2016/07/31

■低血圧かつ距離感 『週刊俳句』運営のポイント

≫柳本々々:脱力かつ努力かつあとがき
http://yagimotomotomoto.blog.fc2.com/blog-entry-1463.html

そういえば、そんなことを、週刊俳句スタート当時に書いたような気がする。


週俳のポイントは(何度か書いているけれど)…

1 燃費のいい運営 低血圧経営〔*1〕ともいう

2 複数でやる

1については、仕事一般と同じ。実行とそのための手順をどう設計するかにかかっている。

2は、求心力を避けるために必要なこと。ひとりじゃ絶対やらなかった〔*2〕。同時に、心の安らぎでもある。運営数名の距離感もいいんでしょう。


きっとまだ続くんだろうなあ、と。来春は10周年ですぜ。オフ会の企画もゆっくり進める。

その前に第500号ですね。これも燃費のいい特別号にしたい所存。


〔*1〕実際、私は血圧が低くて、上が90前後。過日、ある人と話していたら、その人もそれくらいの低血圧だという。ほかにも似ているところがあるという話になって、兄妹? と勝手に思ったことでした。

〔*2〕週俳のスタート時の作業は、ひとりでしたが、これは、合議だとスタートに手間取るから、という理由(これは存外大きい)。ひとりで始めたとしても、ひとりで続ける気は端からなかった。誰か加わってくれるという確信。果たして、程なく複数運営となりました。

2016/07/30

■頸 松下カロ『白鳥句集』の一句

頸だけの白鳥頸のないヴィナス  松下カロ

鮮烈な併置。

欠損がむしろ、両者のイコンとしての強度を際立たせるかのようです。頸も胴もある白鳥とヴィナスを並べても、この句のような感興は生じません。


掲句は松下カロ句集『白鳥句集』(2016年7月/深夜叢書社)より。





2016/07/29

■ちりめん山椒2016

承前実山椒とりはずし大会2016

今回は白ダシで。



嫁はん、いい仕事した! とても美味。

2016/07/28

■ふつうに




この「普通に」は、わりあい早い出現。特に俳句においては。

そのときは何となく聞き流したのですが、「ふつうに面白かった」の「ふつうに」って何だろう、とふと思いました。村田篠 週刊俳句・第468号 後記
http://weekly-haiku.blogspot.jp/2016/04/468_10.html

■野口毅さんの「色と遊ぶ」in神戸

野口毅さんは野口裕さんのご子息。野口裕さんは以前、週俳に「林田紀音夫全句集拾読」を寄稿いただくなど大変お世話になりました。

関西に暮らしていたら、ぜひとも出かけたい展示イベントです。


2016/07/27

■ことば遊び讃

俳句において描写を重視する流派(その描写だったら写真や絵のほうがいいんじゃないの?といった混ぜっ返しは置いておいて)にも、人間や人生こそが俳句で語るべきものとする流派(いったい関心を寄せるに足る人間なのか人生なのか、との問いは置いておいて)にも、「ことば遊び」は軽視される傾向にある。

でもね、私は、ことば遊び、好きですよ。ことば遊び、バンザイであります。俳句でことばを遊べているなら、それで充分。ほかに何も要らない。

もっとも、遊んでいるつもりで遊べていない句も多いんだけれど。

で、その関連で2冊。


山田航『ことばおてだまジャグリング』(2016年4月/文藝春秋)はすでに一度紹介。『倉本美津留の超国語辞典』(2015年12月/朝日出版社)は扱う単位が短く「語」がもっぱら。どちらもぱらぱらめくるに最適。


2016/07/26

■走り出す句集 樋口由紀子『ゆうるりと』

「も」は俳句ではたいてい失敗するのですが、

なわとびの輪の中からも発破音  樋口由紀子

この「も」は愉しい「も」。そこいらじゅうで発破音がしていそうです。

この句のある樋口由紀子第1句集『ゆうるりと』は1991年発行。第2句集『容顔』(1999年)の8年前。

人差し指が輝くときに旅に出る  同

足裏はいくら拭いても花曇り  同

干したままのハンカチがある私の胃  同

むらさきの廊下がつづく昼の喉  同

このあたり、世界の眺望・世界の感触と身体感覚が交接する妙味。

で、

ピストルが鳴らないうちに走り出す  同

こういう人、大好き。

待っていることはない、走り出せばいいのです。

(もっとも、走り出したはいいが、すぐに止まっちゃう人も多いのですが)

で、四方八方、発破音がしたりしてね。


この句集、『ゆうるりと』と言いつつ、とりあえず走るよ、いろんなことは走りながら考えるし、ってな感じです。「樋口さん! これ、ダメでしょ?」てな句もあるし、ちょっと私の趣味嗜好がうけつけないたぐいの恋情・情念の句も少なくないのですが、きほん、走ってくれているので気持ちがいいのですよ。

■鏡・天使・カオス



週刊俳句・第483号に「八田木枯の一句」を書きました。
http://weekly-haiku.blogspot.jp/2016/07/blog-post_24.html

