2017/07/26

■《作者主義/読者主義/いいね主義》by 斉藤斎藤

≫斉藤斎藤さん @saitohsaitoh による「作者主義/読者主義/いいね主義」
https://togetter.com/li/1133663

発端になった「歌会こわい」騒動、これはまあ、どうでもよくてね、例えば俳句の場合、「句会こわい」という人がいたら、もっと怖がるようなエピソードを教えてあげて、おもしろがればいいんです。夜中の怪談話のノリ。それに、自作を評されたり無視されたりを怖がったり、読解をたしなめられるのがイヤという人は、句会に行かないほうがいい。俳句に向いてもいないと思う(俳句の場合ネ。短歌は知らない)。別の遊びを探すほうがいい。

そんなことより、ここで示された《作者主義/読者主義/いいね主義》という三元(trialism)の設定が鋭く、簡潔・明快。

でね、いちおう私の立場を示すと、きほん、作品主義。

一読してすぐ「いいね」を押せる」ものがいいとは、句会という即断を迫られる場においても思わないし(お笑いネタと同列に扱わない)、「一つの単語から連想をひろげ、(作者の意図をはずれた)自由な読みを披露する」ようなことは、「自宅でひとりでやっててください」と思う(だから、例えば「BL読み」に対しては、つまらない冗談を聞いているような態度でしかいられない。「BL俳句」は作者がやりたいのだろうから当然ながら認め、句ごとに反応する)。

作品主義は作者主義に近い(この見解にもまあまあ近い)。

作品主義が作者主義とどう違うかというと、ちょっと微妙かつ観念的・空想的になるけれど、「テキストから「作者がやりたかったであろうこと」を推測する」のではなく、「作品がこうありたいと思うところ/こうあるところ(実現)」に目を向ける。

作品の実現したものは、作者の意図から遠くてもかまわない(作者主義とは異なる)。かといって、読者たる自分の欲望の受け皿にはしない(読者主義とは異なる)。

句(作品)はいわば言語的事実。それは(ちょっと飛躍するようだが)社会的事実/世界の現実と変わらない。(なかば喩えになってしまうが)社会/世界は私(読者)が欲する姿をしてくれるわけではないし、社会/世界の事実を個人的/集合的に作り上げる行為者の意図どおりでもない。

なお、作品主義の態度は、つねに読者たる私の「解脱」を要求するところがあって、自省が必須。同時に、俳句世間的〈内部知〉=作句の抽斗をいったん横に置くという態度も要る(擦り切れた読者に陥らないような努力)。



ところで、読み手たる私は、句会において、句集などを読むにおいて、このふたつでかなり違った態度をとる。

句会は楽屋あるいはワークショップと捉えるので(句会は発表の場じゃないよ)、技術論にもなり、代替案・選択肢もときとして提示する。作者主義に近づく。

そして、大いに反省すべきことに、読者主義者さながら、句を曲解し、茶化すことがないとは言えない。たまにある。いや、もう、ほんと、ごめんなさい。

一方、連作・句集は、楽屋ではない。すでに舞台だから、悦楽・愉楽する気満々で臨む。楽しめない句は心に残さず捨て去り、愉しめる句については、その瞬間瞬間、悦楽・愉楽に身を任せ、ときに悦楽・愉楽の謎に思いをいたらせたりする(レビューを書くときは後者を増幅させ、文章化に努める)。

句会で読むときと、連作や句集を読むときは、まったく異なる態度になるわけですよ、ダンナ。

(ダンナって誰だ?)

2017/07/25

■ペンチ

ペンチがあると、何かないか、と探してしまいます。なんでもいいから、ペンチしたくなる。すなわち、バチンバチン。あるいは、グリングリン。

かわいいよ、マイ・ペンチ。


2017/07/24

■誕生日だけが万人に平等なのかも

誕生日のない人はいないし(わからない人はいるだろう)、誕生日が2つ以上って人もいない。

ほかに平等なことってひとつもなく、誕生日だけ、ということかもしれません。だから、フェースブックで誕生日おめでとうだの、ありがとうだの、鬱陶しいことこのうえないものが飛びかうのでしょう。

ちなみに、嫁はんはフェースブックに登録したものの(私が強く薦めた。ごめん)、誕生日メッセージが並ぶのを見て、即やめた。「こりゃ、ダメだ。耐えられん」

わかる。気持ち悪いもん。

でもね、食べるものやらの暮らし向きに貧富があり、社交に格差があっても、誕生日だけは誰にも年に一度。だからこそ、同調と差異化のゲーム・フィールドたるSNSで、誕生日が重宝なのかも、ですね。

2017/07/23

■居間音楽

居間でふたりセッション。2コード循環、ベースラインと主メロディーだけ前提。テキトーに合わせる(いわゆるアドリブ)。途中に掛け合いめいた箇所も出て、老夫婦の週末、数十分の娯楽としては、なかなか良いものです。

エレピの鍵盤の不具合やら夫婦の会話やらもはさんで10分ほどの録音。




なお、ギター(エピフォン・カジノ)を買って17か月が経過。まだ続けられそうです。めざせ、ファンク。

関連過去記事≫ぼやぼやカレーパン

■いまさらですが、祝フラカン

昨晩のフラカン・パーティーは、いい雰囲気でした。

食べ物も美味しかったし、出席者は、この夜の主役・小津夜景さんと愉しい時間を過ごした(と思います)。



ところで、小津夜景『フラワーズ・カンフー』の歴史は「手のひら返し」の歴史でしたね。

俳壇(大笑い)の、俳句世間の、版元の。


小津夜景の名も『フラカン』も、知らないし、注目もしていなかった。ごく一部を除いては。

出版されると、ネット上でレビューが頻発(わいも書いたで)。それでも、みんな、あんまり知らない状態が続き、やがて、『俳句』誌の鼎談で結社主宰2人が取り上げて、この頃から、いろんなところで手のひらが返り始める。

で、田中裕明賞。これで「手のひら返し」のクライマックス。

読んでもなかった人たち、贈呈されながら頁をめくりもしなかった人たちが、受賞を知ったとたん、賛辞を送り始める。ギャグですか?

俳句世間の評判、エラい人や他人の評価、受賞、どれも、句集と自分(読者)の関係にとって、まるっきりどうでもいいことないのにね(好きなものは好き)。


というわけで、今夕でかける田中裕明賞受賞式@飯田橋では、上に書いたようなことは、ひとことも口にせず、上機嫌で談笑し、飲み食いするつもり。

では、行ってまいります。

2017/07/22

■夕陽の蟇

口中に夕陽まるごと呑んで蟇  三枝桂子

スケール大。蟇には、こうした、のうのうとして泰然たるところがありますね。実景としても、畦か小川のほとり、日がまさに沈まんとするそのときのこと。

掲句は『SASKIA』第10号(2017年6月1日)より。

2017/07/21

■タコ

キーマカレー≫キーマカレー、のあとのタコライス。超絶美味。

(なお、サルサソース:嫁はん特製)


2017/07/18

■夫婦の仁義

某日、嫁はんの生徒さんの発表会、無事終了。


私はプログラムを作り(ワードとエクセルによる原始的製造法)、当日は運転手。夫婦の仁義を通すでございます(年に1回だから自慢にならない)。



■小津夜景×関悦史イベントの速報とか

イベントレポートは都合であいにく行けなかった人には便利かつ親切。速報ならなおさら。

ただし、チェック無しの聞き書きは、聞き間違い、言い間違い、文脈の誤解etcが、どうしても起きる。読むほうに、その心積もりが必要。

ちなみに私は出かけれられなかったので、以下のふたつ、ありがたく拝読いたしました。

togetter 御前田あなた @anata_omaeda さんによる「小津夜景×関悦史「悦子の部屋」イベントで心に残った言葉」
https://togetter.com/li/1131092

かものはし(佐藤文香)小津夜景『フラワーズ・カンフー』イベント「悦子の部屋」のことや極私的なこと
http://aiaccare.blogspot.jp/2017/07/2017718.html

2017/07/17

■鼻のこと 『ぶるうまりん』第34号より

鼻ずるり池の氷が鈍く溶け  井東泉

「氷解く」は初春の季語。

A=Bという構造を嫌う向きもありますが(この句の場合、「鼻ずるり」という現象と氷が溶けることがなんらかの相同で結ばれ、互いに説明し合うような構造)、かなり突拍子がないともいえる身体の出来事と、この季語とのぶつかり具合には、少なからず驚かされました。

それに、切り込み方が図太くて、気持ちがいい。

掲句は『ぶるうまりん』第34号(2017年6月24日)より。

2017/07/15

■大木vs黒揚羽 『なんぢや』第37号より

大木に吸はれてゆくは黒揚羽  下坂速穂

受動態の構文は、黒揚羽の受動と大木の能動を同時に伝え、動きの中で二物があざやかな対照を成す。景の、叙述のシンプルさが心地よい。

世界に(視界に)それとそれしかない/世界はそれとそれで成立している、と思わせる切り取りの明快さは、俳句のあきらかな美点のひとつ。

『なんぢや』第37号(2017年6月10日)より。

2017/07/14

■このところいちばんのお気に入りは

チンアナゴです。

Heteroconger hassi

あまりに好きなので学名まで調べてしまいました。


2017/07/12

■豆本展に行ってきました

佐藤りえさん(歌仙「自転車」連衆)が参加するグループ展「豆本の宇宙 2017」に行ってきました。
https://twitter.com/sato_rie/status/883337818973413376

おもしろかったぁ。

実用から程遠い趣味・審美の豆本には、もともと興味があったのですが、先入見を覆すバリエーションの豊富さ、アイデア、仕上がりのキュートさ。


佐藤りえ作、蝶の詞華集。
同じく佐藤りえさん作。和綴。

カメラ裏蓋を開けるとページが。風古堂製。

飛び出す豆本。マスダユタカ作。

関川敦子作。第二もあるんだろうか?



