2016/08/31

■WESTBOUND 03 姫路モノレール散歩+ bonus track

ひょんなことから、姫路モノレールの遺構をめぐる散歩。



姫路モノレールは1966年開業、8年後の74年には早くも休止、79年に正式廃線。




姫路駅と手柄山駅(当時、姫路博覧会開催)を結び、全長たったの1.6km。唯一の中間駅・大将軍駅は高尾アパート(10階建)の中。レールがマンション棟に突っ込むかたち。



取り壊しが決まった高尾アパートは白い塀で囲まれ、うまい撮影位置がない。

こちらのサイト(↓)に良い写真がたくさんあるので、私がそんなにがんばって撮ることもない。

姫路モノレール・大将軍駅の痕跡が色濃く残る高尾アパート
http://www.railwaystation.jp/haieki/daisyogun.html


高尾アパートの裏に廻る。


廃墟として渋め。




ここで話をガラリと変えて、食べもののこと。



えきそば」のカップ版をコンビニに見つけ、購入。

おいしいわけでは、けっしてない。けれども、つい食べてしまう。姫路のソウルフードです。


あと、姫路のソウルフードといえば、「イカ焼き」ですかね。

むかし駅ビルの地下で食べられた。当時はたしか数十円。タコ焼きと比べても格安。子どもにも手が出たわけです。

駅ビルも今はない。だから、イカ焼きも消えたのだろうと思っていたら、見つけました。なんの変哲もない安っぽいフードコート。その奥に、妙に熱気のある一画。気づいたのは嫁はんでした。「なんだかすごいよ、あそこ」と野生の勘を働かせ、近づいてみると、タコ焼き、イカ焼きを焼いている人たちの年季の入り方が尋常ではない。おばあちゃんたちのムダのない、それでいて緊張感を醸さない、熟達の動き。これは、あの駅ビルのタコ焼き・イカ焼きが、そのままここに引っ越してきたに違いないと確信。あとで調べてみると、そのとおりでした。

イカ焼きは現在200円。食事を済ませたばかりだったので、次回の帰省のとき、是が非でも、ここでタコ焼き・イカ焼きを食す! と夫婦で誓ったのでありました。


で、ソウルフード。3つがキリがいいので、もうひとつ。これには異論が出そうですが、私としては、御座候の回転焼き(赤あん)を挙げたい。

世界一美味しい回転焼き(今川焼き)です。≫google画像検索

こちらは1個85円。


列車が姫路に着いたら、えきそばを食べ、散歩。おなかがすいたらイカ焼きを食べ、御座候で焼きたての回転焼きを買って、散歩しながら、ひとつ頬張る。きっと至福です。



【追記】
えきそば・カップ麺を食べてみたところ、ふつーのカップ麺ぽい味で、あの独特の感じは希薄。「えきそば」はやっぱり駅で食べるのがよいようです。

■なぜ「中八」/「五八五」はダメなのか?

繰り返される話題ですが、中八。

樋口由紀子 金曜日の川柳〔川合大祐〕
http://hw02.blogspot.jp/2016/08/blog-post_26.html

柳本々々 夏のあとがき
http://yagimotomotomoto.blog.fc2.com/blog-entry-1489.html

兵頭全郎 中八考
http://weekly-haiku.blogspot.jp/2013/07/blog-post_28.html


私の場合、中八、というより、「五八五」が、NG。

理由は、ダメと言われているから、といったことではまったくない(規範を教条的に守るのではまったくない)。経験から来るものです。

五八五では乗れない。五八五でビートやグルーヴを感じたことがない。

理由は以上のように明白。

あまりに明白なので、「中八」「五八五」の是非のようなことを論じる気が起きない。愛想のないことですが、しかたがありません。


なお、念のために言い添えておくと、五七五でありさえすれば乗れる、ビートやグルーヴを感じる、ということではないので。


2016/08/30

■WESTBOUND 02 神戸

再度山展望台から港を見る。望遠鏡の覗き穴にカメラを当ててシャッターを押すと、おお! 写るんだ! と妙なことに感動。



朝ごはんのパンを買う。



絵に描いたような夜景。絵に描いたような神戸。

■恐竜の最期 『里』2016年8月号の一句

『里』2016年8月号(2016年8月9日)より。

全身の化石が揃う夏野かな  仲田陽子

何の化石かは言っていないけれど、三葉虫やら魚よりも、やはり、恐竜。

「揃う」は実際に揃ったというのではなくて、揃うはずと読んだ。眼前の夏野で(その下の地層かもしれないけれど、ともかく、そこで)、その恐竜は斃れた。

ゆっくりとした足取りでやってきて、立ち止まる。からだが傾き、地面に向かって崩れ落ちる。ここは、スローモーションであります。音も大事。大音響とともに、砂埃が上がる。まぶたが閉じる。ここもスローモーション。

この想像、心躍る。

一方に、「化石」の語が伝える時間の経過。

瞬間と永続が同時にあること。

夏野の過ごし方として、最上の部類。





2016/08/29

■WESTBOUND 01 生家

一般論として、生まれた場所を嫌い、一刻も早くそこから出たい、離れたいと切望し、実際に離れ、そして長らく経ってから、というのはすなわち相当の年齢となって、その場所がなんだか落ち着く、その場所をあらためて親しいものとし、愛せるようになるという経緯。それは陳腐な物語だけれど、陳腐もまた喜んで受け入れる年齢に、人はなるのだなあ、と。




