうじゃないときもある、と想像いたします。

まあ、そんなこんなで。

織田氏ができることは、一部読者の(想定される)非難・怒り・違和感を「謝罪」でなだめるのではなくて、以降の連載で自虐芸に磨きをかけること。

読者の何人かが得た教訓は、自虐ネタはむずかしいということ。

スピカ運営がすべきだったのは、著者を守ること(上記選考基準の記事である程度は守ろうとしている)。


ちなみに、どうでもいい話ですが、私は既婚者で、現在も婚姻状態にあります。結婚がいいか悪いかと訊かれたら、「いい結婚、ましな結婚になるよう、それなりにいろいろと努力みたいなものはしているつもりですが、むにゃむにゃ」と答えておきます。

2017/11/06

■合体





2017/11/05

■外階段:相模ダム


相模湖へ(ウチからクルマで近いんですよね)。いわゆる吟行なわけですが、外階段ハンターとしては当然それが目に入る。



2017/11/03

■夕餉のミサイル

夕飯の味噌汁にいくミサイル  柳本々々〔*1〕

味噌汁の具になりにゆくような滑稽味。刻む前の長葱をそのまま椀に突っ立てたような、ね。

俳句だと、この句を思い出す。

空爆や鍋焼うどんに太い葱  下村まさる

奇しくも五七五からは逸れた、いくぶん破調な二句(前者574、後者585)。この手の兵器+食べ物(料理)の句には、《人類に空爆のある雑煮かな 関悦史》もあるけれど、こちらは事象寄り。ミサイルや爆弾のブツ感は薄まる。


〔*1〕『川柳スパイラル』創刊号(2017年11月25日)より。



2017/11/02

■黄緑色

買いたかったものはなかったけれど、その文房具屋は狭く、帳場の主人との距離があまりに近かったために、何も買わずに店を出るのもはばかられ買ってしまった、黄緑色のインク入りの簡易万年筆はあんがい、持っているだけの飾りには終わらず、使ってみましたよ。


2017/11/01

■卵生の石部明

奇想、と述べるだけでは、その一句を語ったことにならない、と言われそうだけれど、奇想そのものに価値があると思っているし、それにね、「きちんと奇想」ってのは生易しくはない。奇譚も同じ。奇想・奇譚を狙ってはいても、結果、「あれれ? それってそんなに『奇』でもないですよ。わりあい順当」という場合も多い。

ボクシングジムへ卵を生みにゆく  石部明

ヒト、卵生、場所の用途。それらが大きくずれ合って、奇妙な世界。伝統的なポエジーからもはみ出す。

掲句は『THANATOS 石部明 3/4』(2017年9月/小池正博・八上桐子)より。

ほかに、

靴屋来てわが体内に棲むという  同

句末の「という」で事態が未来のこと(靴屋の意思)となり、「わが」の私が微妙に軋む。

軍艦の変なところが濡れている  同

軍艦が身体性・有機性をまとい、奇妙にエロティック。



2017/10/31

2017/10/30

■雨の妙見島

葛西駅方面から橋を渡ってまず在るのが「HOTEL LUNA」。



偽の月がのぼる。

「月光」旅館
開けても開けてもドアがある  高柳重信

産廃処理施設やら工場やら、すべて大雨の中。




2017/10/28

■はがきハイク余話

口から何が出てるのか、非常に気になる。

2017/10/26

■遠藤賢司をもうすこし

不思議だ。こんな曲が好きだったりする。



遠藤賢司のアルバム『満足できるかな』は持っていた。当時、フォークソングはほとんど聴かなかったのに。

この曲、扇風機がぶーんぶん♪という箇所が特に好きでしたよ。いま聴いても雄弁な歌唱。なぜかザ・バンドを思ったりする。音の組成は違うのに。


一般論ですが、語るように歌えるシンガー(シャウトしてもバラードでも)、歌うように演奏できるプレイヤーは素晴らしい。そう思ってます。


2017/10/25

■遠藤賢司逝去

遠藤賢司が亡くなった。

デビューから知っているわけですが(世代的に)、想い出深いのは2本の映画(ドラマ)。

ひとつは、NHKドラマ『さすらい』(1971年/佐々木昭一郎演出)。雨の日比谷野外音楽堂で無人の客席に向かって「カレーライス」を歌うシーンは、全篇べたべたに感傷的なこのドラマの中でも特に印象的で、それこそ湿気たっぷりにスーパー感傷的なシーン。

もうひとつは、映画『ヘリウッド』(1982年/長嶺高文監督)。敵役・悪漢役で登場する遠藤賢司は、このなかで「東京ワッショイ」を歌い「歓喜の歌」を歌う。日本一カッコいいロックスターなんじゃないか!(と今でも少し思っている)。

でね、付け加えると、ギタリストとしての遠藤賢司も好きだった。アコースティックでアルペジオを弾くときも(カレーライスのギターはほんとうに美しい)、ロックするときも。

合掌。


真説温泉あんま芸者 第8回 サブカルの夜明けあるいは/しかし映画「ヘリウッド」再見



2017/10/24

■冒頭集:子規

 正岡子規は俳句を文学にまで高めたという。
 しかしそのとき、子規にとって「文学」とは何であったのか。
 子規が俳句について語り始めたころ、日本の「文学」は、ようやくその内実を整え始めたところであった。人々は、一方で戯曲、小説、詩という西洋の文学のジャンルを日本語で表現するための、その新しい日本語を模索していた。
 また一方で、人々は日本の伝統のなかに、その「文学」と呼びうるものを探し求め、どうやら日本古来の詩歌や物語も「文学」と呼びうるもののようだと認知されていくなかで、俳諧ばかりは最後まで疑惑の目を向けられつづけていたのである。
 子規はその俳諧を背負う。そして「文学」の坂道を登り始める。

秋尾敏『子規の近代 滑稽・メディア・日本語』(1999年7月30日/新曜社)

2017/10/22

■雨の林檎 『天の川銀河発電所』より

りんご採る手に雨粒のなだれ込む  堀下翔

劇的なクローズアップ。

それ(とそれ)しか見えない、といった感興を句がうみだすとき、そこにはフレーミングの妙というだけではない、ある種の気概のようなものがある(気概をそれほど大げさに捉える必要はない)。

ところで、少し前に、劇中音楽に2種類があって、

 ≫その場で鳴っているはずのない季語の話

という話をしましたが、この句の「りんご」は、実際に鳴っている音ですね。

ラヴ&ピース!