田中惣一郎さんが前回まででローテーションから外れ、次のどなたかまでの繋ぎっぽく。


木枯の研ぎたる鏡かと思ふ  藺草慶子『櫻翳』

八田木枯さんへのオード。



某日。北大路翼『天使の涎』田中裕明賞受賞を祝う飲み会(in 神楽坂の一本東の坂道)。

その模様は、こちら(↓)ほか。
http://satoayakatoboku.blogspot.jp/2016/07/2016725.html

はい。カオスでした。

しかしながら、もしカオスでなかったなら、それがむしろ意表であり、『天使の涎』的には予定どおりの夜であったでしょう。


というわけで、7月も深いところまで来てしまったのに、まだ梅雨を抜け切らない。


その週末のヘビロテ。





2016/07/25

■橋ラヴァーの「いちばん」

多摩川の架橋でいちばんキュートなのは、丸子橋です。

いちばんせつない(意味不明)のは、ガス橋です。


検索はこちら。≫丸子橋 ≫ガス橋

丸子橋は、構造的には「鋼ローゼ(2連)+3径間連続PC箱桁橋」だそうです(ちんぷんかんぷん)。アーチが美しいことはもちろんですが、注目は、歩道の手摺部分の柱。この写真がわかりやすいかな?

ガス橋がなぜせつないかというと、むかし、夕暮れ時に、この橋の横を通りかかったとき、ちょうど、クルマのラジカセから Tom Waits の Take It With Me が流れたから。泣きましたぜ。

丸子橋でもガス橋でもありません。
何橋か、忘れた。

2016/07/24

■有名句と類似の句が出てきたとき


選者の顔ぶれは存じ上げませんが、これは、もう、全員辞任レベル。

ただし、ややこしい問題は残る。

もし、《かくれんぼ四つ数えて春が来る》なら、どうでしょう? 賞うんぬんは別にして、寺山修司句の「もじり」と解せないこともない(私は解する。良いもじり、巧いもじりかどうかは別にして)。

なお…


(ここで話がすこし変わるのですが)

…生駒大祐氏のこんな試みがあります。

≫俳句ガイドライン板 http://desk-w.bbs.fc2.com/

生駒氏による広報・ガイダンスはこちら2本。

http://weekly-haiku.blogspot.jp/2016/07/blog-post_44.html
http://weekly-haiku.blogspot.jp/2016/07/blog-post_68.html

俳句におけるパターンの相同、ネタの類似(反復性)、もじり・パロディー・オマージュ等々はすべて別のことと考える私としては、これ読んでも、まだすっきりしないけど。

とくに、次の部分。

それによって俳句の持つ法則性のようなものが炙り出され、さらに僕の直感が正しければ、ある閾値以上の面白さ(そこに関しても別途議論が必要ですが)を持った句群の全てを有限の型で分類できるはずです。

ここで、ひとつ思うのは、

法則性や型は、過去。面白さは、未来。

ということでしょうか。

そして、もうひとつ思うのは、

生駒氏の分類した「句群の全て」の外にある句を、面白がる・快楽する用意が、私にはある。

ということです。


過去を知ることは大事ですが、現在生まれる、明日生まれる面白さに機敏に反応できる運動神経のほうが、既存の分類や評価よりよほど大事(と私は思っている)。そのほうが、愉しく暮らせます。

(ごめん。自分が愉しいかどうか第一主義で、ごめん)

(過去の俳句について私は、人並みくらいに知っているつもりだし、人並み以上に尊ぶ。為念)


それにしても、「ある閾値以上の面白さ」とか「良い俳句」(クプラスへ流れ弾)とか、選別や評価に気持ちが向くのは、いったいどうしたことでしょう。

評価と批評は別物ですよ。

批評とは、寓話的にいえば、《あ》と一音の「俳句」があったとして、それを、そのおもしろさを、あるいはそのダメさを語るものでしょう?


ちなみに、俳句において「型」を重視する気持ちや趣味嗜好はわかるんだけど、結果として、その脈絡にある句は、「俳句想望俳句」。マニアック(固有名詞的には「イコマニアック」)で面白い面もあるんだけれど、ちょっと見方を変えると、小賢しくて、退屈、かなあ。で、その「退屈」に価値を見いだしたりもして、それがまた小賢しいのですよ。


ともかく、いろいろ展開(袋小路も含め)のあるテーマではあります。

2016/07/23

■12色

大昔に買ってほとんど使わないまま残っていたインク。

ペンに充填せずに、ペン先につけて使ってみようか、と。


ところが、蓋がびくともしない。

叩きまくって、力ふりしぼって、なんとか2つは空いた。

ううむ。

ドリルで穴を開けるしかないか?