2017/07/11

■前田吟の歌

気配だけして透明の前田吟八重洲あたりの夏のゆふぐれ 10key

菅井きんの歌が途絶えて久しい。

気になっていましたが、そのまま復活させるのではなく、菅井きんから前田吟へ、ドラマチックでロマンチックな展開を試みようと思います。

俳句を書いていたら(句会じゃなく書いているのです、たまの週末)、前田吟の歌がとつぜん現れたので、スタートさせる次第。


2017/07/07

■蛇と人 月犬句集『鳥獸蟲魚幻譜抄』

洋封筒入り・A6版・20頁(表紙まわり含む)。手のひらサイズの月犬句集『鳥獸蟲魚幻譜抄』。


タイトルのとおり、鳥獸蟲魚のいずれかを詠み込んだ句群。

穴を出て蛇まだ人と遭はぬまゝ 月犬

穴を出ることは、人界へ身を晒すことなのかもしれません。蛇視線が興趣。

2017/07/06

■す~ゔに~るのかいも~の

切手、売ってるんですよ。郵政博物館。

承前≫

紫陽花は来年の6月用です。25円、15円は7円との組み合わせで62円、82円ぴったりにもできて、重宝。余らせてもいいのですが(65円分とかネ)、ぴったりもまた気持ちがよろしいのです。


2017/07/05

■某日、郵政博物館

東京スカイツリーは水族館がよく知られるところですが、郵政博物館がなかなかシブい。小ぢんまりで足が疲れない。人が少なくゆっくり楽しめる。

日本と世界の切手を年代別に整理。見やすい収納・展示。

その数膨大で、何日通っても見きれないであろうほど。

前島密ひとり。切手の肖像と似ていない。

2017/07/04

■曇り方のいろいろ

空蟬の古椅子ほどの曇りやう  青本瑞季

いい距離感の意表が2段階(空蟬→古椅子→曇)。

曇りようはいろいろで、それは程度ということでなくて、さまざまな様態に曇る。

マフラーの巻き方森の曇り方  笠井亞子〔*〕


掲句は青本瑞季「無言でゐる」10句より。
http://kangempai.jp/seinenbu/haiku/2017/07aomoto.html

〔*〕笠井亞子『東京猫柳』(西田書店2008年4月)

2017/07/02

■選者/読者


ひとまず、答えがほぼ出てしまったわけですが。



例えば、句会。俳人諸氏にとって日常的な句会における「選」が、句と自分(読者/選者)の関係のかなりの部分を決めてしまっている側面が、たしかにあります。

でもね、「選者」である前に「読者」でありたいと、やはり願うわけです。「わかる」愉楽、「わからない」愉楽、双方を全身で浴びようとする享楽的読者。

句会は、いや、句会に限らず、俳句を読む、ということにおいては、人(作者)との関係よりも先に、まず、句(作品)との関係があるわけで、ならば、いわゆる「上から目線」、昨今の流行語で言えば「マウンティング」など、みずからのポジションにこだわる/すがる必要はない。

なお、居丈高な「わからない」アピールは、句会よりむしろ何かの賞の選考会のほうが、確率よく見物できます。ま、これは、選者>読者、な態度が求められているので、当然。

しかしながら、信用の置ける選、魅力的な選とは、「しっかりと読者」な人の選である。そう信じております。

2017/07/01

■なぜ俳句世間には鼻たかだかに「わからない」とおっしゃる方が多いのだろう

「わかりません」

これ、おずおずと言ったものです。こどものとき、教室とかでね。

ところが、俳句をやっていると、なんだか居丈高に「わからない」と。そういう場面に少なからず遭遇する。

鼻たかだかに、わからないことがエラいみたいに、私にわかってもらえないような句はダメ、とばかりに。

(短歌や川柳はどうなんでしょう? 句会とか批評文で)


ある一句、あるいは句群、あるにはある作家の作品全体、それらにまつわる「わからない」は、かなり複雑。

また、いろいろと考えたり整理したりしようと思います。


(田島健一さんがしばしば、「わかる」「わからない」問題について書いていますね)





2017/06/30

■あの時期のソメイヨシノ 『なんぢや』第37号より

ゆつくりと吹かれて染井吉野は葉  太田うさぎ

2系統の季語「花は葉に」と夏(初夏)の風に関する「青葉風」「風薫る」を同居させたような句。

ともかく、気持ちがいい。あの時期の爽やかさ、上質の空気が充満している。


掲句は『なんぢや』第37号(2017年6月10日)より。



で、ちょっと話がそれるのですが、韻律の話。

この句は、17音。

これ、16音、つまり、

 ゆつくりと吹かれ染井吉野は葉

としても、違和感のない韻律(に私には思える)。

句跨りで、ときどき生じるのですが、中を6音にするかどうか、という問題。

定型=17音と杓子定規に考えるなら、掲句、「て」が要る。

けれども、「て」がなくても、「吹かれ」の後ろあたりに休符が生まれ、声に出しても、問題がないのですよね。

と、これは掲句の評価とか推敲ということではなく、句跨りって、検討箇所が多くて、おもしろいのですよ、という話。


2017/06/29

■某日、免許更新したり血を抜いたり

某日。運転免許の更新。

府中運転免許試験場までの約6キロを自転車で。

今回は30分講習で済む。ちょうど昼どき。せっかくなので、施設内の食堂へ。

(市役所とかそういうとこの食堂には妙にそそられます。外食の要素って味だけじゃないですよね、ワンダーというかなんというか)

カレーライスの温泉卵のせ。


いまどき見ないような真っ赤な福神漬けが嬉しい。懐かしい味(家庭の味ではない。かつて街の食堂とか学食で食べたような)。

昼餉を終えて、献血へ。試験場玄関にいつもいるのですよ、献血車が。

ところが、午前の献血はすでに終わり、午後の部まで小一時間。では、ちょっと自転車してから戻ってこようということで、東八道路を東進。野川に出て、川沿いに下る。水が少ないですね。涸れてるとまでは言えないけれど。

途中ちょっと川沿いから逸れて野川大沢調節池へ。かなりでかい凹地。このすぐ西には調布飛行場。セスナ見物している暇はないので、ここから試験場へと戻る。


献血車で問診その他。血圧を測ると、いつもより高く、115-70ほど(いつもは高いほうが90を切る)。走ってきたせいか、それとも、ちょっと上がったか。脈拍は高かった(走ってきたせいか、献血ハイ=献血時興奮か)。

めでたく400cc抜いてもらい、ちょっとゆっくりめに自転車を駆って帰宅。

なんだか盛りだくさんな半日。

2017/06/26

■シリーズ第4作は深夜TV:SRサイタマノラッパー~マイクの細道

入江悠脚本・監督の映画シリーズ3本、SRサイタマノラッパー(入江悠監督/2009年)「サイタマノラッパー2 女子ラッパー☆傷だらけのライム」(2010年)、「SRサイタマノラッパー ロードサイドの逃亡者」(2012年)。

≫参照過去記事:観くらべ 第24番 「世界」の作用

その続篇を、テレビ東京の深夜枠で。それがこの『SRサイタマノラッパー〜マイクの細道〜』。

映画3本は、どれも好き。だから、続篇にも期待した。

結果、はじめと終わりが良かったので、オッケー。途中は「細道」の表題のとおり、みちのく道中記。エピソードを並べて、おおむねたらっと進行。映画だとダレること必至だけれど、週一のテレビドラマなら、アリ。