掲句は、佐藤文香編著『天の川銀河発電所 Born after 1968 現代俳句ガイドブック』(2017年8月31日/左右社)より。



2017/10/16

■雨

よく降りますね。

高きより雨落ちはじむ桐の花  飴山實

きのう若い俳人の口から飴山實の名が出たので引いてみました。

ラヴ&ピース!


2017/10/13

■アイロンのこと星のこと

アイロンの胎内に水春の星  柴田千晶

たしかに水が入っている(入ってないのもあるよ、もちろん)。「胎内」の語で鉄の塊に性が宿る。「春の星」との照応は垂直。構図としてめずらしいものではなく、意図の明瞭さをきらう向きもあろうが、水がやがて水蒸気となり、その一部は空気中へ、空へと、霧消することを思えば、この垂直性は多声的。

それよりも、この湿度。春の星は、四季を通じて最も濡れていそうなのだ。

掲句は『hotel 第2章』第40号(2017年5月10日)より。



ところで、擬人法とアニミズムはときとして似ている。

作句作法上、忌避あるいは慎重を要請される擬人法。特定の句において称揚の脈絡で用いられるアニミズム。その境界は、それほど明確ではない。

アイロンに命が宿る/が命を宿す、という把握は、擬人法なのかアニミズムなのか、といった判断に、おそらくそれほどの意義はない。

擬人法だからダメ、アニミズムだからオッケー、といったオートマチックな判断二分法って、つまんないよね。

ラヴ&ピース!

2017/10/11

■業界最小最軽量「はがきハイク」発送

第17号をお届けしています。

ご興味のある方は、tenki.saibara@gmail.com までお知らせください。すぐにお送りします。

送り漏れも多々。「あれ? 届かない」という方も上記メールアドレスまで。

なお、はがき全体の画像をインターネット/SNSにアップするのはご遠慮ください。なにしろ小さいので全文転載になっちまいます。

2017/10/10

■二円切手 『川柳木馬』第152号の一句

二円切手肩甲骨へ貼ってある  萩原良子

切手代にはじめて半端が生まれたのは1989年4月。消費税3%が導入されて、ハガキが40円から41円へ、封筒が60円から62円へ値上げ。41円切手、62円切手が登場した。以降、切手代は60円ぴったりだとか62円だとか82円だとか、変転を繰り返す。古い切手も手元に残っているので、1円切手、2円切手が活躍する場面が増えた。

掲句、肩甲骨という位置が絶妙で、その斜め上具合(位置の話です)が、それほど突拍子ないものでもなく(実は突拍子ないのですが)、貼る位置として正しいような気になってきます(錯覚です)。

もっとも二円だけではどこにも行けないわけですが。

掲句は『川柳木馬』第152号(2017年4月)より。


2017/10/08

■リアル夫婦喧嘩 山口優夢「殴らねど」10句がナイス

山口優夢「殴らねど」10句(週刊俳句・第539号・2017年8月20日)がとてもいい。

http://weekly-haiku.blogspot.jp/2017/08/10_58.html

夫婦喧嘩の連作なんて見たことないぞってこともあるのだけれど、その筆致。大雑把にいえば写実主義/自然主義の描写。これ、もちろん、ここに詠まれていることが「事実」「実話」かどうか、ではなくて、実話っぽく書かれているということ。

(俳句のリアルに関して重要なのは、事実かどうかの裏とりではなく、書きぶり・描き方、だと思っている)

夏痩せの妻と喧嘩や殴らねど  山口優夢

冒頭で連作の主旨を明示している点、行き届いている。父母を夫婦の参照としているところも効果的。

妻から指をつないで帰る墓参かな  同

おしろいや終はつても済んでない喧嘩  同

ラス前でハッピーエンド(収束)を言っておいて、ラスト「終はつても済んでない」と含みを持たせた構成も心憎い。


ところで、山口優夢には、新妻懐妊を詠んだ「戸をたたく」10句、第一子出産を詠んだ「春を呼ぶ」50句がある。

後者掲載号の後記で、私はこう書いた。
新婚生活を詠み(デレデレ)、お子を授かる喜びを詠む……。/とかく俳句世間には、吾子俳句、孫俳句が毛嫌いされる傾向があります。理由は例えば、そんなこと、こっち(読者)は知ったこっちゃない。/しかしながら、私は、そういう句(ついでにデレデレ句も含め)、アリと思っています。賛成派です。我が身に起こる出来事を句にすること、句にしたいと思うことは自然だし、それって、アリです。/ただし。/ただしです。/万万が一、例えば「離婚」というようなことに、このさきなったとき(仮にです。万万が一です)、そのときは「離婚」を詠んでいただきたい。そこを怠るようでは、俳人の名が泣きます。
離婚詠はさておき、夫婦喧嘩もきっちり10句へまとめあげた山口優夢には、俳人としての(良い意味の)業(ごう)を感じざるを得ない。

ナイス!