新しく買えばいいんじゃないの? というアドバイスは、却下。

2016/07/22

【句集をつくる】第15回 限界点

今月つくった句は例えば、

海を見てすこし昼寝をして離婚 10key

まだ離婚していないので、これはウソ。発表してはダメということにもなるが、作中行為者を自分と読ませない方途はあるのだろうか? あれば採用したい。

(実際に離婚してしまうという方法は、チャレンジャーすぎるので却下)


あるいは、やはり今月。

さはやかに脱税をして伝統派 10key

こんどの句集にはいろいろな句があっていい。とはいえ、一定の線は引いておかないといけない。ギリギリを見極める作業は、ぞんがい難しい。


ところで、(下世話な話ですみません)、イメージとしてのお金持ち具合は、

 歌人>伝統派俳人>川柳作家>ふつうの俳人>前衛派俳人>詩人

あくまでイメージです。四方八方、ごめんなさい。


【過去記事】
「お金持ち俳句」コレクション
http://sevendays-a-week.blogspot.jp/2015/10/blog-post.html


なお、「お金持ち俳句」で検索していたら、カードローンのポップアップ広告がやたらと現れ、人生の悲哀がしみじみと。

■バロン吉元は全人類必読

なぜ無料で読めるんだろうと思いつつ、未読だったので、読んだ。

バロン吉元 17歳シリーズ
http://mavo.takekuma.jp/title.php?title=60

で、やっぱり好きだ、バロン吉元が、と、あらためて。


余談ですが、最近のマンガと比べて、コマ割りや話の進め方がシンプルで読みやすい。感情が入っていきやすい。




2016/07/21

■脚韻「り」

ウラハイ「句集の読み方 その5・書名」で、野口る理『しやりり』に触れたのですが、これ、脚韻になっているところがミソ。

のぐちるり・しゃりり

3音+5音構成なので、アタマの5音+4音を考えれば、著者名・書名を詠み込んだ句にもなる。

西村麒麟さんが「かなりむりやり野口る理」とかやりそうなほど、「り」の脚韻は、野口る理氏的に汎用性が高い。


でね、こんな句もあるわけです。

めりめりを探し続けて三千里  くんじろう〔*〕



〔*〕柳本々々 【希望の川柳 十二日目】希望のこと、めりめりのこと-くんじろう-
http://yagimotomotomoto.blog.fc2.com/blog-entry-1453.html

2016/07/20

■水の音 『豆の木』第19号の一句

噴水の音は途切れて石の中  近恵

噴水がやむとき、水が噴出口に吸い込まれるような感じ。そのとき音も一緒に(土台の)岩の中に閉じ込められる。微妙な瞬間・空間を呼んだ句。語順を換える(「音」と「途切れて」の位置)手もありますね。


プールからあがる大きな音をたて  同

こちらも音の句ですが、読み手の意識は、身体のクローズアップへと。

聴覚的なようでいて、じつは視覚的な句。


掲句は『豆の木』第19号(2015年5月5日)より。

【過去記事】
日常と祝祭 『豆の木』第19号の一句
すじりもじり運動 『豆の木』第19号の一句
置く眼鏡 『豆の木』第19号より

2016/07/19

■音楽で食べようなんて

音楽で食べようなんて思うな蚊  岡野泰輔〔*1〕





なんか泣ける。こんなんで泣いてはダメだと思いつつ、泣く。

「サイテー」は、ときとしてせつなく、ときとしてなかなかに素晴らしい。





〔*1〕岡野泰輔『なめらかな世界の肉』(2016年7月/ふらんす堂 )

2016/07/18

■髙柳克弘『寒林』を附箋だらけにした

読み始めてすぐ、附箋の色分けを使いたくなり、お気に入り(従来のピンク)の別に、分類や要素を見ながら、結局、4色使い、5種類に。


ちなみに、各附箋の目安は、ブルー:概括、黄色:乱暴、グリーン:視座。どれも自分にしかわからない鍵語。さらに四角い附箋は別枠でメモ。二度目を読むときは、これをさらに腑分けする手も。



第一句集『未踏』から、変化があるように思いました。ある部分の増幅かもしれません。この変化・増幅が、私にはとてもおもしろい。

『未踏』は、「好き」とは断言できなかったけれど(もちろんりっぱな句集です)、この『寒林」は、断言できそう。趣味嗜好的にうけつけない句はたくさんあるけれど、これ、好き。

具体的に句をあげたり、何がおもしろいかは、ここでは言わないけれど、ひとつだけ。季語が、しばしば、ヘンと絶妙の微妙なとこをついてくる。そんな瞬間、えらくコク深いのですよ。