2016/08/27

【再】【お知らせ】くにたち句会8月は29日(月)変則開催

いつも最終日曜日に開催しているもですが、今月は、諸般の事情により、月曜夜の開催。おまけに飛び出せくにたちってことで、中野です。

2016年829日(月)19:0021:00

句会場所: ルノアール中野北口店 会議室2号



席題:テキトー

初めての方も久しぶりの方もご常連さまも、みなさま、よろしくどうぞ。

2016/08/24

【句集をつくる】第16回 一句目

一句目は、だいじ。

拾ってみる。

編年体だと、一句目にどんな句を持ってくるかはある程度限定される。なので、編年体じゃない句集から。

女子五人根性焼きの手に氷菓  関悦史

『六十億本の回転する曲がつた棒』(2011年)。この一句目、かなり好き。ただし、連作構成。まずもって「日本景」が冒頭にあり、その一句目がこの句。


少女みな紺の水着を絞りけり  佐藤文香

『海藻標本』(2008年)。大ヒット曲を最初に持ってくるパターン。ちなみにビートルズのアルバム『レット・イット・ビー』の1曲目は「レット・イット・ビー」ではなく「トゥ・オブ・アス」。アルバム『ミート・ザ・ビートルズ』の1曲目は「抱きしめたい」。『海藻標本』は後者パターン。


空は晴れて自転車を磨く布はないのだ  山田耕司

『大風呂敷』(2010年)。無季。抜けがいい見開きの写真を最初に持ってくる感じ。


黒南風や生まれも育ちも魔法瓶  佐山哲郎

『じたん』(2001年)。「生国と発してましては」。挨拶で入るが、ただの挨拶ではない。


いちじくを食べた子供の匂いとか  鴇田智哉

『凧と円柱』(2014年)。


花の闇ひらくに銀の鍵使ふ  鳥居真里子

『月の茗荷』(2008年)。


句集をつくるための「傾向と対策」にはならず、好きな句をならべるだけの作業になりそう。とはいえ、著者(俳人)の意思・意図がなんとなく伝わる感じもある。

自分がこの次つくる句集の最初の一句を何にするのか。楽しみ。


なお、『けむり』(2011年)の最初の数句と最後の数句は、わりあい考えました。途中はなりゆきだけどね。


■「BL読み」?

「BL俳句」と「BL読み」は別物ですよね?

「BL俳句」は、ネタ俳句のひとつのジャンルとして、わかる。

俳句は、詠みたいものを詠むのがいい。というか、詠みたいものしか詠めない。詠みたいなら、なんだってアリ。読者とどう出会うかは別にして。

「BL」モノは広大な沃野を形成しつつあるようだから、俳句もその一端を担えるかもしれない。

一方、「BL読み」。

いっけんBLを扱っていないような句もBL俳句として読む、ということらしい。

さて、そこで、次の3つは、様式として同じなのか(共通項を持つのか)、はたまた違うのか?
A BL読み
B なんでもバレ句(もっぱら異性愛)に解してしまう態度
C 西東三鬼《昇降機しづかに雷の夜を昇る》の「雷の夜」を国情不安、「昇降機」を共産主義の昂揚と解釈した公安警察の読み
Bは、句会の悪ノリとしてたまに勃発する。例えば(例を引くのもはばかれるが)、「ソーセージ」という兼題で作った句を、すべてそちら方面に解釈するといった、たわいなくバカげた態度。

Cは、「コモエスタ三鬼 第23回 暗号解読」でも書いた有名なエピソード。


AとBとCは、私には、様式として(reprise)ほぼ同じに見える。違うならどう違うのか。そのへん、興味がある。

2016/08/23

■〈主婦〉の誕生、あるいは花柄のイコノロジー 岡野泰輔『なめらかな世界の肉』の一句

主婦という社会集団が誕生したのはそう古いことではないようです。『〈子供〉の誕生』(フィリップ・アリエス)ならぬ「〈主婦〉の誕生」という研究がきっとあるはずですが、ざっとした沿革として、都市部にサラリーマン層が増えてきた世紀の変わり目あたりが〈主婦〉の黎明期、本格的にマス化したのが高度成長期。女性が家事や子育て・教育を引き受けて、男性は外で、賃金労働に専心する。団地が輝かしかった頃ですね。

電話機も便座カバーも撫子で  岡野泰輔

主婦は、なんにでもカバーを掛けたがる。偏見かもしれませんが、当時はたしかにあったんですよ。ティッシュボックスとかも、そう。キルティングだったりしてね。金井美恵子がエッセイかなにかで、その行為は避妊の延長である、と(意地悪く)断じていたような記憶が。

主婦に恨みはありませんし、嫌いでもないのですが、自分にとっては〈異文化な人〉かな?



一方、〔なぜに花柄〕な件も、テーマとして残ります。

小津夜景 花のタイルと地中海

リンク先には、
1600 年代に磁器や着物から始まった「花柄」は、やがて様々な商品に採用されていきます。高度経済成長期には殺風景な『ちゃぶ台』に華を添えるとして、花柄マホービンが大ヒットしました。
とあって、17世紀・柿右衛門に「花柄」の源流を見いだすなど、なんだかすごいけど、ちょっと違う気もする。この脈絡で柿右衛門は。

さらに、親切な方から教わった記事。

魔法びんはかつてなぜ花柄だったのか?
http://portal.nifty.com/kiji/131120162410_1.htm
花柄の魔法びんは1967年(昭和42年)に、大阪の魔法びんメーカー「エベレスト魔法びん」が発売したものが最初だ。(…)エベレスト魔法瓶の西岡社長の言葉としてこんな言葉が載っている。『適齢期になった女性が訪問着をほしがるように魔法瓶では花柄を求めると思う。これは花柄が良いかどうかはムードの問題だ。魔法瓶業界もデザイン、色彩面で適齢期になってきたということだろう。』