ラス前と最終回に、いよいよのステージ。デビューも出来ず年齢を重ねてしまったラップ・グループ(3名)が最初で最後かもしれない晴れの舞台を踏む。

このライブアクトが素晴らしい。


SRサイタマノラッパー~マイクの細道~ 第11話(最... 投稿者 sapporo096


音楽ストーリー映画は曲や音が良くないとダメ。とりわけ、クライマックスのライブ。ここで観客が絶頂に達しないと、映画全体がダメダメになってしまう。ちょっと思い出すと、『スクール・オブ・ロック』(2003年)、『アンヴィル! 夢を諦めきれない男たち』(2009年)。いずれもラスト近くのライブが素晴らしい。

閑話休題。サイタマノラッパーは、道中、いろいろあったけど、最後、ここまでたどり着いて、「これだ!」と観客に向けて発するエネルギー量。誠によろしうございました。

ヒップポップのこと、あまり知らないので、「ホンモノはこんなもんじゃない」のかもしれない。でも、ここで歌う役者さんたちの(ミュージシャンとしての)シロウトっぽさが、この物語にはちょうどフィットする。

だって、これは「好きで続けてきたけれど才能はない」人たちの物語だから。

そこには、才能があって成功を収めた人たちにはけっして実現できないもの(シンプルに言えば、感動)があるんですよね。

■くにたち句会、無事終了

いつものロージナ茶房が満席で、駅前にある「サイゼリア」というイタリア料理店へ。

活気のあるお店でした。中学生が勉強していたりして、長居しやすい。



句会後はいつもどおりの飲食。

パエーリャの素(スペイン製)は、俳句関係・佳人よりの到来物。美味しくいただきました。




老眼に使っているほうの眼鏡の部品(鼻梁にあたるちっこい部分)の片っぽうが取れてしまった。

くっつかないかなあ、新調かなあ。

ところが、試しに、かけてみると、なんの支障もない。なーんだ、2つも要らないんじゃないか(違うか?)

2017/06/25

■今日はマイケル・ジャクソン忌

だったのですね。

Michael Joseph Jackson(1958年8月29日 - 2009年6月25日)。中3トリオ(森昌子、桜田淳子、山口百恵)と同学年。

素晴らしい音楽業績を残した人。私は「ジャクソン5」時代が好きです。



リミックスで。

■枇杷愛好会 loquat lovers club

枇杷ラヴァーなわけですが、枇杷というもの、アタリハズレが多くて、値の張る品でもいまひとつのことがよくある。

どなたさまかの庭で成ったこの枇杷(盗人したのではありません。到来物)、小ぶりで、よく売っているものの半分ほど。ところが、おごそかにセロファンをかぶった茂木枇杷@紀ノ国屋にも引けを取らない美味しさ。ぎゅっと甘いのでござんす。


2017/06/24

■kinki region : mid-1970s

1975年前後、近畿地方では、R&B、ブルースが、ものすごいことになっていたことを、最近になって急に思い出した、というか、あらためてびっくりしたわけです。

例えば、ウエストロード・ブルース・バンドのライブでのこの演奏。



キング・カーティスの「メンフィス・ソウル・シチュー」をそのままやって、タイトルを京都に換えたもの。

それから、大上留利子が歌うソウル・バラード。



歌唱の素晴らしさだけでなく、バッキングのシブいことシブいこと、同時に音楽的初期衝動も伝わる(擦り切れていないという意味)。

40年前かあ。

ちょっと戻りたい気もする。近畿地方に、じゃなくて、40年前に。そんなこと、思ったことなかったんだけどね。

2017/06/23

■書く

俳句は「打つ」のではなく「書く」、という自分の決めごと。


アタマがよれよれのときは字もよれよれに。そうじゃないときは、字もそれなりに。

心身を確かめるような作業でもあるわけです。

で、赤字を入れたりもする。


2017/06/22

■同調せずに、心地よく

いつの頃からか、歌手(シンガー)あるいはミュージシャンを「アーティスト」と呼ぶようになり、「世界観」という語を社会や文化ではなく個人(の創作)に用いるようになった。一部の傾向、とは言えない、ほぼ全般的なその風潮に、違和を感じ、自分は距離を置くよ、と考えるようになったことは、些事とはいえ、重大な事柄を含むようでもあります。

そのノリには付き合わないよ、という態度は、ふだんかたちにならなくても、ずっと自分の中に流れ続ける(大袈裟に言えば)心拍リズムのようなものです。

《調子を合わせる》ことは、心地の良い暮らし方ではない。かと言って、ことさら異議・疑義を唱えるのも何なので、黙って、同調しないでおく、という(これ、言っちゃったら黙ってることにならないけれど)、ごくごく穏便な無視・無関心という態度が、もっぱら。


ま、それはそれとして、とりあえず、踊りますか。

2017/06/20

■アイドルタイムな某火曜日

オルガンが涼しい。




あ、そうそう。中島憲武画伯との「音楽千夜一夜」;週刊俳句

話題にしやすい、いわばネタ的なトラックを取り上げています。メール数回のやりとりでで完成するこの記事、じつはストックがすでに数本あるという、その場しのぎ(いい意味です)がもっぱらの週俳にしてはめずらしい事態。

なお完結まで20年近くかかる計算。ふたりとも長生きしないといけません。

2017/06/13

■夏ですね


2017/06/12

■自動車教習所俯瞰 『鏡』第24号から

上から見る自動車学校夕桜  佐藤文香

自動車教習所の実習道路は、上から見るとおもしろいんですよね。クランクや小さな坂道が敷地にコンパクトに収まっている。踏切もあったりしてね。似せてつくってあるけれども、ほんとうの道とはずいぶん違う。ちょっと大きめの箱庭のようですよ。

野川沿いの遊歩道を下っていくと、小金井街道とぶつかってすぐのあたりから、小金井自動車教習所がよく見えます。たしかあのあたりの川岸には桜も植わっていたと思う。

『鏡』第24号(2017年6月1日)

2017/06/10

【お知らせ】6月のくにたち句会

2017年6月25日(日)14:00 JR国立駅改札付近集合

句会場所:ロージナ茶房(予定)。

席題10題程度

初参加の方は、メールtenki.saibara@gmail.com)、電話etcでご一報いただけると幸いです。

問い合わせ等も、上記メールまで。

■空の二句 『豆の木』第21号より

手足冷えカラスきれいな空食べる  夏谷胡桃

犬と乗る九月十日の飛行船  上野葉月

空は、空というだけで十全。足すものも引くものもない。それが伝わる句もまた同様に過不足がない。


2017/06/09

■クストリッツァ、ワイルド・バンチ、ロング・グッドバイ、ユリイカ…

が大好き(あ、私が、という話です)。

2017/06/06

■プール 北大路翼『時の瘡蓋』から

夏ですね。

プールにもお風呂のやうにゆつくりと  北大路翼

泳ぎもしない。はしゃぎもしない。ゆっくり浸かる。

年をとると、プールでのこういう過ごし方が、とても気持ちよさそうに思える。

「そんなんじゃあプールに行くことないでしょ?」というのは野暮。

2017/06/04

■金魚

夏ですね。


なお、金魚味はしませんでした。

2017/06/02

■ねむりたい・やすみたい 『豆の木』第21号より

忙しく過ごすのも愉しいのですが、ねむかったり休んだりサボったりも愉しい。

春眠や鳥のかじった押しボタン  三宅桃子

チューリップみたいな顔でさぼりたい  同

ねむりの中に(なぜか)押しボタンがあって、鳥のかじり跡がある(「ついばむ」じゃなくて「かじる」というのが面白い)。ああ、ねむ!

サボりたい人はすでにチューリップみたいな顔になっているとも思う。


掲句は『豆の木』第21号(2017年5月5日)より。

2017/05/31

■虹からふらここへ 歌仙「自転車」解題〔畢〕

七吟歌仙:自転車の巻

承前

ずいぶん間があきました。解題、忘れていたわけではないのです。

(…)

すんまっせん! 忘れてましたぁ!