■日常と祝祭 『豆の木』第19号の一句

いわゆるハレとケ。このふたつは小さな往還を繰り返すものでしょう。


あたたかや畳の上の日曜日  岡田由季

オーディナリー感とスペシャル感の微妙なあわい。心地よい時間の流れ方。

紙ふぶき拾へば四角秋祭  同

祝祭感から、「四角」で脱魔法。


句がドアとなって、読者は祝祭部屋と日常部屋を行き来するわけです。


掲句は『豆の木』第19号(2015年5月5日)より。


【過去記事】
すじりもじり運動 『豆の木』第19号の一句
置く眼鏡 『豆の木』第19号より

2016/07/17

■those lazy hazy crazy days of summer

週刊俳句・第482号に連作「かの夏を想へ」を掲載させてもらっています。

http://weekly-haiku.blogspot.jp/2016/07/4822016717.html

「菅井きんの歌」シリーズの本邦初公開(初出は『連衆』第72号〔2015年10月〕。転載を許可いただいた『連衆』誌に感謝)。

このところの「やりたいこと」をかなりの程度実現させた連作(出来がいいって意味じゃないです。やりたいようにやったという意味)。ご笑覧いただければ幸甚です。




2016/07/16

■組句:劇団員

喫茶店のカウンター横に置かれたチラシ、チラシを置くようなところだからコーヒー店チェーンでも純喫茶でもない、店主の趣味が色濃く店内の隅々に反映されたような喫茶店なのですが、そのチラシの一枚が、残念ながら聞いたことのない劇団の公演を告げて、俳優陣の顔写真が妙にたくさん並んでいたりする。やはり誰ひとりとして見たことのない俳優陣の上段には主役級の、世間でいえば美男美女、中段あたりには、剽軽な表情をつくった役者。そのなかから、近い将来、私たちがテレビや映画で目にするような人気俳優が生まれるのかもしれず、否、すでに演劇界では広く知られた俳優さんが微笑んでいるのかもしれず。

私自身は、チラシに目をくれても、実際に足を運んだことはないのだけれど。


劇団に芽生えし恋や扇風機  髙柳克弘〔*1〕

劇団の子の垢抜けぬ水着かな  岡野泰輔〔*2〕


〔*1〕髙柳克弘『寒林』(2016年5月/ふらんす堂 )
〔*2〕岡野泰輔『なめらかな世界の肉』(2016年7月/ふらんす堂 )



■西瓜トーストな日々

杉並在住現代俳句系新仮名遣い女流俳人よりの賜り物。


2016/07/15

■エルヴィン

メールアドレスやIDがふと気になってしまうことがあります。例えば関西俳句協会の三木さんのツイッターIDにある「elvin」の文字。

推測としては、

エルヴィン・ジョーンズから 4割
エルヴィン・ビショップから 1割
両者とも無関係 5割

と見た。

希望としては、大穴のエルヴィン・ビショップ。


エルヴィン・ビショップで「一番」はベタなロカバラッド  Fooled Around And Fell In Love。コブシの効いたギターソロは2分25秒あたりから。

2016/07/14

■風船男 『里』2016年5月号の一句

風船と気づかぬままに何年も  喪字男

何かが風船であることに気づかないなんてことがあるだろうか。少なくともカタチのあるものなら、風船とわかるだろう。

それは、つまり、自分のことと解した。

自分が風船であることなら、何年も気づかないまま過ぎても不自然ではない。


気づいてしまった現在の心境。

私には、よくわかります。


掲句は『里』2016年5月号より。

2016/07/13

■コンプリート!

『あらくれし日月の鈔』に続いて、八田木枯句集『於母影帖』(1995年/端渓社)をゲット。限定200部とあるので、出回ること自体きっとめずらしい。おまけに新品定価の値付け。日本一ラッキー

これで6点揃いました。

さて、ブツですが。


布貼りの函。絹? 何織だ? 浅学無知がうらめしい。てらてら、きらきらしとります。


表紙は和紙。重厚。藍と薄いベージュのコントラストが鮮やか。装幀家の名を探したが、見つからず。


そういえば、毛呂篤『悪尉』『灰毒散』(≫参考記事)も端渓社。三橋敏雄『真神』端渓社版はまだ見たことがない、見てみたい。


2016/07/12

■この選挙の「どんより」要素

今回の参院選、自民党支持率・年代別を上から並べると(日経出口調査)、

 20歳代 43.2%
 30歳代 40.9%
 18~19歳 40.9%

若い人ほど自民党支持という傾向。

オトナ・年寄りがSNSでさかんに「若者よ、自民が勝つと日本がやばい、投票に行け!」とアナウンスしていたけど、皮肉な結果。

要因が背景はわからない。事は単純ではない。想像するに、憲法や戦争や人権といったテーマにそれほど切実感がないと同時に、いまの世の中をギリギリでいいから維持してくれるのは自民党だという判断が優勢なのかもしれない。言い換えれば、多くを望まない。オルタナティヴ(野党勢力)で一か八かチャレンジする時ではない、という判断。「勝ち過ぎはよくない」といった「バランス感覚」的配慮もそれほど働かなかったのだろう。

猿丸さんがタイミングよくキンクスの曲 Young Conservatives をツイート。
https://twitter.com/micropopster/status/752523986928431104

  革命はオワコン♪(註:ネットスラング)
  怒りは姿をくらまし
  反逆なんてもう古い



話変わって、例をふたつ。

トンデモさんA 「神武天皇は実在」の三原じゅん子氏

トンデモさんB ユダヤ陰謀論、人工地震、不正選挙、EM菌、ホメオパシーetc、トンデモてんこ盛りの三宅洋平氏

どちらを支持するか(当選落選の違いはあるがどちらも一定の支持を集めている)、あるいは、どちらにゲンナリするか、といった選択が存在するかに見えて(いわゆる右vs左)、いや、そうじゃなくて、これはもう、どちらもアウトでしょ、と。