2017/10/07

■俳句的ゲシュタルト崩壊

ゲシュタルト崩壊のカジュアルな例として、ある字をじっと見つめ続けていると、「この字、こんなだったっけ?」と、認識が崩れてしまうのが挙げられるんだけれど、俳句にも、ときどき、それに似た崩壊が起きる。

「この句、なんでここに花の名前があるんだろう?」「なんで秋の風なの? なんで豊の秋なの?」。季語だとか取り合わせだとか切れだとか、そんな約束事に実体が感じられなくなると、奇妙な文字の連なりにしか見えなくなる。

別の角度から言えば、一種のジャメビュ。俳句というものが「そんな」かたちをとることをじゅうじゅう承知しているはずなのに、初めて見る異形のように思えてくる。

でもね、それって、身体(読者の身体)の事故でもなく、不幸でもない。潜在する違和感や不審・不信が、身体や感覚に現れたものだと思うのです。

ラヴ&ピース!

2017/10/05

■太陽系と銀河系 『鷹』10月号より

『鷹』という結社誌は、表紙のイラスト(谷山彩子)がいつもキュートで、手にとるだけでちょっと気分がよくなります。


これから寒くなっていくという時季、靴下はうれしい。

ただ、掲載句は、投稿誌/結社誌の常で、夏の句。

銀河系にて太陽に日焼せり  小川軽舟

事実は、太陽系にいるから、なんでしょうけれど、それでは句としてあんまりなので、ちょっとずらして「銀河系」。あたりまえ(A)から半歩離れたA′(エーダッシュ)へ。

ツーシームでボール半個、バットの芯をはずす感じ。

ラヴ&ピース!

2017/10/04

■SLEEPWALK:東京都中央区


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2017/10/02

■窓

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長野県松本市。

2017/10/01

■十月へ

九月が終わった。NHK「ひよっこ」も終わった。たのしく(録画を)観たが、なにしろ登場人物全員が「いい人」で、すべてがハッピーエンド。現実にはあり得ない。

一方、「ウツボカズラの夢」という民放のドラマは、世俗の欲にまみれたどろどろのドラマ。

このふたつを観ることで、精神的なバランスがとれた。あたりまえだけど、世の中、どっちかだけじゃないので。



ウェブサイト「スピカ」9月の連載、小津夜景「かたちと暮らす」も終了。楽しめた。

http://spica819.main.jp/category/tsukuru/tsukuru-ozuyakei

なにがいいって、明るくて、風通しがよいところ。

「明るい」の対義語は「蒙い」。明るさとは、ものごとによく興味をもち、よく知り、よく愛すること。

風通しのよさは、自由。なにごとからも自由。《自分》からも。つまらない因習からも。鈍重な枠組からも。



9月のくにたち句会、無事終了。ときどき思い出したように銘打つ「悪魔のように句をつくり、悪魔のように飲み且つ喰う」だが、みなさんの加齢とともに、また成員の緩やかな入れ替わりによって、悪魔成分が薄まり、アダルトでラヴ&ピースな進行。

句会後は、きのこ鍋メインにいろいろ。きのこ鍋はいろいろなきのこを入れるのがよろしいです。きのこはそれぞれ良い出汁が出ますが、ブレンドの度合いが高まると、なおいっそう美味。


2017/09/30

■地雷の話

佐倉色(さくら・しき)『とある新人漫画家に、本当に起こったコワイ話』(2017年6月9日/飛鳥新社)は、新人漫画家がトンデモない担当編集にぶち当たってしまい、恐ろしくひどい目にあうという実話。業界暴露というよりサイコホラーとしておもしろく読んだ。

登場する担当編集やその上司(編集長)はいかにもいそうで、リアル。マンガという分野、出版という業界に限らず、いわゆる「地雷」被害、この手のサイコホラーな被害と、誰もが無縁ではないということなんだろうと思います。



それはそうと、この本、「字の多いマンガ」と思って読んでいましたが、括りとして、「マンガ形式のエッセイ」らしい。どうでもいいっちゃいいことなんですが、へぇと思いました。

話は飛ぶんですが、福田若之『自生地』。世間では「句集」ということになっているようですが、私の捉え方は「俳句のたくさん入った自伝的青春小説」。


2017/09/29

■ふたつのロゴタイプ

画層をクリックすると大きくなります

2017/09/28

■野麦街道の山栗とかナメコとか

道んとこに置いてあって、箱に代金を入れるタイプ。1袋350円。家で茹でたら、とても美味。


「道の駅」状のとこで買った原木ナメコで、きのこ鍋(舞茸は近所で買った)。こちらもびっくりするほど美味。

秋に中央高速道を走ると、いろいろ美味しいものが手に入るのであります。


【再掲】【お知らせ】9月のくにたち句会

2017年9月30日(土)14:00 JR国立駅改札付近集合

いつもは最終日曜日なのですが、今月は異例。

句会場所:ロージナ茶房(予定)。

席題10題程度

初参加の方は、メールtenki.saibara@gmail.com)、電話etcでご一報いただけると幸いです。問い合わせ等も、このメールまで。

2017/09/27

■外階段:歯科グラフィティ


長野県松本市。

2017/09/26

■鯨はとても大きいという事実 『連衆』第78号の2句 

鯨はとりあえずでかいので、どこにやってきてもインパクトがある。存在感がすさまじい。

天網よりどすんとまっこう鯨かな  谷口慎也

墜ちてくる鯨はかなりめずらしいと思う。

隠喩として機能する句もあるだろうが、そうした喩をしばしばふっ飛ばしてしまう鯨の大きさと重量感に、私(読者)は、ほぉとただ呆けてしまうのだ。

掲句は『連衆』第78号(2017年9月)より。同じ号に、

天の川青い鯨が涕きました  柿本多映

「涕く」は「なく」。

そういえば、句集『仮生』(2013年9月1日・現代俳句協会)に、

  水平に水平に満月の鯨  柿本多映

もありました(≫拙記事:週刊俳句・2013年11月10日号)。



■外階段:奥


長野県松本市。

2017/09/23

■倒れた人 『連衆』第78号の岡村知昭

つまりあのつまり倒れて雨の朝  岡村知昭

のっぴきならない様子。8音を「言い淀み」に使い、なにかと思えば「倒れて」。それはたいへんだったろう。

ふつうこの箇所に季語を持ってきて、だいたいは中途半端になるんだけれど(ちょっと剽軽にまとめたりとかね)。この句は「雨の朝」。〈季語どころじゃない〉かんじが、とてもよく伝わる。で、「雨の朝」がじわじわと長く、こちら(読者)の側頭部あたりに効いてくるのだ。

