2015/12/31

■鼻からスイーツ

中嶋憲武画伯がランちゃんを連れて、獣医さんとこへ予防注射に来るのは、年の暮の恒例行事。

今年は昼ごはんまでの暇に、俳句をつくることにしました。リレー方式のブームがまだ続いているらしく、上・中・下を順繰りに。

30分ほどで15句(いいペース)。

このなかに偶然、イコマ氏によるDM句会(詳細不明)の兼題含みの句があったので、投句しておきました(ひとつはその場に居合わせた嫁はんが改稿したので3名の合作)。

名義が必要だろうということで、ユニット名は「ザ・ノリーズ」。


※なお記事タイトルは記事内容と無関係。

青色が中嶋画伯、緑色が私。


■で、『桜前線開架宣言』をひらいたわけですが

煤逃。

最初の歌人、大松達知。

あら、まあ。

とてもおもしろい。調べがナイス。すごく、いい。

〈いい山田〉〈わるい山田〉と呼びわける二組・五組のふたりの山田  大松達知

自分のなかの「ただごとラヴ」「軽妙ラヴ」をあらためて実感した次第。


お正月にぱらぱらめくるのに最適ですね、この本。炬燵があればもっといいけど、うち、ない。

ややこしいのやめんどくさいのは飛ばして、ぱらぱらしたい所存。



■短歌の勝ち?

思った以上にピンクだった山田航編著『桜前線開架宣言』(2015年12月/左右社)。


句会のとき、こんな本、買ったよ、と俳人諸氏にお見せしたところ、ある人は手にとりページをすこしめくったとたん、「うっ、自意識が……」と、なにか濃厚すぎるソースに反応するかのように、目をそらしました。

「作者の自意識の発露がなにより苦手、だから俳句やってる」という人は多いようです。私も、その手の発露・披瀝はカンベンなクチですが(俳句にだって、ありますよ)、「自意識という芸」なら、イケたりします。1970年以降生まれの歌人を集めたこの本の、その点での濃淡については、これから楽しみに読んでいきます。

それよりも、いまどきの(とくに口語の)短歌=大喜利のネタ(すこし長めの)、という偏見はあって(俳句にだって、ありますよ。ざぶとん取りに行く句)、そのへんも確かめつつ味わいたいと思います。



帯の文句「21世紀は短歌が勝ちます」は、勝負相手を示さない点、きわめてじょうず。

相対ではなく絶対的な価値としての「勝ち」? とはいえ、相手が想定されているのかもしれません。

「何に、だと思う?」

「やっぱり、世間に、かな?」

昭和枯れすすき世代ですな。……貧しさに負けた♪ いえ、世間に負けた♪

2015/12/30

■人名さんは行く

人名17音(あえて俳句と呼ばない)は、静止画、ポートレイト。

人名31音(まちがっても短歌と呼ばない)は、動画、ショートムービー。

前者は人名に代替がきかない。後者の場合、誰をもってくるかはキャスティング。替えがきく。

その違い。


人名句集『チャーリーさん』増補改訂版

菅井きんの歌



2015/12/29

【句集をつくる】第7回 実務も少しはやらないと、です

過日来訪のイコマ氏が、句集の予算=チャーハン2000杯が目安、という記事をおもしろがって、「あれ、体積にすると、どのくらいでしょうね」と、暗算を始めてくれた。さすが東大理系大学院卒(これ、りっぱに学歴ハラスメントですね)。

結果、部屋いっぱいにはなりそうにないという、ぼやーっとした結論に達しました。

さて、今回は、実際に連作について頭を悩ませることにします。


例えば、《十一月八日ぽろりと臍の胡麻》という句から始まって、《十二月六日ふうせんだまに臍》〔*〕に終わる連作、数句から十数句を考えましょう。

初冬、あるいは冬前半です。途中、なかほどの位置に、もう一句くらい、日付の入った句がほしい。「十一月某日」といった不確定でもいいですね。「臍」はひつこいので入れない。気張らずに、句にするのがよいです。いまさら力を込めてもしかたがない(世の中もう終わってるんですから)。

《十一月某日メモに出汁の滲み》とかいって台所俳句。メモと日付はカブり気味なので、《十一月某日犬の鳴くテレビ》とかいって情けない感、《十一月某日ところどころ雨》と、惚けるとか。