気分がどんよりしてしまう点、どちらも同じだけど、どちらのトンデモが、私たちの暮らしに大きく覆いかぶさるかといえば(もちろん悪い意味)、三原氏のほう。理由は簡単で政権担当政党の所属だから。加えて、神武うんぬんは、政権与党の「日本会議」的成分の一端という点。

ちなみに、発言だけで言えば、神武以来の(神話って言うなら神話を含めた)日本の歴史を踏まえた憲法というのがあっていい、という三原氏のほうがまだマシ(賛否ではなく、トンデモ度という点で)。



社会がいろいろな方向に引き裂かれて、格差とも階層とも違う、新しい「溝」ができてしまった感。

「とっくに終わってるんだよ」的な諦観、虚無に逃げこむのも癪だし。

どうしましょうね、ほんと。

バカみたいに、健やかに、心優しく、愉快に。同時に、冷静に。

俳句的信条と生活信条の一致かな、個人的には。

■私たちが突入する高齢者ゾーン:後篇

老いの景色。


新家完司句集『平成二十五年』(2013年3月/新葉館)の27ページに並んだ3句。

高齢者諸君もうすぐ砂漠です  新家完司

名案はないかゴミ箱のぞき込む  同

そうですね味方はやはりお金だけ  同


砂漠かあ。


2016/07/11

■私たちが突入する高齢者ゾーン:前篇

「年寄り」という語を他人事のように使うと、たちまち自分に跳ね返ってくる、そういう微妙なお年頃なわけですが。

TBSラジオの午前が、この春からずいぶん変わった。30年続いた「大沢悠里のゆうゆうワイド」(4時間半)がなくなり(週一土曜午後に移動)、そのかわりに「伊集院光とらじおと」「ジェーン・スー 生活は踊る」。出演者が若くなった。それ以上に、目を見張る(耳の話だけど)のが、もっぱら洋楽が流れるようになったこと。

AMラジオの午前といえば、昭和歌謡やらJポップばかりだったのに、今では、ほとんど洋楽。ヒット曲ばかりではない。かなりシブいところもオンエア(昭和の言い方?)される。

これ、番組のターゲットが変わったわけではない。ワイドFM化で、既存FMのコアユーザー(比較的若年)の取り込みもあるけれど、それよりも、AM本来のユーザーが世代交代した、ということだと思います。

先日はマイケル・フランクスが流れてきて、「おっ、なつかしい」と思った。そんな私の世代が、高齢者=AMラジオの午前ユーザーのゾーンに入ってきたということなのです。

ビートルズには間に合わず、ウッドストックにはぎりぎり間に合った世代が60歳を超え、「年寄りの風景」に加わった。

誰でもそうだと思いますが、自分が自分に思う年齢は、他人が自分に思う年齢よりもずいぶんと若い。その誤差の修正を強いられる瞬間、老いを自分から気づく瞬間は、なにも鏡ばかりとは限らないという話。ごくごく一般的な話。


なお、「現在、日本では4人に1人が高齢者」というときの高齢者は65歳以上。統計的には、ゾーン突入はすこし先。

■風景の物語 特集「BARBER KURODA」の件

週刊俳句・第481号でちょっと風変わりな特集「BARBER KURODA
http://weekly-haiku.blogspot.jp/2016/07/barber-kuroda.html

発端は「解題」に記したとおり。

原稿依頼に際しては、写真3葉を添付、内容・スタイルともに随意との要綱のあと、「ただし、ご自分に何が期待されているかのニーズ把握はしていただきたく存じます」という、編集者として極悪非道な一文を添えたのでありました。

2016/07/10

■大正昭和 『面』第120号の2句

『面』第120号(2016年7月)より。

大正はみんなお化けや逢ひたしや  加茂達彌

ラジオから昭和歌謡やもうねむい  三橋孝子


いずれも無季。1句目は夏といえないこともないけれど、むりやり有季に読むこともない。

〈逢いたい〉〈ねむい〉に、思いが強くにじむ。


ちなみに「大正昭和」で画像検索すると、同じ調子のイコンが並ぶんですけど? 



2016/07/09

【句集をつくる】第14回 本という器

造本や装幀はデザイナーさんの仕事。希望やアイデアは伝えますが、私のできることは知れている。それでも興味はあるので、すごく興味があるので、その手の本を手に入れました。