さて、すでに名残裏に入り、いよいよクライマックスかつ物語の収束へ。 

虹のむかうに靴放り投げ  

全句の「歩」(将棋)から靴。巧みで軽やかな付け筋。



牛頭馬頭とヒッチハイクで品川へ  

靴を投げて行き先を決めたような一場面から、行き先(品川)と同伴(牛頭馬頭)と方法(ヒッチハイク)を指定。現在の品川だけじゃなく、品川宿の趣きも。

もつとひかりを(レモンヱロウの)  

どう付いたのか忘れたが(無責任)、夜になっちゃって道が暗いみたいにも読めて、面白い。ゲーテ臨終のことばが原典だから、名残裏に死はまずい、ということも言えるんだけれど、ここはまあオッケー、と(融通無碍、いいかげん)。

剝落の花となりたるフレスコ画  

ひかりから絵画、それもフレスコ画への展開はきれい。前句のある種破綻から、流れを落ち着かせ、なおかつ花の句として美しい。

千年かけてふらここを漕ぐ  

長大な時間にふわっと付けて、あざやか。「漕ぐ」で、発句の自転車に立ち返り、36句が円環を成す、という、素晴らしい挙句。これにはうなりましたぜ。

というわけで、巻くよりも時間がかかったんじゃないの? という解題。これにて「終わり」でございます。

また、頃合いを見て、巻きたいですね。そのとき、どんな連衆(メンバー構成になるかわかりませんが)、よろしくお願い申し上げます。

■酢海鼠 『クプラス』第3号より

同時代生きてくれたる海鼠に酢  杉山久子

生きてくれたんだけれども、いまはもう死んでる。切り刻まれて、酢のものに。口の中へ、胃袋へ。

口調は心優しいが、つまりは酷薄。

この種の酷薄は、俳句がいいかんじに機能する領分であります。

掲句は杉山久子「穴」より:『クプラス』第3号
http://weekly-haiku.blogspot.jp/2017/05/14_36.html

2017/05/30

■なぜにみなさん、こんなにも「意見」が好きなのか?

むかし、友人が大学で学生にレポートだか試験問題だかを課した。分野は社会科学。テーマは忘れた。なんでもいいや、「家族とは?」とかね。

すると、「意見」だらけのレポートが大量にやってきた。

友人は、目を通しながら、キレた。「誰が『おめえの意見を聞きたい』と言った?」「誰がそんなものを読みたい?」

ちなみに、そこは、いわゆる入試難易度がまあまあ高い大学。

こんなもの読んでられない、もうヤだと考えた友人は、次の課題のとき、「自分の意見を1行でも書いたら、単位はあげない」と宣言したそうな。

友人、ナイス。



社会科学のレポートとはすこし違う話ではあるのですが、福田若之さんの話題沸騰記事、

http://weekly-haiku.blogspot.jp/2017/05/blog-post_14.html

このコメント欄を見ると、みなさん、「意見」が大好きの模様。

「ふくだくんは自分の意見をゆってるからえらい」

「自分の意見」に過度な価値を置くという風習は根強いようでです。



意見をもつ、意見を表明するのは、いいことです。きっと。

でも、記事に意見がなくてはいけない、なんてことは、ぜんぜんない。

「記事に意見があっちゃダメ」とは言いませんが、なくてもいいものです。優先順位はきわめて低い。「意見」が賛成か反対か、是か非か、なら(実際、ほとんどの「意見」はそこに集約される、とどまる)、リモコンの押しボタンや挙手や投票でいい。

この手の記事で、意見に優先するものとして、論理〔*〕は言うまでもないこととして(明快がよろしいです。韜晦、詭弁etcを含んで良し。通しで見て明快なら)、口調・語調の選択(好みもあるけど、軽快がよろしいです)、愛嬌(これは記事や文章に限らず、欲しい。どんなに怒ってても、どんなに悲痛でも、愛嬌がほしい)、笑い(サービス精神は美徳)等々。意見は、それらに優先しない。

(福田記事に、論理は、ある。愛嬌や笑いは足りない)

ともあれ、この「自分の意見」への過信はいったいどうしたことなのでしょう? そう教育されてきたのか? 不思議です。


〔*〕論理の一語が含む要素は多様。理路、課題の整理、論点の整理、敷衍、対象にするものの価値の摘出、同じく齟齬・瑕疵・矛盾の指摘、水平・垂直の参照(つまり地理的・歴史的視野をもつということね)などなど。

■備忘録:回文「昆布烏賊」

回文俳句は、20世紀の終わり頃の一時期、少しだけ作ったことがある。回文大魔王として知られる井口吾郎さんが近くにいたこともあって、たくさん作る気にはならなかった。吾郎さんひとりで供給は足りている。

備忘録として、掘り起こしたマイ回文俳句を。

何億個葬列を連れ嘘こく女 10key(以下同)

「嘘こく」は関西弁。この句が最初だと思う。「嘘こく」でもういっちょ。

馬齢嘘こきあの矢野顕子総入れ歯

こちらは人名も入った。

関西弁だと、

昆布みな猥褻でつせ岩波文庫

これは自分で好き。昆布は猥褻なかんじがするし、岩波文庫とうまく照応。

あといくつか。

魔の言霊いきつつ月いまだ床の間

気圧は苦しきシルク初秋

自由律ふう。

烏賊食はば残るこの場は苦界

椎の実や野分の際の闇の石

季重なりのオソマツ。


2017/05/29

■くにたち句会、無事終了

到来物。虫関連は初体験なれど、美味しくいただきました。


手巻き寿司をみなでたいらげる。


2017/05/28

■素足/裸足の冒険譚 『豆の木』第21号より

素足つながりで。

ハイヒール履いてここまできて裸足  岡田由季

魚のように放つよ夜更しの素足  月野ぽぽな

素足/裸足の解放感。1句目が第一段階、2句目が第二段階。2段式ロケットのように、解放にはずみがつく。

2句並べると、足と肢体の物語のようにも思えてくる。どちらの句もとても好きですが、並べるとさらに魅力を増すのであります。

掲句はともに『豆の木』第21号(2017年5月5日)より。

2017/05/27

■サキソフォニック 『クプラス』終刊号から

ゴーゴーバーとゴーゴー喫茶の違いは、ゴーゴーガールの有無。……かなあ。断言はできませんが。半世紀以上も前の話ですが。

サックスのぐるりに映り素足なる
  阪西敦子

ゴーゴーガールのミニスカート、あるいはパンタロンの中身が素足だったのかどうか。そういう問題ではないような気もしますが。

(だいたいにして、ゴーゴーなんて、この句のどこにも書いてないし)

サキソフォンの外観のテカリ・ヌメリ、音のノタウチに、素足(の動き)が乗っかる。

(「ぐるりに」がいいのです、きっと)

あっさりした作りなのに、サキソフォンのサキソフォンたるサキソフォン性が横溢。



そういえば、ヴァン・モリソンのライブ盤「ア・ナイト・イン・サンフランシスコ」の途中、いったいなんべん「キャンディー・ダルファー!」と叫ぶんだ? というくらい叫びまくる箇所が1曲ならずあって、つまりキャンディー・ダルファーのサックス・ソロのたびに叫ぶ。

むかし、この女性サックス奏者がデビューしたとき、金髪で綺麗なおねえさん、といったルックスのせいで、そうとう軽んじていた。どうせ見た目でデビューができて、人気があるのだろう、といった過小評価〔*〕。ところが、今になってみると、内実(音)がとてもいい。ヴァン・モリソンが名前を叫びたくなるのがわかる気がする。


〔*〕参照:『魅力的な容姿』の科学者 『能力が劣る』と思われやすい研究結果


2017/05/25

■夜の扁桃腺

扁桃腺腫らしてコレコソガ夜  瀧村小奈生

扁桃腺が腫れること=夜。この等式は、たいそうおもしろく、等号記号にあたる「コレコソガ」には、カタカナの使い途だなあ、と感心。

この句を掉尾とする8句連作のタイトルは「射干玉の」。ぬばたまを最後の句で受け止めるという構成。

≫瀧村小奈生「射干玉の」:川柳スープレックス
http://senryusuplex.seesaa.net/article/449482665.html

■甘酒ブーム継続中

嫁はんの甘酒ブームは継続中。

参照記事≫http://sevendays-a-week.blogspot.jp/2017/05/blog-post_4.html

ただし、ブランドに関しては浮気性。


2017/05/23

■続篇が本篇よりも長大かつ面白いという倒錯 福田若之のオモテとウラ

このあいだ、福田記事のダメなところについてちかぢか書くと言いましたが、ウラハイに載った福田若之「〔ためしがき〕滑って転んじゃった話」

http://hw02.blogspot.jp/2017/05/blog-post_23.html

これが面白いので、私のはもうどうでもいいかな、と。

それに、「ダメ」というより、「こういうやり方は好きではない」と思った箇所は、週俳掲載時にはなくなっていた(楽屋話になるが、掲載の前に「読んでくれ」と言われて読んで、すこし感想を伝えた)ので。



ウラハイ記事の細かいところに反応しておくと、
天気さんは僕の書いたものに「《名誉欲にまみれた老人・中年 vs 俳句をことをマジメに愛する》という構図の絵」を見てとろうとしているけれど、これはあまりにもプロレス化しすぎじゃないだろうか。
たしかに、レッスルさせすぎの傾向。私んなかにある。認める。

