2016/01/14

■「句の詰め合わせ」から著作権問題に思いが到る

ウラハイで空きを埋めるようにときどきやっている「句の詰め合わせ」。

本日はサーカス。

http://hw02.blogspot.jp/2016/01/blog-post_14.html

サーカスの句はあまり見かけません。「よくある叙情」に堕してしまいがちだからでしょうか。けれども、おもしろい句がないわけではない。「よくある叙情」というハードルを超えたら、おもしろくなる、ということなんだろうなあ、と。



ところで、著作権というものがうるさく言われるようになってきました。環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)でその傾向は強まる見込み。

句の詰め合わせのような記事も問題になるかもしれません。文句が来たら、削除することになります。賠償責任(こわい!)とかは置いておいて。

でも、それって、誰の幸せになるのでしょう? もちろん、作者の不利益は大問題です。著作権侵害はいけません。けれども、俳句の場合、問題になるのを恐れて編集(上記の詰め合わせを含む)や引用を避ける方向に向かうとしたら、句が読者を得るチャンスを失っていくことになります。読者にとって、作者にとって、それになにより句にとって不幸だと思うのですが、どうなんでしょう?

俳句には著作権はない、すべて共有財産(いわゆるパブリック・ドメイン)だ、と主張するわけではありませんが、作者の権利関係は、すこしゆるくしておいたほうがいいんじゃないでしょうかね。


【補記01】
著作権フリーが死後50年から70年に延長されると、現在フリーの高浜虚子、西東三鬼などもフリーじゃなくなります。

【補記02】
作者の死後は著作権継承者の意向が、句の引用・転載の如何に大きく影響することになります(それは現在でも同じ)。その結果として、ある物故作家の句は、長く多くの人の目に触れ、別の物故作家の句は触れにくくなるという事態も起こります(現在すでにそのようです)。なんだか残念ですね。

【参照】
真説温泉あんま芸者 第10回 引用のマナー 法や規則の以前に
http://weekly-haiku.blogspot.jp/2012/09/blog-post_9.html

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