掲句は『連衆』第78号(2017年9月)より。

2017/09/22

■バーコードの威力 飯田良祐句集『実朝の首』より

バーコードにみじん切りにされました  飯田良祐

刃がより合わさったような、凶暴なかたちを、そういえば、している。

20世紀以降の消費社会、とか言うと、興ざめ? かもしれなくても、換喩としてのバーコード、被害者としての自分。

掲句は飯田良祐句集『実朝の首』(2015年1月/川柳カード)より。


■初

お名前は存じ上げておりましたが、お目にかかるのも食するのも初めてのような気がいたします。


2017/09/21

■屋根の空

画像をクリックすると大きくなります

2017/09/20

【句集をつくる】第17回 詞書のことなど

前記事で紫陽花の句のことを話したのですが、山口優夢句集『残像』が出た直後だったと思う、ふだんあまり行かない句会にお邪魔して、

  あぢさゐはむしろ残響ではないか 10key

という句を投句したところ、向かいに坐ってたおばちゃんに、ものすごく怖い目で睨まれた。優夢くんのファンだったのかもしれません。あるいはその手のもじりに不寛容だったのか。あるいは、ただただつまらないと思ったのか。

ところで、こういう句も、何かの拍子で句集に入ってしまう可能性(危険性)が大いにあって、その場合は、詞書で《ode to あぢさゐはすべて残像ではないか 山口優夢》とかなんとか添えるわけです。

詞書はしばしば愉しい。自分にとって、ということだけれど(≫流体力学10句)。詞書を効果的に配した句集もたくさん見るようになった。


というわけで、ひさびさの【句集をつくる】。ひさびさだけあって、ぜんぜん進んでいません。実際の作業どころか、頭の中でも。

ラヴ&ピース!


九月に紫陽花の話題で、ごめんね。


2017/09/18

■紫陽花が若手俳人のあいだで課題化?

福田若之 〔ためしがき〕自分の書いた句を読みなおす
http://hw02.blogspot.jp/2017/09/blog-post_12.html

こういう自句自解は感心しないけれど、それはまあいいとして、語順については、代替案も含め、どれもそれほど変わらないように思う。

語順によって〈散文的〉〈意味合い〉の差異はわずかに生じるが、〈韻文的〉〈効果〉に大差はない。


それよりも、上掲記事に並んだ紫陽花3句。若い作家3人の有名句。

てざわりがあじさいをばらばらに知る  福田若之

あぢさゐはすべて残像ではないか  山口優夢

紫陽花は萼でそれらは言葉なり  佐藤文香

3句とも、ノリがひじょうに近い。

よくいえば、理知的なアプローチ、悪くいえば、理屈っぽい。

よくいえばリリカル、悪くいえばポエミー。


若手で3人でこのように揃い踏みっぽいとなると、ひょっとして、紫陽花は、楽器の実技試験のおける課題曲のようなものなのでしょうか。

『天の川銀河発電所』あたりで紫陽花の句を拾ってみると面白いかもしれませんよ。

ラヴ&ピース!


2017/09/17

■裏面

画像をクリックすると大きくなります

2017/09/16

■本をあげる

「読み終えた文庫本、なんでもいいから、1冊くれませんか」と知人から言われて、おもしろい頼みごとだなと思った。

「貸して」と言われるよりはるかにいい。

「ください」「はい、あげます」

こういうのがいい。


ただし「なんでも」というのはやはり困る。考えたり探しまくったりしてもラチがあかない気がして、本棚のぱっと見える範囲で、種村季弘『好物漫遊記』。すごい愛読書(漫遊記シリーズはどれも大好きだけどね)。

こんなとき人間て、いまひとつだった本、まあふつうにおもしろい程度といった本は、選ばないみたいですね。

ラヴ&ピース!



2017/09/15

【お知らせ】9月のくにたち句会

2017年9月30日(土)14:00 JR国立駅改札付近集合

いつもは最終日曜日なのですが、今月は異例。

句会場所:ロージナ茶房(予定)。

席題10題程度

初参加の方は、メールtenki.saibara@gmail.com)、電話etcでご一報いただけると幸いです。問い合わせ等も、このメールまで。


2017/09/14

■深淵についてのきわめてスマートな処理

くろは『有害指定同級生』

  
こういうニーチェ形無しの処理法、好きすぎて、自分でも困ったものだ。

ラヴ&ピース!

2017/09/13

■燃やされたり叩き壊されたり。ギターもたいへんです

いろいろと面白い話が聞けました。

福田若之『自生地』刊行記念インタビュー 第1弾
歯ギターは序の口なんです。そのあと火つけるところまでいく。
http://weekly-haiku.blogspot.jp/2017/09/1_10.html

傍流の話題としてそこに出てくるザ・フーのギター壊し。

大好きなエピソードが『ローリングストーン』誌に残されています。

過去記事■ピート・タウンゼントはギターを壊したかったわけではなく壊してたことを50年後の今知り、ザ・フーを一日中聴いていたい気分になっている
http://sevendays-a-week.blogspot.jp/2014/09/50.html

