表面主義俳句は、深入りを拒絶する。
深さ・厚さではなく、浅さ・薄さ。膜の上に、みごとにとどまる句。
表面主義俳句は、読み手の中に蓄積されたドラマ群を参照させない。
あるとすれば、一秒先に見る一枚の(厚さを持たぬ)ドラマ。
表面主義俳句は、見ることのできない内面(感情、思想、個人史に縛られた私)に埋もることを拒絶する。「見た目」という表面にまで高められた句。
表面主義俳句は、描写や伝達や感興やあらゆるものの〔結果〕ではない。それは〔契機〕である。
東京の美しき米屋がともだち 阿部完市
表面主義俳句は、意味から逃れる。言い換えれば、意味が、ない。
東京を歩いてメリークリスマス 今井杏太郎
0 件のコメント:
コメントを投稿