本文用紙の見本が付いているところなど、これはつまり、プロ仕様。

そそられる。プロじゃないけど、そういうハードコアなノリは、そそられる。

造本と謳う以上、ふつうの造本にはしないぜ! という心意気。表紙(上の写真だと赤い部分ネ)を最小限の大きさにして、束(つか)を見せる(下写真)。


ちょっと『けむり』にも似ている。

世界の変態的造本も紹介。



ぶわっと膨れてしまう袋綴じとか(↓)、すごいぞ、ドイツ。


佐藤文香さんの句集『君に目があり見開かれ』(2014年/港の人)の出版祝賀会でお会いした装幀家・吉岡秀典さんも、装幀寄りの話題で紹介されています(↓)。



造本や装幀、凝って、どうするの? 要は内容(俳句)でしょ? という意見もありましょうが、「要は俳句」ならば、本にすることもない。

ブツとして句集を作る以上、ブツにこだわりたい。

夢は膨らみます。

膨らませ過ぎて、またもや、「じつは、句集つくる気、ないでしょ?」という声が聞こえてきそうです。

■家族? 憲法改正とポンコツ映画その他

家族家族、家族愛家族愛、言う映画にロクなものがない。だいたいはポンコツ映画です。



ところで、いま話題の憲法改正。悪評紛々の自民党改正草案。第二十四条(家族、婚姻等に関する基本原則)は、こんなぐあい。

http://tcoj.blog.fc2.com/blog-entry-24.html

家族は、社会の自然かつ基礎的な単位として、尊重される。家族は、互いに助け合わなければならない。」との前文を追加。

現行の「婚姻は、両性の合意のみに基いて成立」の「のみ」が削除され、「婚姻は、両性の合意に基づいて成立」。

噴飯物の前文もさることながら、「のみ」の2文字削除は、ぞんがい大きいそうです。カジュアルにいえば、ふたり以外も口を挟める。

個人が見いだされ、人権が獲得された、というのが、歴史の大きな流れだと思っていました。この改正草案は、百年以上過去に後戻りしたような感じです。

憲法改正一般について、私の見解は、「変えたほうがいいとこは議論して変えたらいいんじゃないの。ただし、現政権による改正は絶対ダメ」というもの(この意見、わりあい分厚く存在すると思っています)。事態を硬直化させる「護憲派」には与しないけれど、だからといって、いまの政権に改正やらしちゃ絶対ダメ。それは、この改正草案・第二十四条だけを見ても明らか。

「家族」を、乱暴に称揚されても、困っちゃいます。この「改正草案」のおかげで、映画やドラマの「家族愛」への嫌悪がいや増してしまった。



で、ちょっと別の角度から。

竹井紫乙句集『白百合亭日常』の18ページに並んだ3句。

北極へ時々行ってしまう母  竹井紫乙

現れてみたり消えたりしてる父  同

リビングで暗い未来が咳をする  同

コクのある家族像。

ポンコツ映画が謳う「家族愛」からは遠い。

なお、3句目、「暗い」とあるのに、あまり暗い感じがしないのは、句の並びのせいかもしれません。どこにも行ってしまわない母、現れっぱなしの父のほうが、よほど暗い。


家族にも家族愛にも、昨今いわれるところの「ダイバーシティ」を期待したい所存であります。

2016/07/08

■陰謀論、スピリチュアル、健康詐欺・治療詐欺……もうガタガタになっちゃったのかなあ?

幼稚な陰謀論、スピリチュアル、健康詐欺・治療詐欺etc、いわゆるトンデモで片付く物件を、「この人は理性的なはず」と思っていた人たちが支持する。ほんとにせつなく、暗澹たる気持ちになるですよ。

トンデモはいつの世もあるんだけど、知人が、となると、ね。

そっとしておくのが最善策なんだろうけど。


社会がガタガタになっちゃったような気がする。

Medeski Martin & Woodでも聞きながら、夜を過ごしましょう。

2016/07/07

■七夕の遊び

故郷では七夕は8月。だから、今日が七夕と言われてもピンと来ないのですが、こういう遊びがあるのか。↓


きらいじゃありません。

ただし、「たなばたぼたもち」より、「たなからばたもち」のほうが、〔わけわからない餅〕感があって、好き。

※上掲は近恵たん(はじめての呼び方。新鮮)のFB。

それで、気づいたのですが(なにが「それで」なのか不明)、七夕は「あ段」のみで成立している。

山田航ことばおてだまジャグリング』(2016年4月/文藝春秋)には、同じ段の音だけで文章を組み立てる遊びが紹介されている。あ段の例文は、「画家・ナターシャ=パーマー」から始まり「わが宝だ」で終わる。200字をゆうに超える長大なもの(同書p173)。

俳句は短いのでラクに出来そう、と思ったが、

七夕やまだ柔らかな浅間山  とか

神奈川は七夕さらばジャガー和田  とか

七夕やパパは朝方から裸  とか。

あんがいむずかしい。すごくむずかしい。



あ、そうそう。この本には、一音を入れ替える「スプーナリズム」という遊びもあって、それでいけば、

棚からぼた餅 → ぼなからたたもち

もっとわけわからない餅になってしまう。

2016/07/06

【お知らせ】7月のくにたち句会

2016年731日(日)14:00 JR国立駅改札付近集合

句会場所:ロージナ茶房(予定)

席題10題程度

句会後の飲食もよろしければどうぞ(会費アリ)