と、まあ、高度経済成長期は、主婦と花柄の時代、というわけです。




掲句は岡野泰輔『なめらかな世界の肉』(2016年7月/ふらんす堂)より。

■「かわいそう」の名詞化・物質化 『川柳カード』第12号の一句

『川柳カード』第12号(2016年7月)、榊陽子「水遊び」10句より

なお父はテレビの裏のかわいそうです  榊陽子

父=かわいそう。それはごくごくフツーの図式なのだが、構文(のズラし)によって「かわいそう」は名詞化・物質化し、父は、「かわいそう」の化身・表徴・代表選手となって、テレビの裏にうずくまる/放置される。クイックルワイパーできれいにされるまでの期間。

構文て、だいじよね。



なお、父は、テレビの裏から、いまも君たち私たちを見ているのであった。


2016/08/22

■雨の蓮 中町とおと『さみしき獣』の一句

このまんま雨の蓮となりたしよ  中町とおと

雨の中にいて、目の前に蓮(はちす)がある。蓮は群生していることが多い。蓮になって、そのなかの1本となる。傘をさしているのかいないのかはわからないが、蓮になれば、雨を防ぐものはない。濡れ放題。

この「なりたし」願望はわかる気がする。降っている雨は、細く、明るい気がする。気がする、というにすぎないけれど。


掲句は中町とおと『さみしき獣』(2015年4月/マルコボ.コム)より。  


■雨の府中市・雨のニューヨーク

雨ですので、「ニューヨーク」をタイトルに含む歌。

雨音に始まる1曲目。

2曲目、I'm in a New York City of mind ♪は「雨のニューヨーク」と聞こえて、感傷ひときわ。ついでに言えば、生ピアノとオルガン併用のアレンジが、私、とても好きで、このトラックは、そのツボをついてきまくるのです。間奏のトランペットも、とてもいい。

3曲目は、オマケ。アル・クーパーは歌がうまくないんだけれど、訴えてくる。私にとって、「感じのいいミュージシャン」。

Summer Wine: Wasn't It Nice In New York City?


Ben Sidran: New York State of Mind


Al Kooper: New York City You're a Woman

2016/08/21

【お知らせ】くにたち句会8月は変則開催

いつも最終日曜日に開催しているもですが、今月は、諸般の事情により、月曜夜の開催。おまけに飛び出せくにたちってことで、中野です。

2016年829日(月)19:0021:00

句会場所: ルノアール中野北口店 会議室2号



席題:テキトー

よろしくどうぞ。

句会場はこのビルではありません

2016/08/20

■その瞬間の狂騒

リオ五輪もいよいよ終わります。

メダル獲得後のインタビューは、受け答えが似たり寄ったり。あれは、ことばを聞くのではなく、表情(泣き顔を含め)を見るものなのでしょう。

そんななか、バドミントン女子ダブルス優勝、高橋選手。




その瞬間の狂騒が、とてもおもしろい。

とりわけ、「誰でした?」の部分、かなり好き。

(コーチやで)

混沌的恍惚・恍惚的混沌(めずらしいことにこのふたつの語は入れ替えてもほとんど同じことを言っている)。映画の一シーン、しばしば二日酔いの頭で思い出す昨夜の出来事といったスタイルをとる、映画的クライマックスの萌芽。ちょっと大げさですけどね。

なお、スポーツ新聞などでは、このインタビューを端折ったかたちで載るので、美味な部分が落ちてしまって、例の「画一」におさまってしまう。同時に、選手たちは繰り返し同じことを聞かれるので、話がどんどん整理され、つまらなくなっていく。初出の素材は貴重です。


バドミントンは数年前からケーブルTVでときどき観て、愉しんでいました。いまの女子選手には見ていておもしろい選手が多い。『はがきハイク』の近況に「山口茜選手」を挙げたほどの(程度の)ファン。今回の活躍はうれしい。


ちなみに、このブログは、江頭2:50を支持します。応援しています。


■俳句甲子園の歌2016

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オリジナルはウラハイ誌上(2014年8月23日)。今回若干の加筆改稿。
http://hw02.blogspot.jp/2014/08/blog-post_23.html

2016/08/19

■本日は世界写真の日

写真集は、欲しくても値段が高すぎて、ということが、よくある。悲しいことに、よくある。

長年、それにあたるのが、例えば、

  須田一政『風姿花伝』

えい、やっ! と思いきれる日は来るのだろうか?



値段(新刊)と満足度がほぼ正比例するのは、写真集の特徴のひとつかもしれません。一般書籍はあまり関係がない。安くても満足度の高いものがある(文庫本は好例)。

値が張ると、大きい


荒木経惟『TOKYO NUDE』(395mm×296mm)とアンリ・カルティエ=ブレッソンのポケット本。

写真は、きほん大きいほうが愉しい。小さな写真はカタログを見ているようで、欲求不満が募る。

カルティエ=ブレッソンも大きいのが欲しい!

