2016/11/09

■小津夜景『フラワーズ・カンフー』がとてもいい



小津夜景『フラワーズ・カンフー』(略して『フラカン』)の「いいな」と思うところ、その1。

たのしく好き勝手。

自分がやりたいように好き勝手に、たのしくつくった感じが伝わってくる。

「たのしく」つくるのはわりあい容易。句集をつくる人は誰でもたいてい、たのしくつくる。

ところが、「好き勝手に」つくるのは、意外にむずかしい。

なぜなら、「好き勝手」を邪魔する要素が、そのへんにたくさん転がっているから。

例えば、句集には体裁パターンがある。それに乗っからないのが、「好き勝手」の第一歩なのですが、その一歩が踏み出せない句集はとても多い(その気の有無は別にして)。

あるいは俳句プロパー(俳句エスタブリッシュメント)が読んだらどう思うだろうか、といった懸念、すなわち「評価」に関する心配。こうした凡俗の懸念・心配を振り払って「好き勝手に」つくる。

言い換えれば、なにものにも縛られずに遊ぶ。そこがとても高貴。

句集というのは(なんでもそうかもしれません)、作品が高貴である必要はないけれど、態度は高貴でなくちゃあ、ね。


『フラカン』の良いところ、その2。

ユニーク。

これは貴重。

好みや見識は読者によってさまざま。こういう句はダメ、こういう本はダメという人もいるでしょう(逆もいる)。でも、好き嫌いのその前に、「ほかにあるか、ないか」。これがだいじ。

ユニークな句集は、じつはとても少ない。

例えば、製本所がものすごい乱丁をやらかして、5冊くらいの句集がぐじゃぐじゃに合体して200頁の句集に仕上がっても、違和感なく読めるのではないか、と思うくらい、似通ったところで「俳句をしている」句集が多い。

あるいは、テキスト段階で、何冊かの句集から数十句ずつ抜き出してシャッフルしても、そのまま読めちゃうんじゃないの? というくらい同じようなのノリの句集が多い。

そんななか、「なにはともあれユニーク」という句集は貴重。


『フラカン』の良いところ、その3。

タイトル。

フラワーズ・カンフー、って、これはもう、句集のタイトルとして、抜群でしょう。

ご自分の仕事から「カンフー」。それを冠するに「フラワーズ」。

ところで、タイトル考案に際しては、ある一句に使った語を句集タイトルにするのがほとんど。それをしない場合、句集のもつムードをタイトルに代理させる手があるが、『フラワーズ・カンフー』は、それにもあたらない。

ムードを表すなら、もっとポエティックな語の選択になるはず。〈庭〉とか〈彷徨〉とか〈ここにあらざるもの〉とか〈変容〉などが鍵語・鍵概念になろうか。ところが、そのあたりからみごとに道を逸れて、フラワーズ・カンフー。

カッコいいよ、このタイトル。

(終わり)


と、これで終わったら、内容に触れないことになりますが、いずれ、『週刊俳句』かどこかに書きたいと思っています。

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