ご参加の方は、メール(tenki.saibara@gmail.com)、電話etcでご一報いただけると幸いです。

問い合わせ等も、上記メールまで。


今月は24日(日)に北大路翼『天使の涎』・田中裕明賞受賞祝賀があったりするので、早めに告知。


■相変わらず句集を読みます

A 句を読む

B 句集を読む

このふたつは自分の中で大きく違う。

〔A 句を読む〕とは、ふだんから句会で、雑誌で、インターネット上で、数多くの句を目にする。句(俳句・川柳その他)を親しくしている。

〔B 句集を読む〕が〔A〕と違うのは、本を読むという行為だから。読む「対象」の相違ではなく、こちらの「行為」の相違なのでしょう。


このところ「週刊俳句」で句集レビューを立て続けに書かせてもらっています。

世界のありどころ 岡野泰輔『なめらかな世界の肉』の最初のページを読む
http://weekly-haiku.blogspot.jp/2016/07/blog-post_65.html

句集全体に言及したり、一句を取り上げたりはよくあるのだけれど、「最初の1ページだけを読む」というのはめずらしいのではないか、という発想。業界初と銘打ちたい。あえて。

句集レビューを読んで、その句集の内容がだいたいわかった気になる、というレビューも多い。それは読者にとって便利だけれど、私としては避けたい。句の引用数は最小限に、という姿勢。その意味でも「1ページだけ」はアリ。



ところで、句集といえば(話ががらりと変わります)、先日、八田木枯あらくれし日月の』(1995年/富士見書房)を古書にて入手。

うれしい!

木枯さんの句集は全句集などを除いて6点ある。句集タイトルはいずれも美しく、隙がない。そのなかでも一番は? と問われたら、あらくれし日月の鈔』を挙げる。シビレませんか、このタイトル。

木枯句を読むというだけなら、幸いなことに全句集があるから、それで済む。でも、ブツとして本を持っておきたいと思っていたわけです。とくにあらくれし日月鈔』は。

ところで、木枯さんとお付き合いさせていただくようになったのは比較的新しく、そのとき、第5句集『夜さり』(2004年)はすでに刊行。これと第4句集『天袋』を購入していました。お話をさせていただくようになったある日、過去の句集、残部があるぶんなら、「あなたにあげよう」と言っていただいたことがあった。ふつうなら、小躍りして、「ありがとうございます」と厚意に甘えさせていただくべきだったのだろうが、固辞した。「そんなもったいないこと! いずれ古書で手に入れます」と。

押し頂くのが礼節かもしれない。でも、そのときは、固辞が、私の敬意のあらわし方だったのだと思う。木枯さんはえらぶったところのまったくない人で、若輩の甘えを受け入れる度量がじゅうぶんにあった。けれども、それだからこそ、こちらで距離をつくっておかないといけないという気があった。

こう言うと殊勝に聞こえるが、古書探索はそれほど進捗せず、以降、入手したのは第1句集『汗馬楽鈔』(1988年)のみ。なんとなく時間が経過していた。

そこへ、今回のあらくれし日月の鈔』。もう一度言いますが、うれしい!

さて。

届いた小包の包装をひらくと、シャープなB/Wツートンの函。タイトルだけでなく、造本・装幀(伊藤鑛治)にもシビれまくっております。おまけに本文は活版印刷。快感愉悦であります。




白い表紙に箔押し。

2016/07/05

■相変わらず金魚ラヴァー

すこし前のことになるが、デパートの催事で、金魚ばかりをいろいろなオブジェにする人の作品展示をやっていて、入った。けれども、いまひとつ胸が躍らない。なんだか野暮ったい。美しくない。

考えてみれば、金魚は、金魚のままで、めっぽう洒落ていて、かつキュート。金魚を造形やら絵やらの視覚アートにすると、どうしても金魚以下になってしまうのですね。

相変わらず、金魚が好きすぎる。

胸骨がゆがむ金魚をこじらせて  榊陽子〔*〕



俳誌『里』で続く上田信治「成分表」。2016年5月号はペットの話。「結婚してすぐの頃、家にセキセイインコのつがいがいた」。へえ! という話はさておき、
俳句の価値は、金魚が泳ぐようにしてそこに現れるので、これからは「俳句=金魚説」を唱えようか。
  灯してさざめくごとき金魚かな  飯田蛇笏
  金魚揺れべつの金魚の現れし  阪西敦子

〔*〕http://yoko575.blog.fc2.com/blog-entry-149.html



2016/07/04

■外階段が見えない外階段物件:京都・高台寺近く


外階段はたしかにあるのですが、どうもうまく写せません。これ以上物件に迫る勇気も出ず(実際、カメラ持ってそこまで深入りすると、不審者です)。



横手に廻ってみると、垂涎モノの古び方。


そのむこうにも、シブい建造物が。


2016/07/03

■団扇の置き場所

団扇置くタンスの隙間ありにけり  きくちきみえ

ああ、なるほど、これはいい、と一読して思ったのは、俳句を褒めていないようで気が引けますが、団扇の置き場所として、簞笥と簞笥の隙間はまことに好都合ではないか! ということ。

団扇は夏のあいだは、そのへんに挿しておけばいいけれど、シーズンを終えたあとは置き場所にあんがい困る。抽斗に仕舞うほどのものでもないし、仕舞うと、次の夏には忘れていそうです(忘れるなよ、という話)。かといって、出しっぱなしは、いかにも片付けが悪い。