値が張ると、印刷が高品位。例えば、鬼海弘雄『PERSONA』オリジナル大型本。

2016/08/18

■兜太が語る 『オルガン』第6号の座談会

戦後は今年で71年。そのおよそ前半期(1980年代半ばまで)の俳句史を、金子兜太が語る、ってなわけで、『オルガン』第6号(2016年8月)の座談会をおもしろく読んだ。

ということは、1980年代半ば以降については語られておらず(あるいは私が読み取ることができず)、ぼんやりとモヤに包まれたまま、何十年間かを、俳句は生きているのか、といったことで納得するしかないのですが。

個人的にとくに印象に残ったのは(これまで知っている金子兜太的事柄は除いて)、

1 鷹羽狩行的なもの(あるいは個人)が金子兜太的なもの(あるいは個人)の「敵」であること。

2 草田男らとの抗争・論争において、「野心」「覇権」「政治」といった語が鍵になっていたこと。

3 兜太の推進する句群に対して、意味に過ぎない、スローガンに過ぎないといった批判が当時すいぶんあったこと。

「兜太が言いたい放題」というかんじ(ツイッターetcでいくつかその指摘を見た)はあまりしない。もう何度も語ってきて熟れまくったネタの披瀝(つまり座談会といいながら、兜太講演)というかんじもあまりしない(少しはする。とりわけ自作とからめた部分)。

一読をオススメ(『オルガン』第6号はまだ残部あるんじゃないですかね)。≫ウェブサイト


ついでに、もう1本の座談会「視覚詩」。こちらはよくわからなかった。語られている内容が、ではなく(それもかなりあるけど、私の無教養とか能力不足が原因だから、そのことはとりあえずいいのです)、何が語られようとしているのかがよくわからなかった。言い換えれば、語り合うことで、この人たちが、何に接近しようとしているのかが(私には)見えない。

こちらもオススメ。おもしろく読めるという人も、いそうです。


■ご無沙汰いたしました前島密ふたり






〔上から〕
ゴーヤ:お向かい(日除けゴーヤ豊作)からの賜り物南部味噌フランスパンの包みビゴのガトー・ポム桃2顆:賜り物?

2016/08/17

■The Moments のいちばん

ザ・モーメンツ/レイ、グッドマン&ブラウンにはアップテンポの名唱も数多いのですが、いちばんは、このバラード I COULD HAVE LOVED YOU です。

作詞作曲はキャロル・ベイヤー・セイガー、ブルース・ロバーツ、ベット・ミドラー。ニューヨークですね。音は、まさに70年代の洗練。

■句の中の全角1字空きを

…利用していいんじゃないかと、最近思うようになりました。

聴こえるテレビ 花弁の裏に溜まる雨  佐藤文香

羽音は蟬 腐った花を捨てるとき  同


この2句、『鏡』第21号(2016年8月)の「あぢはひ」14句中、離れた位置(3句挾む)なのですが、花(なにと特定しない花)と音の組み合わせ、上の字余り、質感に共通するところがある。おもしろい2句。

なお、前者は無季。無季も大いにアリ。

2016/08/16

■種痘は春の季語、種痘痕は?

1980年、WHOが世界的に天然痘撲滅宣言。それに伴い、種痘痕、やがて絶滅の模様。

≫学校モノ俳句 岡野泰輔『なめらかな世界の肉』の3句

種痘痕で句を作るの、流行の兆し。


過去句(俳句分野)を見ると、

毛氈の赤き座敷に種痘する  田中冬二

種痘する机の角がそこにある  波多野爽波

沖遠く白き船ゆく種痘かな  安住敦

白い船かあ。いいですね。


なお、「種痘」は春の季語ですが、これは接種の話。「種痘痕」となると、どうでしょう。見える、というところを重視すれば、夏の季語のような気もします。

蟬をば羽化させてまもなき種痘痕  10key

■八月某日の中野その他

魔窟・中野ブロードウェイの「まんだらけ」。興味はあるが、買うものはない。では売りに行こうということで、嫁はんと出かける。

「ビンテージもの」も混じっていたので値踏みにやや時間がかかる。そのあいだ、ひっきりなしに人がモノを売りに来る。「ここ、NHKが『72時間』でやればいいのに」

ぬいぐるみばかり山のように持ってくるガタイのいいおっさん、美少女モノを数点持ち込む綺麗なおねえさん、大量のコミック本を初老男性、未開封のアイドルCDをカバンからガサガサ取り出す、いかにもな若者。

買い取り場で待ったのは、72時間どころか36分ほどだったけれど、《自分らだけ「72時間」》を観た気分。

また、オペレーションがよく考えられていて、感心。レール付きのカウンターの構造、ジャンルごとに専門家配置、外で客をさばく人員1名などなど。値踏みの説明がていねいなのも感心。そこまでいいよってくらいていねい。

で、そのあとは「ふたり味王」。平和な夜だなあ、と。



ウラハイの〔ネット拾読〕
こちらの昼はリオデジャネイロの真夜中
http://hw02.blogspot.jp/2016/08/blog-post_13.html

週刊俳句・第486号は、句集読みまくり。
http://weekly-haiku.blogspot.jp/2016/08/4862016814_1.html



亞子氏欧州土産の切手群。


2016/08/15

■星空の車庫 『里』2016年7月号の一句

地下鉄の車庫は地上に星涼し  上川拓真

清潔な叙情。垂直の構造にケレン味がない.