「ところどころ」で思い出したのですが、最近、踊り字を使う人が増えている気がします。旧仮名に揃えて、ということでしょうが、「ゝ」とかはあるのに、2字以上に用いる「く」の長いやつは使っていないケースもあって、なかなか徹底できないものだなあ、と。もっとも、いまの印刷だと、この、たらーっと長い「くの字点」がきれいなかたちに出ない。見た目を考えると、ムリがあるのですね。

閑話休題。連作です。

十一月、立冬以後は冬ですが、体感的には、そうでもない。秋を引きずっています。林檎の句がほしい。林檎は秋の季語ですが、冬の感じもある。「冬林檎」という季語にはいまだに違和感があります。

そういえば、シクラメンも春の季語になっていますが、冬の感じですね。長く咲き継ぐ花。このまえ南房総の道の駅で買ったシクラメンは、いまもきれいに咲いています。もっとも、シクラメンはちょっと早い。年を越した時期の連作でよろしいか、と。

「初時雨」とか入れると、冬前半の感じが出そう、とかなんとか姑息なことを考えたりもしますが、いや待てよ、初時雨ってものが、自分のなかにあるかというと、あんまり、ない。時雨はあっても、それが「初」かどうかはわからない、というかそれほど関心がない。こういう季語は、「ああ、今年初めての時雨だ」ときちんと認識できる人が詠むのがよろしいです。キャラ(作家性)が出る。おおむねぼんやりしているのに、初時雨だけ、いやにシャキンとわかってるぽく書くのはちょっと奇妙。同じ5音なら「時雨かな」かもしれません。

ともかく、この「ふうせんだまに臍」(仮)は、臍的なこと、秋から冬になった的な気分が連作になるといい。それくらいゆるい括り。


〔*〕「風船」は春の季語でしょう?と疑義をはさむ人もいそうですが、気にしません。(この「風船」が季語かどうかという問題はさておき)、「一句に季語はひとつ」という「ルール」(というか原則?)はさすがに私でも知っています。そこをいまさら語ってもしたかがないので、前述のようなセリフには「そうですね」と答えておくか、ちょっと元気なときは「季語はなくてもいいし、200個くらい入ってもいいんですよ。それが有季定型ということです」と答えることにしています。すると、「こいつに季語のことを言ってもしかたがない」てなことで引き下がってくれる。私としてもムダな時間が省けます。

2015/12/28

■くにたち句会、無事終了

席題6題。「頭に付けるもの」なんてお題も出ましたぜ。

県知事の頭の上の中華そば 10key

句会後は鮟鱇鍋その他。


【写真1】嫁はんがサツマイモのつもりで買って蒸かし、割ってみたら、ありゃま、ムラサキイモだった。事故・まちがいがもたらした色、あざやかな色。

【写真2】賜り物の日本酒。



■師走を走る菅井きんの歌

売れ残りしケーキ山なす路地裏を抜ければ菅井きんの待つ町 10key

毛皮着てチャーリー浜のモノマネでゆくよ世界の果てのきりぎし

二〇一五年が終はるかなしみのごらんよジャンボ鶴田の背中

といふはネブカドネザル二世のところでけふの鍋はなに鍋?


みなさん、今年最後の月曜日ですよ。


2015/12/27

■『週刊俳句』の年末号はボリューム満点で煤逃に最適

これ↓↓↓、ね。
http://weekly-haiku.blogspot.jp/2015/12/453-20151228.html

字に疲れたら、生駒大祐・堀下翔両君の「年末大放送」を観て和む、という手も。



私にとっては、若い人の話をたくさん聞いた号でもあります。上に書いた「放送」もそうですが、柳本々々へのメールインタビュー。

柳本々々さんによる解題記事はこちら↓

自分から何か俳句について言ったりすることはだんだんと減ってきている感じはあるのですが、「聞く」という仕事は、ひつこく長くやれるのかもしれません。




ちなみに、昨年の第400号記念号と年末号。

http://weekly-haiku.blogspot.jp/2014/12/40020141221.html
http://weekly-haiku.blogspot.jp/2014/12/40120141228.html

2015/12/26

■業界最小最軽量『はがきハイク』第13号

ぼちぼちと『はがきハイク』第13号が届いていると思います。


こちらから勝手に送りつけております。漏れも多数かと思います。

「これまで来てたけど、今回は来ないぞ」、あるいは「なんだそれ? 見たいから送れ」という方は tenki.saibara@gmail.com まで。

2015/12/25

■『週刊俳句』年末号予告:うの付くものにうなぎパイ(あるいは饂飩)