ギター壊れません↓↓↓

2017/09/12

■その場で鳴っているはずのない季語の話

映画音楽を大きく分けると、ふたつあって、

1 シーンの中で実際に音楽が流れる

2 シーンで現実に鳴っていない音楽が付加される

ごくあたりまえの二分法です。

「1」は、酒場に入るとバンドが演奏していたりカーラジオから曲が流れたり。「2」は、例を挙げるまでもない。宇宙空間でシンセシザーが鳴るわけはないし、短距離走のバックに交響曲が鳴り響くわけはない。けど、そのシーンに音楽が足されたりする。

「1」は、実(じつ)の音。「2」は、虚の音と言ってもいい。

多くの映画は、「1」と「2」の両方が出てくる。

で、『地獄の黙示録』の「ワルキューレの騎行」のように、「1」と「2」の区別をうまく利用した趣向もありうるわけで。

ちなみに、昨日の記事、『ベイビー・ドライバー』は、タイトルバックあたりを除けばすべて「1」という点がとてもユニーク。ほんとシャレてる(昨日にひきつづきべた褒め)。


ところで、この「1」と「2」の区別から、季語へと思いが到ったわけです(俳人か?)。

例えば、上五中七に室内のことが書いてあって、下五がとつぜん「星月夜」、みたいな句は少なくないのですが、あれは、映画音楽における上記「2」と解せばいいのですね。ムードを出している。

場面転換にムリのある句ばかりではありません。いわゆる「取り合わせ」の多くが「2」のように思えてきました。

取り合わせで植物、花が出てくる句は、実際、その場にそれが咲いている・生えている、というより、ムードを出しているケースが多い。忌日や記念日も、そのものが詠まれることは稀で、もっぱら取り合わせ。これなど、ムードそのものです。

季語の使用、「1」「2」の両方があっていいのですが、私自身は、なるべく「2」の用法を避けていきたい所存。これはもう数年とか十数年のもくろみであります。

ラヴ&ピース!


2017/09/11

■最高な映画『ベイビー・ドライバー』

エドガー・ライトがつくる映画はどれも大好きなわけでして、『ベイビー・ドライバー』、やっとこさ観ました。立川シネマ2は爆音上映という幸運。

で、この映画、「最高!」を100回言っても足りないくらい最高。

音楽がツボりまくりということもありますが、そんな個人的な事情でなくとも、音楽が物語全体の重要な鍵になっている。

仕掛けが多彩で行き届いている(例えば「BABY」という愛称にもとうぜん意味がある)。構造がしっかりしている。進行にムダがない。スピーディ。なのに映画全体がキュート。

いわゆるクライム・アクションであり、音楽映画であり、恋愛もあり、そして、ひとりの青年の魂の救済であるところの『ベイビー・ドライバー』。極上です。

2017/09/10

■冒頭集:一年C組 榊原玲奈

大きな声じゃ言えないけど、あたし、この頃お酒っておいしいなって思うの。黙っててよ、一応ヤバイんだから。夜ソーッと階段下りて自動販売機で買ったりするんだけど、それもあるかもしれないわネ。家(ウチ)にだってお酒くらいあるけど、だんだん減ったりしてるのがバレたらヤバイじゃない。(…)
橋本治『桃尻娘』1978年/講談社


2017/09/08

■9月は結社勧誘のチャンスだそうです


というわけで、数日前、結社結社と、ツイッターの俳句関連タイムラインがうるさく、とっても気持ち悪かったのですが、若者たちにアドバイス。

「すばらしいことだらけ」と喧伝する結社には気をつけたほうがいいです。ブラジル移民/棄民を称揚した日本政府、北朝鮮を天国のように宣伝した一部メディア、カルトetc、歴史に学びましょう。

あと、特定結社について検討するときは、そこをやめた人の話がきっと参考になります。



結社の人にアドバイス。

学生は年会費タダにすれば(たしか「鷹」はそう)、誰か引っかかってくれるかも。



ところで、私は、前にも言いましたが、現在も未来も結社とは無縁。関心もない。

理由は、「くだらないから」でも、「自分に合いそうな結社がないから」でもありません。

おたがいにニーズがない。それに尽きます。

■愉快なイベントが

あるらしいです。

https://twitter.com/yukioi/status/902083714988965889



「ぺったん詩」ですと。



ぺったん句。

 県民だいすきひややかに放流 10key

 すきま白桃ベランダに備前  同

どこかに発表したい。

2017/09/07

■秋めく切手

切手もまた秋めかすことと、当方では相成っております。


2017/09/06

■昨夜までの枕頭(左)今夜からの枕頭(右)


柳本々々・安福望『きょうごめん行けないんだ』(2017年5月/食パンとペン)は、寝入りばな、半醒半睡状態でも、そうとうなスピード、この本に収められた会話よりも速いスピードで読める稀有な本。なんでだろう? はっきりとした「内容」がないせいかも。

いったいぜんたい、「内容」って何なんでしょうね?(と疑問を呈することでこの本を大いに称揚している)。

2017/09/05

■俳句の自由と不自由

自由律俳句が自由で、定型俳句が不自由だなんて考えている人は、さすがにもういないと思う。

不自由な自由律俳句もあれば、自由な定型俳句もある。vice versa(逆もまた同じ)

俳句の自由と不自由は、律とはまた別のところにある。

自由な句とはどんな句かというと、「とらわれない句」かな? 不自由な句とは「とらわれた句」。

何にとらわれない/とらわれるのかというと、それはもう、さまざまなことに。

その「さまざま」がなにとなにとなにかというと……それはもう、おのおのが自分で考えるべきなんでしょう(マジメにいえば、それでその人の俳句が、作家性が決まる)。

(何も言っていないに等しい記事になってしまい、誠に遺憾)

ラヴ&ピース!