でも、このツイートの「老人・中年」は、有馬朗人だけではく、その周囲の老人・中年(あるいは若年も含む)を指しています。だから、「有馬さんって(…)見境なしに夢を追っかけちゃってるだけ」(福田)という見方に反対はしない。迂闊な人なんだろうなあ、と想像します(良い意味でも悪い意味でも)。

4団体の人たち全員が、今回の「俳句を無形文化遺産に」の宣言と運動に連なる人たちではあるわけですよ。

現代俳句協会青年部は、今回の件をテーマにシンポジウムを開けばいいのに、ね。

たぶん行かないけど。


もうひとつ。
協会を抜けるというアクションを起こしていた四ッ谷龍さんについては追記して、そもそも協会に入っていない西原天気さんについては何ら追記しなかったのも、結局は、ひとえに僕個人のこの「不安」に関わってのことだったと今にして思う。そりゃ、たしかに「大笑い」だ)
これはもっと現実的にね、個々について「アクションを起こしていた」事実を知るたびに訂正していたら、大変だぞ、という意味合いのほうが強かった(誤解を招きやすいツイートだったですね。私は、いいんですよ。私が協会に入っていないことに、それほど意味はないし)。

それよりも、前の記事で書いたように、ツイート(さえずり)はアクションではない、と捉えるのは、私にはちょっとわからない。こちらのほうが重要。


もうひとつ。

有名人・言論人etcの人名への言及は、呼び捨てが原則。「氏」も「さん」も要らない。

このルール、最近、崩れちゃってるけどね(この話題はまたあらためて)。


最後に、ひとつ。
僕がなんでそんなに「個人の感想」にこだわるのかというと、結局、僕は、それが全体主義的なもの(忘れないでおきたいのは、それがしばしば善意の塊によって発生するということだ)の一切に対する反対物になりうると信じているからだ。
「個人の感想」という立脚点はだいじだと思うけれど、個人がどこを見ているかが重要、という考え方を、私はしちゃう。

「自分」を見ているぶんには、何に抗しても、ルサンチマンをひきずる。

「公共」を見るとき、個人の感想に「義」が宿る。私は、「義」のある見解を支持する。「義」が好き。

もっとも、福田若之はこれを全面否定するかもしれない。それこそが「善意の塊」として機能する全体主義なのである、と。

■続おるがん 『オルガン』第9号より

オルガンの奥は相撲をするせかい  鴇田智哉

やっぱり、オルガンは「野」なのだ。

掲句は『オルガン』第9号(2017年5月1日)より。

2017/05/22

■おるがん 『オルガン』第9号より

あたたかいオルガンのなか迷子になる  福田若之

オルガンに、同じ鍵盤楽器のピアノにはない温かさがあるのは、機構の違い。ピアノは叩き、オルガンは吹く。オルガンの内部に空気を感じるからだろう。

管もまた感じるので、迷子も、よくわかる。

オルガンは野、密閉された野にも似ているかも、ですね。

掲句は『オルガン』第9号(2017年5月1日)より。

2017/05/21

■白鳥✕白鳥✕白鳥 『豆の木』第21号より

『豆の木』第21号から白鳥の句を抜粋。

(暑い夏に向かうこの時季に、どうもすみません)

息深く吐けと白鳥渡り来る  鷲巣正徳

白鳥が来ているセブンイレブンの窓  こしのゆみこ

頭から外れて皿は白鳥に  近恵

身体の深部と飛翔の呼応。えらくカジュアルな窓と白鳥。最後は、脳天から白鳥が飛翔。

3句並べたら、1句1句とは違う、またそれぞれの10句作品とは別の感興が。

■終わり?

週刊俳句・第526号は、
まるごと『ku+ クプラス3号』(終刊号)
http://weekly-haiku.blogspot.jp/2017/05/5262017521.html

揃った原稿を紙にせず、ウェブ(週俳)にして、終刊にすると、信治さんから聞いたときは、びっくりしました。難航はしても、第3号が出て、第4号以降があると思っていたので。

創刊当時のことを思い出すと、「なぜ同人制にするんだろう? 高山れおな+山田耕司+上田信治編集というスタイルのほうがおもしろそうなのに、動きも自由なのに」と、外から見て思ったように覚えています。

終わりの時期には思い出話が多くなります。いつかの「俳人地図」みたいな記事で、

  私「統治の欲望wですな」
  信治さん「意地悪を言いますね」

といったやりとりがあって、それを見た某ベテラン俳人が「信治さんと天気さんは、もうダメなのかしら(関係は修復しないのかしら)」と心配されていると聞き、自分ひとりで大いにウケたことでした。

あと、もうひとつ。「いい俳句」とかいうクソダサい特集を見て〔*〕、急遽、週俳で「悪い俳句」を特集したのも、いい思い出です。


いつか、『週刊俳句』が終わるときは、『終刊俳句』とダジャレかましてほしい、と、この号にある(終刊号)の文字を見て思いましたよ。

クプラスのみなさま、おつかれさまでございました。


〔*〕「悪漢俳句:断章」の最後のほうで『クプラス』の当該特集について言及しています。
http://weekly-haiku.blogspot.jp/2014/04/1986-2-2-1997-2-2-2-10-httpweekly-haiku.html



「まるごと」だけど、クプラス仕様のトップ写真はなく、前から用意していた私の写真。クプラスじゃない人間がひとり混じっちゃって、どうもすみません、という顔をしています、この石。

2017/05/20

■俳句の無形文化遺産登録にまつわる福田記事の良いところ

福田若之さんの記事、
有馬朗人氏に反対する 俳句の無形文化遺産登録へ向けた動きをめぐって
http://weekly-haiku.blogspot.jp/2017/05/blog-post_14.html

この記事で私が良いと思うところは、内容ではありません。「週刊俳句に書いた」ということ。そこに意義があります。

新聞記事・有馬朗人インタビューを私はツイッターで知りました。ツイッターをやっていないけれど、福田記事で、これを知ったという人もいるでしょう。それ、だいじ。いろいろな場所で知る機会が生まれるのは、とてもいいことです。

だから、ツイッターで「言葉少なにつぶやくだけ」(福田)でも意義があると、私などは思うのですが、福田さんはそうは思わない模様(後述)。

ちなみに、「僕にはそのことが有馬氏の発言にもまして不穏なことに感じられる」という福田さんのセンスは、謎すぎて私には理解不能。不穏? 有馬氏の発言にもまして?(たしかに有馬氏は「不穏」というより、単に無邪気に名誉欲や権威に気持ちが向かう感じですが)

むりやり理解しようとすれば、この文言に続く内容、すなわち、つぶやいているだけじゃあダメ、「いいね」やリツイートしてるだけで「いったい何が変わるというのだろう」といった煽りを含む段と呼応しているのでしょう。

このあたりは、文言のクリシェ(紋切り型)というだけでなく、把握のクリシェ、反応のクリシェにも思えるのですが(ツイッターで不安や嫌悪をつぶやく・さえずるだけじゃダメだ! 行動に移さなきゃ! アンガージュマンだ! といった状況理解と提案・煽動のクリシェ)、それは、まあ、いいとして、さて、そこで、福田さんが、どう変えようとするのかが問題になる。

つまり、小津夜景さんが言うように(http://yakeiozu.blogspot.jp/2017/05/blog-post_14.html)「ネットで有志を募って、さっさと四協会に公開質問状出しちゃ」うことも選択肢に含めて(それがいいとは思わないし、私は「有志」にはならないけれど)、今後のこと。

言葉少なにつぶやくだけで済ませてしまっている」と言うのであれば、「言葉多めに書き連ねるだけで済ませてしまう」ことのないような、何か。

でもね、福田記事の結語に、「ひとりひとりがもっと多くの言葉を費やしていくしかないはずだ」とある。つまり、みんなも書いてね、ボクは書いたから、ということのようです。ありゃま、なんじゃこりゃ、へなへなへな(ここ吉本新喜劇とかで使っていたトランペット)となった人もいるでしょう(小津さんもそうだったんだろう)。

けれども、私は、それでも意義はあると思う。最初に書いたように、いろいろな場所に今回の件(無形文化遺産うんぬん)を知る機会が生まれれば。

ただ、ちょっとヘンだなと思うのは、ツイッターでの発言を「済ませてしまう」と表現し、その後を悲観的に捉える一方、ある程度の長文(例えば、今回の福田記事)を「済ませてしまう」とは考えていないように聞こえる福田さんの把握・理解。

