2016/08/07

■かたちに向かう……『オルガン』第6号の俳句


『オルガン』第6号(2016年8月1日)掲載の句を読みました。

景色(視覚)を、一歩進んだ感のある描写で書きとめた数句に、「おっ」と思いました。

まず、

ペンが梅雨の闇の少しを紙に返す  福田若之

句の途中までは一歩というより半歩かもしれませんが(それだってじゅうぶんに注目すべき更新・新鮮)、「返す」で複雑化(蛇足ですが「移す」のほうがすっきりするが、それは避ける。

紫陽花を仕立てる針と糸のこと  田島健一

紫陽花は、文芸的加工を施したくなる花なのかもしれません。とすれば、メタ的な要素も。

水馬のあまた硬貨をやりとりす  鴇田智哉

「こと」で「もの」を描く。

この句は別の連作(同人共通のテーマ詠「ゲーム」)にある、

あめんぼの目玉を借りてきて眩し  鴇田智哉

とワンセットにも見えます。同じもの(形態・在り方)を別のアプローチで(同工異曲とは違う)。



一方、上に挙げなかった残る同人・宮本佳世乃は、連作「音の終り」にある次の2句が面白かった。

もう鍵盤がない息のない土竜  宮本佳世乃

噴水の入る袋のほそながし  同

「見える視覚」には向かわない。見ようとせず、音のなかで、見えないものをイメージする。上に挙げた数句とは対照的に思えました。

俳句は「見よ、見よ」と言われますが、べつに見なくたっていいんですよ(って、また、いいかげんなことを)。





第6号、楽しませていただきました。

なお、俳句には無関係だけど、「第6号」の「第」は必須。これのない俳誌が多いんだよなあ。

例えば「6号ぶんの代金を振り込む」って、どっちかわからないでしょ? 1,000円なのか6,000円なのか。


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