なお、何にこだわるかも、ある。人それぞれ違っていて、これもまたなかなかに重要。

ついでに、もうひとつ。とらわれない/こだわる、その対象・テーマは、ひとりの作り手において、かなり流動的のようですよ。


余談。別の話になってしまいますが、ある自由律俳句の募集要綱に「575は自由律ではないのでダメ」とあるのを見たときは、これって、「ぜんぜん自由じゃないじゃん!」というツッコミ待ちのボケなんだろうな、と感心したことでした。

2017/09/04

■楽器の達者な禿は世界最強

というわけで、中嶋画伯との音楽千夜一夜は、血圧150~300の歌。

http://weekly-haiku.blogspot.jp/2017/09/15the-swinging-boppers-150300.html

2017/09/03

■もう、ね、ぜんぶがぜんぶ、かわいすぎる

≫「かわいいビル」はなぜかわいいのか
http://portal.nifty.com/kiji/170901200560_1.htm



↓こちらは「かわいい」というより、もっと「すっ」としたかんじかな?

2017/09/02

■「発電所」ってところがいいですね

発電所がなんでいいの? と訊かれても困るんだけれど。

『天の川銀河発電所 Born after 1968 現代俳句ガイドブック』(佐藤文香編著/左右社)。収録作家ラインナップを見て、読んだことがないのが多いなあ、という人は買うといいです。オススメ。

なお、外観は書籍(book)だけれど、中身はムック(mook)的。書籍を読み慣れない人にもとっつきやすい。足(賞味期限)は早そうだ。 



頁をめくっていて、引っかかるところが多かったのですが、それは私の感想としてね。「いい本か? よく出来ていると思うか?」と訊かれたら、首を縦に振れない。解説、対談、レイアウト、句群の扱い、作家の扱いetc、これでいいのか、ほかにやりようがなかったのかと思うところが多々。それらはハードウェア・ソフトウェア両面にわたる。

こうしたネガティブな感想・見解と記事冒頭の「オススメ」とは矛盾しそうだが、そうじゃなくて、オススメはするし、たくさん売れたらいいと思う。このあたりは自分で説明が難しい。

ちなみに、巻末の「収録作家分布図」のホット/クール、軽/重のマトリクスに、このアンソロジーをあてはめると、ホットかつ軽。編者・佐藤文香の作家としてのポジションに近い。編者の作家性が、アンソロジー全体の色合いを決めているということで、これは当たり前と言えば当たり前だが。

読者に託す部分があっていいのに(これはクールに属する)、どこまでも世話を焼く感じ。世話を焼きたいのか? 世話女房か?(脱線)

『天の川銀河発電所』は、編者が、よく言えば、がんばっている、悪く言えば、がんばりすぎた、気持ちを反映させすぎた。

でもね、世間は「がんばっている」のが好きなので、「気持ち」が好きなので、前述のように、好感されるだろう。

私の見解・好みはだいたいのところマーケットや俳句世間/世間から遠いので(これはこれで問題)、売れるだろうし(実際、初刷はすぐに売り切れて2刷が出るそうだ)、俳句世間/世間から好感されるだろう。とりわけ、編者や版元がいちばん手にとってほしいと考えているであろう「俳句の外」の人たちに。

繰り返すが、収録作家の多くが未読という人に特にオススメ。私も、まず開いたのは、読んだことがない人のページだった。

2017/08/31

■俳句賞・予備選の「闇」

野口る理さんが俳句の「賞」を取り上げた連載「ほどける冠」意外な結末を迎えたわけですが、途中(8月13日)、神野紗希さんが、さらっと、すごいことを言ってます。



http://spica819.main.jp/tsukuru/20587.html

いくつか要点があって、

1 予備選は編集部も関わるんですね。当然といえば当然ですが。

2 《~みたいな句が入ってると取れない(予備選を通せない)から気をつけて》って、それ、言っちゃうんだ!

後者には、ちょっとびっくりした。オフィシャルじゃなく、応募者個人に、選考基準(っていうほど大袈裟なものじゃありませんが)を、たまたまなのか、わざわざ「これ言っとかなくちゃ」なのかは不明ですが、また、編集部じゃなくて編集者個人ですが。



予備選の過程は、ふつう、公開されない。いわばブラックボックス。どんな作品が合格したかは誌上でわかりますが、どんな作品が落ちたかはわからない(もちろんそこをすべて公開するなんて物理的にムリ)。

ところが、落選展です。

週刊俳句が毎年催している「角川俳句賞」落選展で、予備選を落ちた作品のごくごく一部を読めるようになった。予備選を通過した作品と比較対照できるようになったわけです。これは大きい。ブラックボックスの真っ暗闇だった中身にほんの少し光が当たったわけです。

かすかに見えたものから、何を思うかは人それぞれです。自分の次回応募作の参考にする人もいれば、自分の俳句観との一致・相違を思う人もいる。いずれにせよ、落選展の意義のひとつは、予備選のかすかなる/朦朧たる可視化。これって、存外大きいことなんですよね。

ラヴ&ピース!

2017/08/30

■八月某日某句会

某日、くにたち句会、無事終了。

最初は人数が少なめだったので変則袋回し。

作句一句目は「鬼」の席題で、

  すこやかに三鬼忌を過ぎ夏を過ぎ 10key

時間が経過しすぎ(3~4か月)なので、夏を春に換えて、どこかに残そうと思います。

二句目以降は流れに乗って30句ほど。

途中、若者2名が句会とは知らずに来訪。来たからには作りなさい、というわけで、人数が増える。

句会後の
賜り物のワイン(佳人のたまふ「ラベル買いです。ステキでしょ」)と昨日のカレーを使ったドリア
フィジーリ
賜り物のワッフル




句会後の歓談中、床に置いた私のリュックの上にピーちゃんが坐っていた。すると、ジャーっという音。あらあらあら、おしっこ。ドアが締め切られていて(私たち夫婦の不注意)二階のトイレに行けなかったせい。ちょうど洗いたいと思っていたところなので、句会後、手洗い+洗濯機。とてもきれいになる。型崩れもないようで、さすがTUMI。ピーちゃん、サンキュー。


yuki氏、その日は6時起きで朝練(伴奏の準備)、シャワー、ガッコへ出かけるという強行スケジュール。伴奏をたくさんして、帰宅して、買い物に行って、句会で食べるもの作ってと、忙しく立ち働き(感謝)。