作者は1997年生まれ。掲句は『里』2016年7月号(2016年8月12日)より。


2016/08/14

■BARBER KURODA に関する、とあるリンク

あの BARBER KURODA が姫路であることが、写真だけ見てなぜわかったのか不思議だった石原ユキオ「アーモンドバター」

週刊俳句・第486号に、小津夜景「B級ドリームランド的芳香」
http://weekly-haiku.blogspot.jp/2016/08/7b.html


資料として、次をリンクしておきます。

姫路モノレール・大将軍駅の痕跡が色濃く残る高尾アパート
http://www.railwaystation.jp/haieki/daisyogun.html

そそられまくりました。こんど帰省したとき見に行こうと思います。そのときまで残っているといいのですが。

2016/08/13

■『シン・ゴジラ』の石原さとみはどうなんだ?という議論が白熱しているらしい

…のですが、映画を見終わって、ひとつわかったこと。

人間、慣れるものです。


というわけで容認・支持。

映画前半は、カヨコ・アン・パタースン(石原さとみ)だわ、巨大ツチノコが這いまわるわで、いったいどうなることやらと思いましたが。


そこで『シン・ゴジラ』をまとめておくと、

ツボ1 ガジィ~ラ

ツボ2 無人在来線爆弾

ツボ3 自衛隊のヘルメットの下はピエール瀧くらい大きな顔じゃないとダメ


真面目な話、この映画、3.11後の日本の話であり、痛み・傷みであり、それを遡ると1945年8月6日。みんな観たほうがいいです。レンタルを待たずに。


なお、SNS等での狂騒は、『マッドマックス 怒りのデス・ロード』のときと同様。盛り上がるほどに引いてしまうタイプ。そのうちおもしろそうな記事を見つけて読んでみたい。


2016/08/12

■「お母さん、いくつ?」と聞いてきた爺さんの目!……今井聖のシリーズが新展開

今井聖「名句に学び無し、なんだこりゃこそ学びの宝庫」シリーズが新展開。若い人の句に目を向けるという。

http://weekly-haiku.blogspot.jp/2016/08/26.html

前フリで、
俳誌経営達者の凡庸な「大家」や田舎の金持のプレスリー、もしくは尖鋭気取りのモダン爺婆しかいない。彼らの句はどれも整った複製ばかりで、なんだこりゃ句なんて一句もない。
と揶揄、啖呵。

今井聖さんも「俳誌経営者」のひとりなんじゃないですか。主宰だし。そのへんの自虐も込みと読むべきなのだろう。

草田男、楸邨、兜太の「哺育」にまつわるエピソードから、体力・生殖能力のピークの話、さらには中山奈々「若手俳人の提言」を引いて、
今は俳壇のどこでも「若手なら誰でも良いから欲しい」かのように若手を求めている。若手のエキスを吸いたいなら、自分のエキスを吸われる覚悟をお持ちか。
 そういう問いかけである。大いに納得。
と、かいつまむ。

さらには自分の若いころ(14歳)へと遡り、やっと、本題の句《起立礼着席青葉風過ぎた 神野紗希》へと言及。

ここまででまだ半分ですが、すでに多数のエピソードが繰り出され、書き手の意識の動きに若干の「あっちゃこっちゃ」感。いつもの〈熱情〉系の筆致の裏に、このテーマ(若者と俳句、老人と若者)にまつわる、なんだかざらっとしたもの、つまずくような感情、いわゆる逡巡のようなものが嗅ぎ取れて、興味深いわけですが。

(じっさい、てんこ盛りな記事で、そのてんこ盛り具合がたいそうおもしろいのです)

《起立礼着席青葉風過ぎた》=「青春性の典型のような世界」(今井)と、自身14歳当時を並べて語るあたりは、ちょっと迫力。このあたりのリアルが、このシリーズでもっともコク深いところ。
この世界、僕の下手な句を見て「お母さん、いくつ?」と聞いてきた爺さんの目を思いだす。セーラー服をうれしげに見つめる爺婆を意識してはいないか。
おお! なんと、いやらしい目つきだ!

(気をつけよっと) 

若い人のつくる「青春」句は、ある種のお年寄りにとって回春剤、と、私はふだんから申し上げているので(セーラー服までは言っていない)、このあたりふむふむと愉しく読み進む。


シリーズ新展開の初回ということで、アクセルを踏み込んだ感があります。オススメ。

なお、今井聖は《起立~》の句を「青春性」とは違うところで評価しています。安心してください。


ところで、傍流の話題、といっても、これもなかなかコクのある部分なのですが、「若手のエキス」という部分。元記事(中山奈々)では、若手とべテランが句会等を共にする流れで出てくる語。

こんなこと考えたり口に出したりする年寄り、ほんとにいるんですか?

胡散臭い通信販売のすっぽんエキスや蜆エキスのほうがまだしも、です。

あとね、「吸う」とか、とても気持ちが悪いから、やめたほうがいい。


エキスをアイデアやら発想に言い換えてみると少し理解できるけれど、それにしたって、先人(物故を含め)のものを「吸う」ほうがよほど大事という気がします。

2016/08/11

■ぱらぱらと捲り始めた「現代川柳」西暦2000年時点

『現代川柳の精鋭たち 28人集-21世紀へ』(北宋社/2000年7月)という、書名と装幀がダサダサ〔*〕のアンソロジーから、もう少し。

〔*〕そんなこと言っちゃいけないのだ。

28人の最初は、石田柊馬(1941-)

ブロッコリーをかきわけてゆく三輪車  石田柊馬

石田柊馬の100句には切れ字(や、かな、けり)がある。川柳業界には切れ字の忌避があるとのことですけれど。

2人目の石部明(1939-2012)。こちらの100句にも切れ字「かな」が1句ある。それはそれとして、死と暴力と夜空のモチーフ(凶々しい処理も多い)が散在…

全身にもらってしまう月の痣  石部明

絹糸の括られている死後の朝  同

どこからも見えて性器の睡る空  同

…するなか、いちばん好きになったのは、

ボクシングジムへ卵を生みにいく  同

という句。

〈あっけあらかん〉が、どうも、自分の好みらしい。



おふたりぶん、200句を読んで、思ったこと。

1 内容(モチーフ、材料、技巧)とはべつに、口吻・口調が作家の輪郭をかたちづくる(という当たり前のこと)。

2 「現代川柳」という語は、少なくとも「現代俳句」よりは意味をなす。


まだ、もうすこし、このアンソロジーを取り上げるつもりです。


■紙ラヴァー・印刷ラヴァー

自分は、本好きというよりも紙好き、印刷好きなのかも、と…

≫小津夜景 愛しい本の条件 * 02
http://yakeiozu.blogspot.jp/2016/08/02_11.html

…のシブい、そして絶妙にチープな教科書群を見て、思ったことでしたよ。

同時に、むかし一行も読めないのに持っていたバシュラールの白いフランス装(よく見る簡易フランス装じゃなくて、アンカット本ね。アンカットだからなおさら一行も読めない・読まない)数冊も、処分せずに持っておけばよかったと…