簞笥の隙間なら、目立たない。けれども、ちょっと見えるので、忘れることもないでしょう。

畳での暮らしがうかがえて、「簞笥の隙間」は巧み。


でも、捨てがたいのですよ、これ。秋からの団扇の置き場所として。


掲句は『俳句の風』第17号(2016年6月)所収、「俳句の風賞」受賞作「春の野」より。


手を伸ばして届くところに挿しております、団扇。

2016/07/02

【句集をつくる】第13回 芸風

地獄のミサワの女に惚れさす名言集
惚れさせ1932「さあ!支えろ!」
http://jigokuno.com/eid_60879871.html

気ままにいろいろな句をつくっているので、その、いいかげんさが反映されるような本がいい。「菅井きんの歌」も入るし、散文も入る。シリーズ名「句集をつくる」とは裏腹に、句集とは言いきれない。

一冊の本のなかで、てんでばらばら。狙いも見えない。そんな本がいいのだけれど、とはいえ、ひとりの人間が書くことだから、自分ではわからない「らしさ」のようなもの、「芸風」はどうしても出てしまうようだ。

前の句集『けむり』は、「気まま」「てんでばらばら」な句のうち、一定の雰囲気に添って選び並べたので、参考にはならないが、それでも、いろいろな感想をいただくなかで、自分では意識していない、自分ではわからない芸風・作風に、「ああ、そうなのかも」と思い当たることがたびたびあった。
ページを繰る途中、句意を考えずに読んでいることに気付いた。八上桐子ブログ「くらげのあぶく」
http://kurageabuku.cocolog-nifty.com/blog/2015/04/post-2f16.html
数々の面映ゆく恐縮至極な感想をいただいたなかで、これは、ちょっと「理想にしたい」と思える感想。つまり、読者の貴重な時間を、自分の句の句意などに煩わせるのは忍びない。

句の意味を考えなくてもいいもの。それを基本に、いろいろ、てんでばらばらに、ちょっと良い言い方をすれば融通無碍に、句その他が並んでいる本。指針や方向性はだいじです。実現はできなくても、実現に向かう、その気持ちがだいじ。

■冷奴の具

夏は冷奴ですね。

醤油は別にして、好きな具(薬味)のランキング。

1 茗荷
2 胡麻(金胡麻>白胡麻>黒胡麻)
3 紫蘇の葉
4 おかか
5 葱
6 オクラ

葱とか意外に低い。必須でもないです。

1~6は適宜組み合わせる。言うまでもありませんね。

最近ハマったのは、金胡麻+七味唐辛子。

七味唐辛子は、なんでもいいわけではありません。俳人・仲田陽子さんに教わった長文屋の中辛。これ、絶対。


2016/07/01

■読んだり訊いたり

『週刊俳句』第479号で、句集をたくさん読んでます。

はじめてください、川の話を
小池正博転校生は蟻まみれ』を読む ≫読む

おなじものとちがうもの
加田由美句集『桃太郎』の一句 ≫読む

月とカタツムリ
浜田はるみ句集『(ひび)』の一句 ≫読む


それと、鴇田智哉インタビュー。

季語・もの足りること・しらいし ≫読む

どうも話を聞くのが好きらしく(そのわりに、今回は怠慢で、記事にするまでずいぶん時間がかかりましたが)、このあいだ柳本々々さんに聞いたときも楽しかったし、もっと以前には髙柳克弘さん(比喩をめぐって 前篇 後篇)。


でね、鴇田インタビューは過去にもあります。

ボヤンの在り処 ≫読む

「ボヤン」と「しらいし」では、「ボヤン」のほうが聞き手としての仕事をたくさんしています。「しらいし」は鴇田さんがどんどん自分で展開してくれたので、それに任せました。


話を聞いてみたい人はまだいるので、機会があればインタビューをやりたい。書き起こしでもいいし、録音を流すスタイルでもいいし。

■京都へ

「そうだ!句会」と名付けられた旅行企画に参加させていただいた梅雨某日。はじめてご挨拶させていただく方々、「ご無沙汰いたしました」の関西俳人の方々、たいへんお世話になりました。一泊二日は短すぎると思われるかもしれませんが、いろんなところにも行け、充実の二日間でありました。

一日目は雨。清水寺、祇園といった、外国人観光客、修学旅行生の溢れかえる観光地から、待ち合わせ場所のホテルへ、句会へ。

二日目は雨も上がり晴れ間も見え、広隆寺、広沢池、おばんざい屋等々、さまざまな京都を満喫。

岡田登貴さん宅にて句会。
虎時さんの手料理は驚くべき美味。
わたくし人生初の珍味も多数。

東寺の蓮。寺社は朝行くに限ります。

今回のメーンイベントのひとつ、
俳人・仲田陽子さんの西陣織工房見学。
こんなに間近で、しかもライブ。

広沢池。嵯峨野はこのあたりがのんびりして、
景色的にもサイコー。
観光ガイド写真の嵯峨野とはかなり違う。