かつ、いつもどおりガンガン呑んで、はじめて訪れた若者(yuki耐性がない)の膝の上にむりやり坐る(こういうの凌辱って言うんでしょ、業界では)等、大暴れ。やがて、眠いのか酔っ払っているのか(きっと両方)、からだがクタっとなったかと思うと、寝室に直行・熟睡。

深夜の散会まで、缶ビールを手始めに、日本酒4合瓶2本、ワイン4本。少人数でこれだけの量。

みなさま、お疲れ様でした。次回はちょっと異例で最終土曜日の予定。

ラヴ&ピース!

2017/08/29

■まちがいを許せないはずがない




こんなアンケートがあったので、「許せる」に投票。

まちがいを「許せない」という選択は、自分にとってあり得ないので、とうぜん「許せる」。許容できる。

(バリバリの一般論です)

だって、誰もがなんらかにまちがうよ。

まちがいとまちがいじゃないものが混じり合った世界に、私たちは暮らしている。

ラブ&ピース!


なお、まちがいをまちがいと認めない態度については、NG。まちがいを指摘されると、攻め込まれているような気になるのでしょうか。「×××××」「それ、ちがいますよ」「え? そうだろうか。まちがいとは言い切れない。なんたらかんたら」「でも、まちがいはまちがいですから」「ぷぎゃー!」。こういうの、この世で何がしたいのかさっぱりわからない。

2017/08/28

■福田きゅんの句集『自生地』落掌

あのね、率直に言って、「自生地」という書名に決めたって聞いたときは、ピンとこなかったし、少し前、amazonにアップされた書影を見たときは、だいじょうぶかと思った(あまりにチャレンジングな帯デザインだし)。

で、昨夜、落掌。

中身より先に本の造りをいろいろと眺めたのです。本文レイアウトはもちろん、目次やあとがき、奥付の処理とか、それはもういろいろ。デザインだけじゃありません。手にどう収まるかとか、ページがどうめくれるかとか。指でなでまわしたりもしました。

おもしろい。

いい。

意識や気持ちの行き届いた造りです。担当編集さん、ナイス。

私は、本の意匠については保守主義なほう、伝統重視、機能が書物の美を促す派。『自生地』のそれは保守・伝統の部類ではないのですが、それでも、ナイスと思った。



帯の惹句を書店員さんたちでまとめたのは良いアイデア。ほかに例を知らない。

表紙の基調色は、amazonで見る書影よりもニュアンスのあるベージュ(個人的な趣味で言えばもっとニュアンスが欲しいけど。質感も含め)。



中身については、まだ途中までしか読んでいないので、またあらためて。

でも、ひとつ。

冒頭の1ページで、ちょっとぐっと来た。

こういう仕掛け方があったんだなーと。



ほかにないような句集ってことは、いろいろな面、いろいろな要素をもって確実で、この『自生地』の成功がほぼ見えた。

中身をこれから読み進めて、私がよい読者になれるかどうか、内容(句群)が私にフィットするか、それらは趣味嗜好やらの偶然に過ぎないから、それほど重大でもない。

ユニークであること。「本」として「書物」として、ほかとは違うこと。

句集はそれを軽視しすぎ、ちがう人の別の句集とページが混ざってもわからないような句集、多すぎ、と再三表明してきた。

『自生地』は、ハードウェア、ソフトウェア両面で、ほかと違う顔をしている。

福田くん、担当編集さん、ナイス!



2017/08/27

■これを外階段とは呼ばない


某日、友人夫婦の行きつけの焼肉屋、荻窪「やま元」で会食。最初にとったネギサラダから最後のハラミまですべて美味。

※写真は友人宅からの帰り道、天沼陸橋への石段。

■もうすぐ句会



句会のたびにまず思うのは「作れるのか?」。これ、ウソでも演出でもなく思う。「ひょっとして一句も作れないんじゃないの?」

だから、一句目を短冊に書いたとき、ちょっとほっとする。

柄にもなくかわいらしいことを言ってるみたいだけれど、こういう心持ちだから、まだ俳句/句会を続けていられるのかもしれませんよ。

ラブ&ピース!

2017/08/26

■ジェンダーなドラマ

『俳句』誌の「男のドラマ・女のドラマ」は、そのコーナー名からして、すごい。

ジェンダーフリー(gender neutrality)が社会テーマとして浮上している昨今、なんとも蒙昧というか、昔の一般週刊誌の埋め草的に下世話というか。

もっとも、俳句総合誌がコア読者を「70代以上・俳句歴が浅い」と設定する以上、こういう、悪い意味で「昭和」な企画もしかたがないのかも。

……と思っていたら、2017年8月号に榮猿丸さん。書き手が異性の物語を取り上げるコーナーとばかり思っていたのは間違いだった模様。同性もアリなんですね。

ナイス。

さらに9月号の小津夜景さんの引用句と文章が素晴らしい。「男のドラマ、女のドラマ」という、どうしようもなくくだらない枠組みに、乗っかるでもなく、乗っからないでもなく、絶妙なスタンス。「男のドラマ」「女のドラマ」といったくだらない枠組みを、こんなふうに無効化する手があったのですね。 

ナイス。

立ち読み、超オススメ。


2017/08/25

■黄色いほうも

昨日の記事に Lack of Afro のブルーの動画を貼ったら、黄色いのも、どうしても貼りたくなった。



ゲストで歌っているジュリエット・アッシュビーについての情報は少ない(私が知らないだけで有名?)。ロンドン郊外の生まれで、エイミー・ワインハウスと親交があった。YouTubeで聴くとレゲエ/スカっぽい曲が多い。この黄色いのは違うけど、とても魅力的な歌唱。

中嶋憲武画伯とやっている音楽千夜一夜に、と、ちょっと思ったけど、情報が少なすぎて、音楽そのものについて語ることになっちゃうのでNG。あれはネタ寄りの扱いだから。

ラブ&ピース!