いいかえれば、ツイート(広くはSNS?)への差別意識?(ちょっと大袈裟)

私は、週俳記事>ツイート、とは考えない。

例えば、福田記事は、定義が排外を招く、と要約できますが(我流すぎる要約? そんなことはない)、そのことはすでに四ツ谷龍さんがツイッターで簡潔に述べている(前掲福田記事の末尾にリンク)。

長く書くのがいいとは限らない、ということです。

と言いつつ、この記事、ずいぶん長く書いてしまったなあ、と反省。そろそろシメましょう。

週刊俳句に、福田さんが今回の記事を書いたことに大きな意義がある。最初に言ったように、これが要点。アクセス数も多いようで、たくさんの人が、有馬インタビューを知ることになりました。

福田記事のダメなところについては、また後日。

2017/05/19

■殺陣 『豆の木』第21号より

善人も悪人も粉雪のなか  吉田悦花

これはもうチャンバラですね。

句のどこにもそう書いていないけれど。

ところで、映画『十三人の刺客』(三池崇史/2010年)では、松方弘樹ひとりが異次元の刀さばきと動きを見せ、「おお! 東映の伝統!」と観衆はみな感動するわけですが、あの映画に粉雪のシーンはなかった。

掲句は『豆の木』第21号(2017年5月5日)より。

2017/05/17

■ドラッグ解禁


急な話なのではなく、うちではむかしから解禁です。

2017/05/15

【お知らせ】5月のくにたち句会

2017年5月28日(日)14:00 JR国立駅改札付近集合

句会場所:ロージナ茶房(予定)。

席題10題程度

初参加の方は、メールtenki.saibara@gmail.com)、電話etcでご一報いただけると幸いです。

問い合わせ等も、上記メールまで。

2017/05/14

■『蒸しプリン会議』をご希望の方に頒布いたします

『蒸しプリン会議』は、5月7日の「文学フリマ」に向けて拵えた緊急出版。B7判(91×128 mm)・8頁の小さな冊子。

http://sevendays-a-week.blogspot.jp/2017/05/blog-post_4.html

(文フリには行かなかったけど、ちょっと興味ある、という方に朗報)

当日は頒価100円でしたので、やはり有料ということにさせていただきます。ご希望の方は、お名前と送り先ご住所を、tenki.saibara@gmail.com まで連絡ください。お支払い方法は返信メールにてご説明さしあげます。

(100円なら、ま、いいか。『オルガン』はあんなに薄くて1000円もするんだから、という方、いますぐお申し込みください)


色はこうしていろいろあるのですが、どの色をお送りするかはこちらにお任せください(色は選べないぞ、という話)。

『蒸しプリン会議』について、もうすこし説明しておくと、太田うさぎ、岡野泰輔、荻原裕幸、小津夜景、西原天気、鴇田智哉の6名が5句ずつ寄稿。今をときめく注目の俳人から短歌業界・俳句業界のビッグネームまで、豪華な面々に、なぜか私なんぞが混じり、ほんと、不思議なメンバー構成。

題字(小津夜景)や裏モノのビジュアル、そのへんの安物プリンターで出力したかのような印字、ずれてるとしか思えないレイアウト、1冊1冊仕上がりにバラつきのある造本、つまり、とてもキュートな冊子です。


■句会は必要か?

俳句をつくっていくうえで、句会が必要不可欠かどうか。

それは人による。

(あたりまえですみません)

『フラワーズ・カンフー』を読んでいて思うのは、句会って本当に必要なのかな、って。この人の句は句会を通過しているとは思えないから。
小倉喜郎ブログ「HAIKUMAN」2017年5月8日http://haikuman.seesaa.net/article/449698398.html

小津夜景さんの句会経験は私の知る限りリアルで1.5回(0.5回というのは私がご一緒した句会。時間の都合で途中までだった)、ネットで0回。『フラカン』に限らず、どの句も句会を通過していない。

句会をやらない俳人といえば、最近のわりあい近いところで、高山れおなさんと関悦史さんが思い浮かびます(正確な知識ではありません)。

この3人、高山れおな、関悦史、小津夜景に共通するのは、ひじょうにユニークな句集を出していること。ハードウェアをいうのではありません。句がユニーク。類を見ない。

3人の方の句作については評価・好みが分かれるでしょうが、「ほかにない」ということは共通して言える。

こうした事実を踏まえて、まえまえから思っていることなのですが、言語的運動神経が抜群で、卓越した理解力をもっていれば、つまり俳句のセンスが人並み外れて優れているならば、「句会」に出ないほういがいいんじゃないか



句会には、標準化の機能があります。

これによって、はじめは箸にも棒にもかからなかった句作のレベルを、ある程度まで引き上げてくれる。俳句をつくろうとする人の99.9%は人並み外れた俳句センスなど持ちあわせていないので、句会はとても有益です。

一方、標準化は〈ありきたり〉を量産します。真にユニークな句作には、なかなか到らない。

句会では、どうしてもウケる句をめざしがちです。人情として、他人の目・他人の評価を気にしてしまう。〈埒外〉の句が生まれにくい。

〈もともとは誰にも似ていないユニークなセンス〉があったとしても、句会の相互評価のなかでが標準化されていく。結果、うまく行っても、どこにでも一定数いる「俳句のそこそこじょうずな人」が出来上がるだけ。そんなケースが隠れているのではないかと思っているのですよ。

なお、句会を通過してユニークな句作に到達する人もいないわけではありません。為念。

付け加えるに、句会を経験しなければ、誰でもユニークな句が出来るかといえば、あたりまえだけど、まったく違います。他人の評価を濾過しない、箸にも棒にもかからないまま作りつづけることになります。

かなしいっちゃかなしいけれど、本人が楽しければ、それでいいんです。これは皮肉でもなんでもない。そして、本人が楽しいのがいちばん、というのは、句会も同じです。



というわけで、句会三部作っぽくなった。

句会は楽屋・ワークショップ
http://sevendays-a-week.blogspot.jp/2016/12/blog-post_14.html

葬り去る句 句会の濾過機能
http://sevendays-a-week.blogspot.jp/2016/12/blog-post_15.html


2017/05/13

■土竜と鍵盤 『豆の木』第21号より

もう鍵盤がない息のない土竜  宮本佳世乃

ピアノの鍵盤は通常88鍵。下はA、上はC。その範囲の外に行けば、「もう鍵盤がない」。

と解釈してみるものの、この句の前半が言わんとすることに近いかどうか心許ない。よしんば音域の話だとしても、だから何という明示はない。

けれども、この欠損の感触は、妙に身体に来るところがある。

「息のない土竜」の「息」は、声を媒介としてピアノとつながるといえばつながる。超低音域・超高音域まで行かなくとも、声や息が鍵盤についていける範囲は知れている。ここでも、不可能や欠損のイメージに覆われる。

けれども、息の話ではなかった。息絶えた土竜がごろりと転がっている。

俳句の描写がもっぱら対象としてきた景や感情とは別のものが、この句にはあるような気がして、アタマを離れない句。

対句に近いが「ない」の用い方でズレをつくっている趣向も、なかなかにオツ。


なお、宮本佳世乃の連作「おはやう」には、ほかに、《素数から冬の書店に辿りつく》《口中に光る雲雀の落ちてくる》など、いわゆるわかりやすさ・意味了解性を忌避する/から自由であろうとする句が大半。いずれもおもしろく、作者のこのところの充実ぶりが伝わる。しかしながら《鍵盤と土竜》の句に比べて、どこか既視感が漂うのは、前者が「素数」という概念の擦り切れ感、後者が季語の負の働きによるものか。

ついでに言うと、無季の句、

二階建てバスの二階にゐるおはやう  宮本佳世乃

は、田島健一《西日暮里から稲妻みえている健康》を思い出さざるを得ない作り。バカバカしいまでの健やかさという点で、勝るとも劣らず。


掲句は『豆の木』第21号(2017年5月5日)より。

【参考】土竜の句
http://hw02.blogspot.jp/2013/03/blog-post_14.html

2017/05/11

■湖のこと 『豆の木』第21号より

近づいて消えるみづうみ靴の底  山岸由佳

逃水の言い換えとも読める、この「近づいて消えるみづうみ」。「近づくと消える」ではなく「て」という軽い切れでつながれているので、散文的な意味の連なりから、すこしずれる。

いずれにせよ、湖が消えるという事態は尋常ではなく、そうした幻想的な事象のあとに来るのが「靴の底」。親しくカジュアルなブツは、前半との対照であると同時に、「近づいて」を受けて、主体の動きを強調する。