過日、『週刊俳句』の年末記事のための録画。

イコマ氏来訪。手みやげにうなぎパイ。あえてやるベタ、という意味で、とても俳句的。



数へ日や夜のお菓子を昼間喰ふ 10key


腹ごしらえに、釜揚げうどん肉吸風。


イコマ氏はいまだ膨張を続けている。かようなる事態の責任の一端は、私たちにもある。

それはともかく、録画は、とてもリラックスした雰囲気で軽く完了。『週刊俳句』の年末号(12月27日)をお楽しみに。

2015/12/24

■12/24

クリスマス・イヴです。

夜更け過ぎに雨が雪になったり、恋人が来なかったり、その程度のドラマではとうてい満足できません。

定食で生きる男のクリスマス  中嶋いづる




2015/12/23

■2015年テレビドラマの「いちばん」

2015年のテレビドラマでいちばんおもしろかったのは、なにか?

64(ろくよん)です。(≫WIKIPEDIA

これはもうダントツ。迷うことはありません。

ただし、全篇観たといえるのは、ほかに「怪奇恋愛作戦」(テレビ東京・これ次点)、「山田孝之の東京都北区赤羽」(テレビ東京)、「孤独のグルメ・シーズン5」(テレビ東京)、「破裂」(NHK)くらい(テレ東、多い!)。一部観たというのを合わせても10本行かない。比較的、観ないほうでしょうか(平均がわからない)。

それとほとんど録画。いまはハードディスク録画があるので便利ですね。それに、コマーシャル飛ばせるし。

で、「64」なのですが、映画化もされるそうで、それはそれで楽しみです。


2015/12/22

■川ラヴァー・橋ラヴァー暮らし、変わらず

いまも多摩川を走っています。夏よりも頻度はかなり落ちたものの。

先日は、かつてよりの企てであるところの川崎までダウン・バイ・ザ・リヴァー。途中かなりのんびり走って、川崎大師まで2時間30分。片道30km強というところでしょうか。トータルで70km近く走ったっぽい。

さすがに脚にきました。行きはよかったのですが、帰り、向かい風もあって、へろへろになって帰宅。じょじょに距離を伸ばさないとダメですね。いつか、浮島まで走って、東京湾を見てきます。

川崎の中心地の手前。

帰りは東京都側、二子玉川方面へ。
対岸にラジオ日本の送信アンテナ越しの富士山。

2015/12/21

■菅井きんの日・菅井きんの歌

科学的根拠を欠いたまま今日は地球ぜんぶが「菅井きんの日」  10key


したがいまして本日、菅井きんの歌はお休みです。


2015/12/20

■最近のびっくり

大好きな映画『アバウト・ア・ボーイ』(2002年)の子ども役と、今年最高に面白かった『マッド・マックス 怒りのデス・ロード』(2015年)のニュークス役の俳優が同一人物なことを最近知って、吃驚。
13年の歳月。
はがきハイクの「最近のびっくり」にこれを書こうと思ったのだけれど、長すぎるのでやめた。
というわけで、「はがきハイク」第13号は、もうすぐです。



■消息:やや旧聞~2015年12月中旬

『連衆』第72号に「かの夏を想へ」(11句+菅井きんの歌11個)を掲載していただいています。

『連衆』は、谷口慎也さん(大牟田市)編集・発行の「短詩型文学誌」。この号には招待作家として柿本多映さんが22句寄稿。

ご興味のある方は tenki.saibara@gmail.com まで。残部僅少につき、複写等になるかもしれませんが、お送りいたします。



『週刊俳句』にこのところ【句集を読む】を4本。

第451号:【句集を読む】父に靴を 飯田冬眞句集『時効』の一句
http://weekly-haiku.blogspot.jp/2015/12/blog-post_5.html

第452号:【句集を読む】なつかしい映画 柏柳明子句集『揮発』の一句
http://weekly-haiku.blogspot.jp/2015/12/blog-post_20.html

同:スケールが引き起こすもの 矢野玲奈句集『森を離れて』の一句
http://weekly-haiku.blogspot.jp/2015/12/blog-post_97.html