2017/08/24

■作家アンソロジーに必要なもの

作家アンソロジーの編者/編集にもとめられるもの、というより、私がもとめるもの。

1 見識

最低限でいいんですよね、これは。

2 俯瞰

どうしたって遠近法になるけど、そこにどのくらい俯瞰を盛り込めるか(そこはセンスと覚悟と努力)。遠近法だけなら、結社内とか身内でやってればいい話。

3 誠意

公正はどだいムリ。編者が個人/個人の集まりである以上、個人の判断にゆだねられる。どう選んでも、いろいろ言われる。文句はつきます。そこでだいじなのが誠意。

誠意って具体的にこれこれこういうものって言えないんだけど、かなりだいじ。どんな本も、これがないとね。あ、そうそう、人も、誠意のない人は信用できないでしょ?

なお、「誠意を見せる」など、卑俗な用法と、ここに書いたことは無縁。誠意は見せるものじゃなくて、備わっているかいないか、といったたぐいのもの。


あ、そうそう、忘れるとこだった。最後にいちばんだいじなもの。

4 愛





2017/08/23

■抱き合うこと 『オルガン』第10号より

どこで切れるのかによって、見えるもの、伝わるものが変わってくる句というのがあって、

名のもとに滝ふたり抱き合う構成  田島健一

これもそう。

  名のもとに滝///ふたり抱き合う構成

なら、人がふたりで抱き合っている図。

  名のもとに///滝ふたり抱き合う構成

滝をひとりふたりと数えるかどうかは別にして、私はこちらで読みたい。

「構成」の語(構図ではないんですよね。通例からちょっとずつずらす手法)とのバランスで、滝が抱き合っているくらいのほうがいい。

けれども、ここで「名のもとに」が障る。雄滝雌滝が連想されて、説明っぽい。ううん、悩ましい。

ともあれ、じゅうぶんなワンダーと興趣ある質感を備えた句。

掲句は『オルガン』第10号(2017年8月8日)より。


2017/08/21

■人名って?

福田くんへのインタビューのあと、逆に質問される。私にとっての人名とは何か?

A 俳句における人名

地名みたいなものかも。山や川には固有名があったりするし。

そのものを詠んだり背景だったり、頌/賦(ode)だったり挨拶だったり。


B 菅井きんの歌前田吟の歌における人名

もっぱらナンセンス化のための道具。


C サイト「毎日が忌日」をつくった理由

忌日俳句には消極的・懐疑的。「ナントカ忌って持ってくるだけでムード出しちゃって、それでいいの?」と思う。千を超える忌日(アーノルド・シュワルツェネッガー忌とかレフ・トロツキー忌とか)を並べることで、既存の頻出忌日を相対化・稀釈。

私「忌日俳句が好きなんだろうと勘違いされるんだけど、逆」
福田「それはまた捩れてますね」


【関連】ウラハイ:人名俳句タグ

2017/08/20

■福田デー

某日、福田若之くん、来訪。

ギター(ストラトキャスター)を持って遊びに来たんだけど、ついでにインタビュー動画をつくっちまえということで。

福田若之第一句集『自生地』刊行直前インタビュー
http://weekly-haiku.blogspot.jp/2017/08/blog-post_19.html

晩ごはんはお好み焼き(大好物だそうで、この選択は正解)。

で、福田くんの何が素晴らしいかって、ゴハンの前に手を合わせて「いただきます」をするとこ。




2017/08/19

■誰に向けて書くのか

何かを書くとき、私の場合、想定する読者はひとり。

シノギは別にして、きほん、ひとりに向けて書きます/つくります。

例えばこのブログ記事は、確実に読んでくれているはずのひとり。

(ふたり以上が読んでくれているという確証が得られないという事情もある)



例えば俳句は、自分ひとりに向けて。

「自分」は(物理的に)最初の読者でありますから。

享楽的で自由気ままな、すなわち信頼できる読者であるように、日々努めております。


ただし、句が人の目に触れるとき、連作などの発表時は、不特定の読者諸氏へと想定が切り替わる。この段階は、「書く」ではなく、編集。


俳句をつくる人と編集する人が、べつべつの役割と心持ちをもって同居していることになりますね(俳人は誰もがそうなのだと思います)。

■はや土曜となりたる前田吟の歌

ある日吉高由里子ほほえむCMと法人番号指定通知書  10key

渚まゆみのことが突然話題になる電波が降つてきたかのやうに 同

私性とか前田吟とかうどんとか短歌柳俳ややこしきもの  同


2017/08/18

■鰹のこと 『円錐』第74号より

一日が映画のやうでなく鰹  宮﨑莉々花

映画のような一日なんて、なかなかない(まだ、ないぞ、これだけの期間、生きてきて)。

句の帰着/展開先は「鰹」。どうしようもなく身も蓋もなく、鰹。

鰹のたたきでも食べてんだろうか。鰹は、どう調理しようが、あまり映画的ではない。


しらっと大胆に季語を置いた句は、かなり好みです。鰹も好きです。とくに戻り鰹。

掲句は『円錐』第74号(2017年8月10日)より。

■八月某日のトロワコント

1 一週間以上先の、ある日時にその件は電話で話しましょう、というアポイントがメールで成立。この悠長な、というか懐の深い感じ、わりあい好き。

2 森林太郎(もり・りんたろう)を一瞬「しんりん・たろう」と読んでしまった自分がなさけない、舌を噛み切りたい。

3 自撮りに挑戦。