この「靴の底」、いいですねえ。

あるいは、スヴェン・ヘディン『さまよえる湖』で知られるロプノールもちょっと連想したりして、その場合も、「靴の底」へと、はるかなものから足下へと帰結する瞬間が、とてもおもしろいのであります。

掲句は『豆の木』第21号(2017年5月5日)より。

2017/05/10

■ソクラテスから人工知能へ 歌仙「自転車」解題〔4〕

七吟歌仙:自転車の巻

承前

さて。ちょっと間があいてしまいました。

恋から離れるところからです。

剝製のやうに無害なソクラテス  

前句《ふたりで金の孔雀を飼はう え》の孔雀から剝製。「やうに」ではなく、ソクラテスが無害な剝製になっちゃう、という作りでもよかったですね。

そういえば、根津から本郷方面へと降りていく坂の途中に剝製屋がありました。さすが東京大学のそば。由緒のある会社らしいです。

防腐剤から望月こぼれ  

秋・月の座。「剝製」から防腐剤。月から防腐剤がこぼれるという作りにもできますが、ここでは防腐剤から月。袋から満月がひとつころんとこぼれるようで、オツ。

猿酒を譲つてくれるかものはし  

なぜ、かものはしが猿酒を持っていたのか? 謎です。

謎はだいじ。とりわけ歌仙では。

長椅子にぽつねんと虫売  

「譲る」から、席、椅子。虫売りは、いつでもどこでもあやしいので、便利。歌仙のおけるユーティリティ・プレーヤー。「ぽつねん」はあまりに擦り切れた措辞ですが、まあ、許していただくとして、いよいよ、名残裏に突入。

歩を成らす人工知能負かすため  

長椅子から縁台将棋を発想。AI棋士は時事的でもあります。

(つづく)

2017/05/04

■甘酒プリン、および文フリ出展のお知らせ

最近の嫁はんのブームは甘酒。


ショットグラスでぐびっとひとくちで。

このブーム、いつまで続くことやら。

でもね、大正屋醤油店のこれ、ほんと、美味しいんですよ。



『蒸しプリン会議』は「文学フリマ」向け緊急出版。B7判(91×128 mm)・8頁の小さな冊子。頒価100円。

某日、これを自室で作る。レイアウトして安物のインクジェットプリンターで出力して、折って切って畳んで。

太田うさぎ、岡野泰輔、荻原裕幸、小津夜景、西原天気、鴇田智哉(アイウエオ順)という謎の構成メンバー。

だいたいにして「蒸しプリン会議」という名称がヘン〔*〕、冊子の体裁がヘン。掲載句もみんなちょっとヘン。

なお、5月7日(日)当日、週刊俳句のブースには、生駒くんと福田きゅんがほぼ常駐。私は開店の11時と閉店・撤収の17時には確実にいます。

17時以降、打ち上げを兼ねて、その場にいる人と句会・飲食がしたい。気が向いたら、17時の前に、会場へ、週俳ブースへ、おいでください。いっしょに遊びましょう。


〔*〕この名称、かなり好いております。

2017/05/03

■夏が

駅裏のへんな形にからまった自転車を見て泣いたはつなつ  佐藤りえ

夏が来ますねえ。

掲歌は佐藤りえ歌集『フラジャイル』(2003年11月/風媒社)より。


2017/04/30

■文フリ?

皆目見当がつかない新しい文化/文化流行というものが多々ありまして、「文学フリマ」もそのひとつ。

今年、週刊俳句も出展する運びとなり。

http://weekly-haiku.blogspot.jp/2017/04/57.html

興味津津で出かけます。


2017/04/29

■おはぎ日和(きなこ)

曇ってようが雨降ってようが、曲名(曲じゃないけど)はぜんぶ「~日和」。

2分43秒。ボリューム注意。+リズムボックス君。指弾き。E9th(ホ長調)。めざせ、ファンク。

2017/04/28

■梅と干満 『面』第121号より

梅ひらき干満ひそかなる敷居  渋川京子

梅と海からは、金子兜太の有名句に思いが到る(俳句愛好者の多くがそうだろう)。この句では、敷居(内と外の閾)が汀。梅ひらく「外」と家たる「内」。その境界に「干満」がある。現実とマボロシのあいだをしずかに往還するような句。

掲句は『面』第121号(2017年4月1日)より。

2017/04/26

■妖しい 鴇沢正道『トランス★フォルム 変換』

緑陰に少年は一本のフルート  鴇沢正道

秋風や罰の如くに蒙古斑  同

毬に化けてしばらく温き幼女かな  同

この3句だけを抜くと誤解を与えるかもしれない、と言いたいところだが、鴇沢正道『トランス★フォルム 変換』は、たしかに妖しいところのある句集。上掲一句目の隣には《夏痩せの少年抱けばシャボンの香》もありますし。

作者は1932年生まれ。第一句集のこの本の後半には論考も収められ、とりわけ「文学の中の数学用語」(およそ30p)は、俳句に多く見出される「ベクトル」等の用語にまつわる話題から、フランス現代思想での、言ってみれば安易な数学用語の援用(濫用・誤用)への科学者の批判(ソーカル事件)まで、広汎な視野。たいへん興味深い論考。

ついでに、ここに引かれた「数学俳句」も。

南柯がぽあんかれーらいすで恵比寿る  加藤郁乎

亀鳴くや双子素数をゆりかごに  鴇沢正道


2017/04/20

【お知らせ】4月のくにたち句会

2017年4月30日(日)14:00 JR国立駅改札付近集合

句会場所:ロージナ茶房(予定)。

席題10題程度

初参加の方は、メールtenki.saibara@gmail.com)、電話etcでご一報いただけると幸いです。

問い合わせ等も、上記メールまで。

2017/04/17

■とある四月の日曜日、暑いくらいの陽気のなか、週俳10周年記念オフ会に


足元にこだわりました。誰も見ていないところなので、そこに。

いつおろそうか考えていたグレーの靴。スエードだけど冬の感じじゃない。で、この日に。



承前

昼間の歌仙のお手伝い。誰が集まるのか把握していなかったのですが、若手の精鋭たちとオトナひとり(りえさん)を連衆に得ました。哲郎さん(なむさん)の捌きは、若い連衆の迸る才気を懐深く受け止め、なんということでしょう、終了の17時まで時間を少し残して、巻き終えました。

「挙句まで行きたいが、きっとムリだろう」と考えていたのですが、その予想・願望を成果が上回った。

この歌仙の模様は、週俳の来週号で。



懇親会ではいろいろな人にお会いできましたが、ご挨拶しそびれることも多く、そのだんの失礼はご海容いただきたく。


2017/04/15

■明日16日は『週刊俳句』創刊10周年記念オフ会

お知らせはこちら↓
http://hw02.blogspot.jp/2017/03/10416.html

参加表明なしで、ふらっと寄っていただいてかまいません。



昼間の連句(歌仙)は、佐山哲郎さん(烏鷺坊さん)を捌きにお迎えして、私は補佐します。別室で同時開催のいろんな句会も覗かせてもらおうと思っております。

あとね、句集とか置いています(販売なわけです)。

各著者からウチに送ってもらった句集たち。箱詰め途中↓

現代俳句協会が4月22日(土)にやる勉強会で取り上げる句集(『ただならぬぽ』『虎の夜食』『然るべく』『フラワーズ・カンフー』)。フラカンはサイン入り。

関悦史さんの最新刊2点、『花咲く機械状独身者たちの活造り』『俳句という他界』。

金原まさ子さんの『カルナヴァル』は、信治さんと私が編集した関係で置かせていただきます。

連句でお世話になる佐山哲郎さんの『娑婆娑婆』。

週俳が作った本3点、『俳コレ』『子規に学ぶ俳句365日』『虚子に学ぶ俳句365日』。それと、拙句集『けむり』(手元の残部僅少)も。

(上田信治さんの句集が間に合わなったのが、個人的にひじょうに残念)



あとは夜の懇親会に持ち込むワインなどを買えば、準備完了。

2017/04/13

■土手の桜


多摩川土手。福生付近。

2017/04/11

■コシノビルから孔雀へ 歌仙「自転車」解題〔3〕

七吟歌仙:自転車の巻

承前

私たちは産業革命以降の世界に生きているわけです。これは、じつに、もう、ほんとに。

  鉄球にびくともしないコシノビル  え

前句の羊から、「囲い込み」、さらに鉄へ。歌仙「自転車」は、名残表に突入。

コシノビルはデザイナー姉妹の自社ビルにも思えるし、地方の小ぶりなテナントビルにも思える。腰が強いという連想はさておくとして、鉄球でのビル解体、まだ実際に目にしたことはないのですが、壮観だろうなあ。



