2015/09/10

■冒頭集:日影丈吉、および外階段のメモ

 兼任絹子は二、三日前から、彼女の周囲が急に変って見えて来た。というよりも、いままで気づかなかったことに、気づくようになった。学校と彼女の家をくるめた環境から、たまにデパートに行くとか、映画を見に盛り場へ出たりすることはあっても、かつて一度も持ったことのない感じであった。
 わずか二回の外出から、絹子は多くのものを示唆されたように思った。最初、その暗示を受けたのは、街路の感じからだった。それまで何気なく視野に入ってきた物が、ふいに顔つきを変えていたのだ。テレビのつまみを動かしたように、影が急にひきしまり、きわだって来た。彼女に何の関係もないはずの建物の前面が、凡庸な沈黙を捨て、意味ありげに微笑をうかべるのだった。

日影丈吉『非常階段』(講談社・1960年)



ところで、外階段の写真をしばしばここに掲載しています。外階段がなんとなく好きというだけの話で、これを大々的に蒐集しようなどという意図はなく、あるいは整理・分析して「外階段学」(ソトカイダノロジー)を確立したいわけでもないのですが、ここに写真を掲載し始めて以来、やたら外階段が目につくようになりました(度を越して目に入ってきて困ってるんです)。いや、もう、ほんと、町は外階段だらけ、です。で、その膨大な外階段のうち、相当数が「非常階段」なのです。

外階段は「非常」と「日常」の2つに大別できるようです。

「非常」階段は、いつもは使わない、非常のときの非常階段。マンションや学校〔*〕に設えられた外階段がそれにあたります。

「日常」階段は、頻度にかかわらず、日常的に使う外階段。そこを通ってしか階上階下の行き来ができない。

アパートの外階段が典型例。二階建てで、部屋数が上下合わせて6室程度の、昔ながら学生アパート。これにほぼ漏れなく外階段をが付いています。

実は私、最も愛しているのが、この何の変哲もないこの安アパートの外階段です。物件自体が築何十年。したがって外階段も、いいぐあいに古びている。安い家賃だから簡素。

町工場にも「日常」の外階段が多い。これもなかなか味わい深い。作業場から外階段を伝って上に上がると事務所、あるいは家族や従業員が暮らしていたりするのでしょうか。想像が膨らみます。


私自身の外階段ラヴという点では、日常・外階段>非常・外階段。

なんのヘンテツもない安手の簡易な外階段こそが、最愛の外階段、というわけです。


〔*〕学校の外階段は立派です。非常時、マンションなどと比べても一度に大勢が使うからでしょう、とてもがっちりとした造り。堂々たる外階段、です。デザインや色もたまに惚れ惚れするようなものがあります。ただし、カメラを向けるときは要注意。小学生をカメラで狙う不審者は警察に通報するかんね、といった掲示を見たことがあります。だから、めったに撮らない。「いえ、あの、小学生ではなく外階段が趣味なんです」などといった申し開きは通用しそうにありませんから。

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