≫小津夜景 愛しい本の条件 * 01
http://yakeiozu.blogspot.jp/2016/08/01.html

…を読んで、思いましたよ。

ときどき撫でたり匂いを嗅いだりできたのに。


読む本は、読めば手を離せばいい。内容(テクスト)を手放すのをためらうケースもあるけれど、ノートやスキャニングという手もある。

本は、読むから、見る・触るへ。

この切り替えは「もう遅い」感もあるけれど。


〔オマケ〕本日フォローを始めたアカウント パピエラボ
https://twitter.com/PAPIERLABO

2016/08/10

■崖とマヨネーズ 西暦2000年の倉本朝世

『現代川柳の精鋭たち 28人集-21世紀へ』(北宋社/2000年7月)を落掌。編者の表記がない点(そんな本ありましたね)、若干ひっかかりますが、気にしないことにしましょう。2000年当時の「現代川柳」(サラ川とはそうとう違う)の作家の句が100句ずつ。私が川柳に触れる以前の句を読めるのはありがたいことです。

気ままに引いていこうと思います。最初は、倉本朝世(1958-)。当時は40代前半。

たったひとりを選ぶ 運動場は雨  倉本朝世〔*1〕

家系図で包む大きな燐寸箱  同

大雨のうしろはきっと乳児室  同

口あけて模型の谷へ堕ちていく  同

母もその母も干潟が生んだ鳥  同

少年は少年愛すマヨネーズ  同〔*2〕

手は鳥の夢見てお釣り間違える  同

夜会服ひらひらそこは崖ですよ  同

海鼠踏んだら「トウキョウ」と音がした  同〔*3〕

※後半の数句は『なつかしい呪文』(2008年/あざみエージェント)
収録の模様で、この句集は既読。

引いた句を眺めてみると、〈大きな空間・大きな地理気象〉と暮らし(いわば俗世の事柄)が反応しあっている句が多い。

それにしても、おもしろい。

ポエテッィクな方面への傾きは少なく、誤解を怖れず言えば「俳」の要素が見て取れ、親しみを感じます。


なお、柳本々々に、倉本朝世句を取り上げた記事がいくつかある。以下にリンク。

〔*1〕
http://yagimotomotomoto.blog.fc2.com/blog-entry-405.html
〔*2〕
http://weekly-haiku.blogspot.jp/2014/11/blog-post_30.html
〔*3〕
http://yagimotomotomoto.blog.fc2.com/blog-entry-1190.html

■俳号のひらく・とじる

俳号の表記は、西原→さいばら→西原、という変遷なのですが、変化の時期は、もう忘れた。『人名句集チャーリーさん』(2005年)も『けむり』(2011年)も漢字表記なので、この間の一時期、ひらがな表記だったことになり、週俳の最初の頃を見ると、ひらがな表記で書いている。

いまだに、ひらがな表記の宛名で句集が届いたりするので、こういうのって根強く残るものなのですね。まあどっちでもかまわないのです。春夏秋冬で「東原」から「北原」へと変えていってもいいのですが、ややこしすぎる。声をかけるときは、「てんきさん」と発声していただければよろしいです(てんき、てんちゃんは、一部の人、親しい年長者・同輩に限らせていただいておりますので、あしからず)。

ところで、漢字表記に戻ったことにはちょっと契機というか経緯があります。あるとき、某池田某澄子さんが「ちょっと、あなた」「はい?」「6文字は長いわよ」。そうですね、だらだらしている。「じゃあ、新しい俳号、考えてください」。厚かましくもお願いした。

やがて、「なかなかいいのが思いつかない」との返事が来て、それでは以前の漢字表記なら、4文字だし、いいのでは? 「それ、いいかも」と、漢字復活。以上は、立ち話やら便りやらのやりとり。某澄子さんはお忘れかもしれませんが、そういう経緯。由緒のある漢字復帰ではあるのですよ。その節は、たいへん煩わしいことで、申し訳ありませんでした。


徹底的にどーでもいい話ついでに、「天気」という俳号は検索にまぎれる効果を狙ったのも理由のひとつ。この効果はある程度はあって、こんなステキなツイートも、エゴサーチでヒットする。





2016/08/09

■心臓やぶれ アート・リンゼイ来日記念


Peter Gordon & Love of Life Orchestra - Beginning Of The Heartbreak / Don't Don't

