2016/08/12

■「お母さん、いくつ?」と聞いてきた爺さんの目!……今井聖のシリーズが新展開

今井聖「名句に学び無し、なんだこりゃこそ学びの宝庫」シリーズが新展開。若い人の句に目を向けるという。

http://weekly-haiku.blogspot.jp/2016/08/26.html

前フリで、
俳誌経営達者の凡庸な「大家」や田舎の金持のプレスリー、もしくは尖鋭気取りのモダン爺婆しかいない。彼らの句はどれも整った複製ばかりで、なんだこりゃ句なんて一句もない。
と揶揄、啖呵。

今井聖さんも「俳誌経営者」のひとりなんじゃないですか。主宰だし。そのへんの自虐も込みと読むべきなのだろう。

草田男、楸邨、兜太の「哺育」にまつわるエピソードから、体力・生殖能力のピークの話、さらには中山奈々「若手俳人の提言」を引いて、
今は俳壇のどこでも「若手なら誰でも良いから欲しい」かのように若手を求めている。若手のエキスを吸いたいなら、自分のエキスを吸われる覚悟をお持ちか。
 そういう問いかけである。大いに納得。
と、かいつまむ。

さらには自分の若いころ(14歳)へと遡り、やっと、本題の句《起立礼着席青葉風過ぎた 神野紗希》へと言及。

ここまででまだ半分ですが、すでに多数のエピソードが繰り出され、書き手の意識の動きに若干の「あっちゃこっちゃ」感。いつもの〈熱情〉系の筆致の裏に、このテーマ(若者と俳句、老人と若者)にまつわる、なんだかざらっとしたもの、つまずくような感情、いわゆる逡巡のようなものが嗅ぎ取れて、興味深いわけですが。

(じっさい、てんこ盛りな記事で、そのてんこ盛り具合がたいそうおもしろいのです)

《起立礼着席青葉風過ぎた》=「青春性の典型のような世界」(今井)と、自身14歳当時を並べて語るあたりは、ちょっと迫力。このあたりのリアルが、このシリーズでもっともコク深いところ。
この世界、僕の下手な句を見て「お母さん、いくつ?」と聞いてきた爺さんの目を思いだす。セーラー服をうれしげに見つめる爺婆を意識してはいないか。
おお! なんと、いやらしい目つきだ!

(気をつけよっと) 

若い人のつくる「青春」句は、ある種のお年寄りにとって回春剤、と、私はふだんから申し上げているので(セーラー服までは言っていない)、このあたりふむふむと愉しく読み進む。


シリーズ新展開の初回ということで、アクセルを踏み込んだ感があります。オススメ。

なお、今井聖は《起立~》の句を「青春性」とは違うところで評価しています。安心してください。


ところで、傍流の話題、といっても、これもなかなかコクのある部分なのですが、「若手のエキス」という部分。元記事(中山奈々)では、若手とべテランが句会等を共にする流れで出てくる語。

こんなこと考えたり口に出したりする年寄り、ほんとにいるんですか?

胡散臭い通信販売のすっぽんエキスや蜆エキスのほうがまだしも、です。

あとね、「吸う」とか、とても気持ちが悪いから、やめたほうがいい。


エキスをアイデアやら発想に言い換えてみると少し理解できるけれど、それにしたって、先人(物故を含め)のものを「吸う」ほうがよほど大事という気がします。

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