2015/11/29

■「意地でも、どこかに行かない」

結社「澤」の詠みぶりに特徴的な、いわゆる「澤」調についての一文。
下五の短いセンテンス(池田澄子は『俳句』2013.11掲載の第59回角川俳句賞選考座談会でこれを「ダメ押し」と呼んでいる)の言い足りなさだろう。「焼きあがる」「地に伸びる」「すぐ返す」――いずれも主語や目的語が上五中七にあり、それが切れによって下五からは失われているため、欠けている感じがどこまでもついて回る。堀下翔 俳句雑誌管見「ふるさと」
「欠けている感じ」という指摘は、これまで私が思っていたこととずいぶん違います。

切れのあと、念を押す、とどまる(展開しない、離れない)を、私は逆に「充填」のような感じに思っていました。

別の見方が示されると、新鮮。



「アンチ二物衝撃」のようにも思っていましたよ。

意地でも、どこかに行かない。

「どこか」というのは、次の場面、照応される季語/事物、詩的ファンタジー(幻化の処理)など。

そういう態度が「澤」調と。



(で、記事内容とは無関係に、エノケン)




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