6分30秒あたりからアート・リンゼイのギター。引っ掻く引っ掻く。

もしテンポを変えられるアプリをお持ちなら、3~4割テンポを落として聴くのもオススメ。


いちおう、昔のも貼って、楽しむ。



■解体の音 大崎紀夫『ふな釣り』の一句

うららかな日なり一軒壊す音  大崎紀夫

一棟ではなく一軒。スケールが伝わる。そんなに大きくはない。「音」だから、解体の光景そのものが見えるわけではない。

家の原型はもうとどめていないのだろう。

郊外の、まわりに畑が残っていそうな立地を思うのは、「うららか」効果か。


掲句は大崎紀夫句集『ふな釣り』(2016年7月/ウエップ)より。

ほか気ままに数句。

ぶらんこの下の凹みを蹴りにけり  同

よく晴れて昼しづかなる祭かな  同

ががんぼが窓かきむしり港に灯  同(≫参照

葱を抜く電線に日はかかりゐて  同

2016/08/08

■週末のいろいろ


立秋が過ぎましたが、まだ夏です。秋なわけがない。

ですが、切手の衣更えは、徐々に。



週俳、ウラハイに書いています。

【真説温泉あんま芸者】「〈それ誰〉俳句」の世界
http://weekly-haiku.blogspot.jp/2016/08/blog-post_7.html

〔ネット拾読〕昼のテレビでファームの試合(野球)を観る愉しみ
http://hw02.blogspot.jp/2016/08/blog-post_6.html



土曜日の夜、都心のあたりにいて、嫁はんが、佃の住吉神社が例祭だから行ってみよう、と。

人出はすでにあまりなく、若山胤雄社中の江戸囃子が聞けた。ごったがえす人を見るよりも、こっちのほうがいい。



同じ日に落掌した2つの句集。マイマイ『宇宙開闢以降』と川合大祐『スロー・リバー』。愛媛県と長野県、俳句と川柳。共通点はないように見えて、宇宙開闢(ビッグバン)、スロー・リバー、幼年期の終わりetc、SF的な要素が共通。

でね、どちらも、ものすごくおもしろいのですよ。企画性があって、コンセプチュアル。


2016/08/07

■かたちに向かう……『オルガン』第6号の俳句


『オルガン』第6号(2016年8月1日)掲載の句を読みました。

景色(視覚)を、一歩進んだ感のある描写で書きとめた数句に、「おっ」と思いました。

まず、

ペンが梅雨の闇の少しを紙に返す  福田若之

句の途中までは一歩というより半歩かもしれませんが(それだってじゅうぶんに注目すべき更新・新鮮)、「返す」で複雑化(蛇足ですが「移す」のほうがすっきりするが、それは避ける。

紫陽花を仕立てる針と糸のこと  田島健一

紫陽花は、文芸的加工を施したくなる花なのかもしれません。とすれば、メタ的な要素も。

水馬のあまた硬貨をやりとりす  鴇田智哉

「こと」で「もの」を描く。

この句は別の連作(同人共通のテーマ詠「ゲーム」)にある、

あめんぼの目玉を借りてきて眩し  鴇田智哉

とワンセットにも見えます。同じもの(形態・在り方)を別のアプローチで(同工異曲とは違う)。



一方、上に挙げなかった残る同人・宮本佳世乃は、連作「音の終り」にある次の2句が面白かった。

もう鍵盤がない息のない土竜  宮本佳世乃

噴水の入る袋のほそながし  同

「見える視覚」には向かわない。見ようとせず、音のなかで、見えないものをイメージする。上に挙げた数句とは対照的に思えました。

俳句は「見よ、見よ」と言われますが、べつに見なくたっていいんですよ(って、また、いいかげんなことを)。





第6号、楽しませていただきました。

なお、俳句には無関係だけど、「第6号」の「第」は必須。これのない俳誌が多いんだよなあ。

例えば「6号ぶんの代金を振り込む」って、どっちかわからないでしょ? 1,000円なのか6,000円なのか。


2016/08/05

■フラワーズ・カンフー!

小津夜景さんのブログ「フラワーズ・カンフー」
http://yakeiozu.blogspot.jp/

スタートしたんですね。

タイトルがいい。わくわくします。



〔参照過去記事〕
≫某日、ニースより
http://sevendays-a-week.blogspot.jp/2015/04/blog-post_27.html
≫某日、ニースより【補遺】画伯の絵その他
http://sevendays-a-week.blogspot.jp/2015/04/blog-post_14.html

週刊俳句・タグ  ≫ウラハイ・タグ




2016/08/04

■俳句にルールは不可欠







川柳には「切れ」や「切れ字」」を忌避する傾向があるんですね。言われてみれば、そう。

「前句付け」という伝統からすれば、たしかにそうなんでしょう。

川柳を読んで、全般に散文的処理が多いと感じていましたが、「切れ」のなさとも少し関係があるようです。


ところで、俳句にもいろいろな忌避があり、ルールというものがあります。

「切れ」がなきゃいけないとか。

季語がなきゃいけないとか。

五七五が望ましいだとか。

ルールは、大いにあっていい、なきゃダメ、というのが私のスタンスです。


じゃないと、反則技が使えない

ルールがないと、反則そのものが存在しなくなる。反則のない世界とは、きっと死ぬほど退屈でつまらない世界でありましょう。


つまり、俳句は、なんでもアリ、なのであります。





■某日、『はがきハイク』女子回の打ち上げにおじゃまする

集合場所の亞子事務所の前、新宿御苑周辺で、ポケモンGOの人だかり。なんだか新興宗教の行事っぽい。

(こういうゲームって、教祖のいない、あるいは教祖が自分の、新興宗教みたいなものかもしれません)