  重力の罪深き木星  之

鉄球から重力へ。鉄球も木星も球体だから、ここはツキスギだったかも。

さて、木星は「柄」的にかなり好きな星。重力についてもちょっと調べてみましたが、いろいろありました(よくわかっていないときの常套句「いろいろ」)。「罪深き」という語の古色蒼然ぶりがオツ。

  たはむれのはじめにめくるカレンダー  乙

木星からカレンダーへ、すっきりとみごとな付け方。シンプル(付け筋が明白)でいて、場面展開に軽い意表。

付け方はいろいろあるのですが、個人的には、ひとりの頭の中の連想を複数重ねるような、伝言ゲームで数人を経るような、ややこしい付け方は好みません。外部にあきらかなゲーム進行が好みです。

なお、「たはむれ」の部分は、具体的に何のはじめかを示す手もあったと思います。

さて、そこから突然、

  褌みせてくれるんでせう  オ

恋の座、それもBLの座。予定外でしたが、捌きとしては予定外は大歓迎。流れのままだと、歌仙ってつまらなくて、事件・事故があったほうがいい。

  汝が胸に吾が息 とほく泳ぎきて  気

ちょうど私の番だったので、思いきり愛し合ってみました。

  涼気を運ぶ短波放送  鯨

「遠」あるいは海から放送(英語 broadcasting が含む broad の部分が好きで、放送の翻訳語はここが欠けてるよなあと、いつも思います)。

恋の座のあとは、恋の気分を引きずらず、別の空気を持ってくるのがいいのですが、「涼気」はそれにかなっているような、別のほうがもっと離れるような。このへんのあんばいはむずかしい。また、個人の判断。

  恋文にじらさないでとだけ書いて  景

で、またすぐに恋、こんどはヘテロで、という捌きからの要望に、いっけん慎ましい。でも、これ、恋文という仕掛けがそう見せるだけで、内容は、ぜんぜん腰が引けていない。

  ふたりで金の孔雀を飼はう  え

恋の返しとして、ちょっと身をかわして、それでも前向き。この恋は結婚まで行きそうです。「金の孔雀を飼う」はどこかの国・どこかの文化のイディオムみたいな趣き。良い意味で虚構的な味付けがふんだんに施されました。

(つづく)

2017/04/10

■はがきハイク・その後

もともっちゃん、ありがとう!

https://twitter.com/anata_omaeda/status/847750751866597379

皆さんから、たくさんのお便りが。


はがきが届くと、はがきを書きたくなる、というのは、やはりあるみたいです。スネイル・メールもまた愉しき哉、であります。

余談。タイトルの「ねむれ巴芹」は、4句目から取ったものとお考えの方が多いようですが、逆で、タイトルを決めて、それから、それ含みのこの句をつくりました。「はがきハイク」はタイトルをまず決めて、ということが多いのです。数秒でつくったこの句が他に比べて人気が高いのは、皮肉というか、俳句はそんなもの、というか。

2017/04/09

■ぼやぼやカレーパン

ギターを買ってから15か月が過ぎましたが、まだ続けております。

習い事ができない性分で(単に怠け者)、運指がどうのこうのと言われても、そんなもんいまさら動かない。ピッキングという技術はとても重要で、難しいのですが、あるとき、「ピックを使わないのも面白い」と、妙なことを思いついて以来ずっとピック無し(最近、ピックの練習も始めました)。つまり、この年齢になって、楽器を楽しむのに、きちんと習い、きちんと練習するのももちろん素晴らしいのだけれど、それは人による。自分は、万事がそうですが(俳句も、そう)、テキトーで気ままがいい。

1 カレーパン日和

晩御飯の前に20分ほど、嫁はんと合わせました。時間は、これを超えると体力が持たない(自分でもびっくりするくらいひ弱)。

老後の娯楽として、晩飯前セッションというのは、わりあい良いのではないか、と。

キーだけ決めて(これはD)、嫁はんが好き勝手に始めて、私が適当に合わせるという段取り。セブンスっぽく伴奏を付けたら、嫁はんのほうが合わせてくれた。めざせ、ファンク。

いわゆるその場のアドリブですが、曲名があったほうがいいので、「カレーパン日和」にします。夜にやってるけれど、日和。ついでだから、フリー動画ソフトでカレー色にしてみました。




2 ぼやぼや日和

少し前(この1月)、ひとりで遊ぶのにちょっとステキなコード進行を思いついたつもりでいて、よくよく考えてみると、40年前にやった「Take Me With You」(サンタナ)のキー違いだった。「これがボケるということか?」と、ちょっと怖い思いを味わった一瞬でした。

曲名は、いいのが思いつかない。「ぼやぼや日和」(仮)。全体にぼやっとしてます。ぼやっと暮らしています。




3 Take Me With You

ついでだから、元曲を合わせてみましょうか、と、嫁はんにコード進行とリズム、4小節ぶんのテーマを説明。いきなりでも、サマにしてくるのがすごいなあ、と、音楽教育を受けていない私などは思うですよ。

2017/04/08

■あまり変わっていなかったりする




2016年8月28日 10時15分 撮影 ↓



2017/04/06

■失われた夏 『や』第70号より

バス降りて昔の道が炎天下  関根誠子

バスという日常的な言いぶりからすると、「昔の道」とは個人の記憶の中の道をさすのだろう(史跡や歴史的街道ではなく)。

夏、とりわけ炎天と懐旧が結びつくと、感慨は濃く深くなる。

(夏って、なんであんなになつかしく、また喪失感と直結するのでしょう?)


掲句は『や』第70号(2017年3月10日)より。

2017/04/05

■寂聴から羊毛へ 歌仙「自転車」解題〔2〕

七吟歌仙:自転車の巻

≫承前

第八句と第九句は、恋の座。

  いまふられたら寂聴になる  オ

寂聴には吃驚。次に付ける/恋を返すのは私でした。寂聴になられちゃあかなわないので、最大限の契り。

  離さない死ぬまでもとい次の世も  気

恋のセリフは既製品が多い。独創もいいけれど、伝統は尊重すべき。


はからずも、オーティス・レディングで踊る瀬戸内寂聴を頭に描いてしまい、とってもファンキーな気分になりました。

さて。

  宇宙の塵をさらふ蜘蛛の囲  鯨

恋の座からきれいに離れていただきました。「離さない」から蜘蛛の巣は巧み。

  はつなつの下宿でめくるトムキンス  景

宇宙からトムキンスはやや近いのですが(かつ、前句の種明かしのようにもなり、その点、少々まずいのですが)、下宿という外界中の外界にまで降りたところがよかった。

  神田川から酔拳の声  え

下宿と言えば、神田川。ですが、作詞:喜多条忠/作曲:南こうせつ、発売は1973年。りえさんはまだ生まれてなかったのでは?

そこでまったく余談的に思い出すのが、りえさんの「俳人と南こうせつは、妹といえば必ず『妹よ』」という名言・名指摘(たしかツイッター)。俳句で「妹よ」と出てくると、げんなりします。

私は下宿経験がたんまりありまして、最初は四畳半・家賃8,500円。寒かったですよ。石鹸ではなく歯が鳴りましたよ。

閑話休題。次は、冬・月の座です。

狙撃より確かで冴えてゐる月の  之

前句の酔からは、月の宴全般、いかようにも付くところでしたが、ここは酔拳から狙撃。「の」止めも次を促す、連句特有の収め方かもしれません。

俳句ではやらないようなことをやるのも、連句の楽しみ方のひとつですね。

  凍土の中を進むマンモス  乙

月の座、花の座のあとは、その季を2句ほど続けるのがマナー。狙撃対象が象牙目的の密漁ならぬマンモスというわけで、凍土とマンモスで手堅い冬の句。「中」がミソで、化石が動き出す感も漂います。

  留置所で教へてもらふのりピー語  オ

「いただきマンモス」って、もうみんな忘れているでしょうけれど、思い出せてよかった。ちょっと調べてみると、酒井氏の拘留期間はおよそ20日間だったみたいです。長い。司法制度、見直さないといけないですね。取調官がのりピー語を習得するのには充分な期間ですが。

  三日三晩を汽船に揺られ  気

三日三晩は72時間。勾留期限でもなく、なんでこれを付けたか、忘れました。捌きがいちばん無責任でちゃらんぽらん。

  国産みの火山にかかる花の雲  鯨

汽船の蒸気から火山。巧み。火山神いざなみの登場から、

  まづ新婦から羊の毛刈る  景

晩春の季語をもってきた新婦のこの行為、ほんとにどこかの儀礼にありそうで、おもしろい。そういえば、ニュージーランドも火山国ですよね。

ここまでで初折の表と裏が終わり、名残に突入です。

’(つづく)