ひとりひとりがべつべつの方向を向いて、なおかつ「そこにいない」感は、ものすごくかっこよく捉えると、こんなふう(↓)でもあるのですが。



洒落た焼き鳥屋→ぜんぜん洒落てない中華屋「達磨」。どっちの雰囲気も、いい。どっちも楽しむのが、いい。


〔参照〕はがきハイク・第14号は女子回
http://sevendays-a-week.blogspot.jp/2016/06/14.html

2016/08/03

■学校モノ俳句 岡野泰輔『なめらかな世界の肉』の3句

オトナであるところの、それも(例えば私を含めた)老人と言っていいほどのオトナが、学校の出来事を俳句に詠むのは(つまり、そうした「思い出俳句」ってのは)いかがなものだろう、とつねづね思っていたのですが、

背の高くとてもきれいな子が落第  岡野泰輔

種痘痕吉井明子は転校生  同

学校が早く終つて竹の秋  同

こんな3句を見てしまうと、何を詠んで悪いとか良いとか、そんなことを考える気が失せてしまった。

それに、最近、作中行為者の「空虚」に思いが到った。簡単にいえば、「誰が」と明示していないかぎり、それは誰でもいい。作中行為者=作者=社会的人格を持った作者、といった俳句の(ゆるやかな)約束事なんて、どうてもよくなったせいもあって、学校モノも、誰が詠もうが「お話」のように自然に読めるように、私は、なりつつある。

それにしても、きれいな子の落第やら、吉井明子やら、とんでもないことが句になり、それがこんなに面白いとは。

(もしかしたら、何十年もの時間が経過したからこそ作り出すことのできるたぐいのおもしろさかもしれない。例えば、学校モノの有名句、高校生の作者がつくった《起立礼着席青葉風過ぎた・神野紗希》との趣の違いを思えば、その年齢なりの学校モノ、というものがあるのだろう。それは同時に、年嵩のいった人間が、「起立礼~」的な句をつくっていてはダメということでもあろう)


ところで種痘痕は、失われつつある伝統らしい。天然痘が日本でほぼ絶滅したから(間違ってたら教えてね)。女の子のむき出しの二の腕にある種痘痕が、私(たち)を強烈に惹きつけた時代は、もうとっくの昔に終わったのですね。





■The Price You Got to Pay to Be Free

梅雨は明けたはずなのに、はっきりしない空模様。

なので、ちょっとシャキッとできる歌と演奏。



ところで、モントレーもモントルーもあって、ジャズフェス、ややこしい。

2016/08/02

■相同 兵頭全郎『n≠0 PROTOTYPE』の一句

背中からバウムクーへン取り外す  兵頭全郎

そういえば、椎骨はバウムクーへンに似ている。

可笑しい。

からだを支える脊椎を構成するにはやわらかずぎるし、それに、そこって、美味しい必要はない。蟻がたかりそうでもあります。

なお、ホレンディッシェ・カカオシュトゥーベ(ドイツのバウムクーヘン屋)をソラで言えるうちは、「まだボケてない」と、自分に言い聞かせ、この店名を自分のボケ診断に使っている。

掲句は兵頭全郎句集『n≠0 PROTOTYPE』(2016年3月/私家本工房)より。


ちなみに、「脊椎 バウムクーヘン」で画像検索すると、カオスななかにもピースフルな空気が。

■蟬の穴 『オルガン』第6号の一句

『オルガン』第6号(2016年8月1日)より。

来て夜は沖のしづけさ蝉の穴  生駒大祐

「て」のこの場所、海ではなく沖、夜と水の広がりから蟬の穴への収斂。いろいろとテクニカルだけれど、それを目立たせることなく、たしかなトーンを醸成。

と、こんなふうに、わかったふうに嚙み砕く必要もなかった。

好き句。


2016/08/01

■終末的週末

ウラハイに、

ネット拾読:昼休みは屋上でバレーボールという日本の原風景
http://hw02.blogspot.jp/2016/07/blog-post_30.html

なんとか拾い読んでいますが、記事が、ない。

週刊俳句に、

蛸を釣るのは誰か? 関口恭代『冬帽子』の一句
http://weekly-haiku.blogspot.jp/2016/07/blog-post_2.html



京都から麗人を迎えての句会があるというので出かける。みなさんは句会の前に泥鰌の飯田屋。私は2時からの句会に、せっかくなので兼題「泥鰌」で5句投句。

そこでおもしろいことが起きた。「女」と書いた部分を清記者が「少女」と清記(見間違い、誤記なわけですが)。がぜん良くなった。句会の醍醐味。ちなみに私は「少年」「少女」という語を俳句に使わない。なので、結果的に、私史上初の「少女」句となった。

東京や耳に泥鰌を飼ふ少女 10key



都知事選。鳥越候補の得票の少なさにすこし驚く。「なんとかせえよ、左翼」が感想。でも、なんともならないんでしょう。

都政と国政は別だけれど、いわゆる「反安倍」気分がどのくらいのシェアなのかは、都知事3候補の得票シェアで推し量ることができる。つまり、「アベ政治を許さない」人は、それほど多くないってことか。

ま、それはそれとして、

  ■【選挙恒例】不正選挙騒ぎ、2016都知事選編
  http://togetter.com/li/1006662

いつの時代も一定数、いるのだろう。ただ、SNSと陰謀論は密接。SNSによってはっきりと目に見え、そして増殖していく。

萎えるしかないわけですが。

「開票と同時に当確が出るなんてオカシイ。不正選挙だ」という思考は、「太陽が東から出て西に沈む。地球が廻っているわけがない」というのと同程度か、それ以前。後者のほうが自分の目で見ているぶん、マシ。



くにたち句会、無事終了。「品」の席題で、

品川にゴジラ来た日の蝉時雨 10key

時事ったりもします。

『シン・ゴジラ』、評判がいいので、観に行こうと思います。前作は、なかなかに悲惨な出来栄えでしたが、今度のは期待大。