同:捨てられる直前の記憶 杉山久子句集『泉』の一句
http://weekly-haiku.blogspot.jp/2015/12/blog-post_61.html

年内に書いておきたかった句集は他にもたくさんあり、積み残しとなりました。

ウラハイにひさしぶりの「コモエスタ三鬼」。
http://hw02.blogspot.jp/2015/12/40.html

2015/12/19

■風邪にお気をつけください

spica という俳句サイト。

ペン先をペンへ引つ込め風邪心地  野口る理

食卓や私のほかは風邪ひいて  江渡華子

11月の新作は風邪の句がおもしろい。

それで、神野紗希さんの10句を見たのですが…


風邪の句はなかった。


2015/12/18

■くにたち句会〔12月〕のお知らせ

2015年1227日(日)14:00 JR国立駅改札付近集合

句会場所:ロージナ茶房(予定)

席題10題程度

句会後の飲食もよろしければどうぞ(会費アリ)


ご参加の方は、メール(tenki.saibara@gmail.com)、電話etcでご一報いただけると幸いです。

問い合わせ等も、上記メールまで。


2015/12/17

■感動?

「感動を俳句にする」。わりあい目にします。作句法の入門書・指南書に限らず。

ためしに、この文言でググッてみると、≫こんな具合


しかしながら、冷静に考えてみてください。人間、そうそう感動なんてするものではありません。

一方、句はたくさん生まれます。句会、俳句雑誌、句集。

ある一人の俳人が、句の数だけ「感動」していたのだとしたら、その人は、そうとうヘンな人です。

「感動屋さん」と呼んで済むようなレヴェルではないです。


だいじょうぶですか? 「感動から俳句を作りなさい」なんて言ってる人。

2015/12/14

■夜は夜ごとの菅井きんの歌

雨の降る夜に語り合ふ多様性維持と辛酸なめ子のことを 10key

真夜中をベティー・ブープの靴音のはるかより来てはるかに去りぬ

錆色の夜空をあふぎつつ行けり口笛で吹くエノケンの唄


みなさん、月曜日ですよ。

2015/12/11

■おかえり


■鳥のゆくえ

ポストです鳥の行方を聞かれても  内田万貴

俳句の人なら、春、「鳥帰る」の季感で読むかもしれませんが、そんなことより、ポストという「移動」の予感を孕む事物と「鳥の行方」の照応。

だって、知っていそうじゃありませんか、ポストなら。

ポスト「知らんよ」。



鳥が白い封筒に見えてくる不思議も、不意に。


掲句は『川柳木馬』第146号(2015年10月)より。

2015/12/10

■鈴

六月に生まれて鈴をよく拾ふ  生駒大祐

私も六月生まれなのですが、だからと言って鈴をよく拾うわけではなくて、だいたいにして鈴がそんなに落ちているわけはないのだから、これはつまり、この世とは薄皮一枚を隔てた別の世界の出来事のようにも思え、いや、しかし、そんな人も、この世の現実にいるのかもしれない。

拾うとき、鈴の音が小さく鳴ったりして、そうなると、またもや、ちりんと、違う世界の出来事めいてくるのであります。

掲句は『オルガン』第2号(2015年7月30日)より。



2015/12/09

■12月6日のこと

12月6日、山本勝之の命日でありました。


≫山本勝之「喫茶・鍵」
http://weekly-haiku.blogspot.jp/2007/08/blog-post_24.html



≫亡くなったその晩に書いた「週刊俳句」後記
http://weekly-haiku.blogspot.jp/2008/12/085_07.html

≫山本勝之の一句について書いたもの
http://tenki00.exblog.jp/4116418/



2015/12/08

■12月初旬の消息その他

≫『俳句界』2015年12月号を読む
http://weekly-haiku.blogspot.jp/2015/11/201512_29.html

≫『俳句』2015年12月号を読む
http://weekly-haiku.blogspot.jp/2015/12/201512.html

≫八田木枯の一句:水洟やどこにゐようと日は西に
http://weekly-haiku.blogspot.jp/2015/12/blog-post.html



ソファーの句(生まれて初めてつくった句:『けむり』あとがき参照)を、柳本々々さんが引用してくださっています。いろいろな場所に置いてもらえる句は幸せです。

【お知らせ】はらだ有彩「12月のヤバい女の子/喪失とヤバい女の子」『アパートメント』レビュー
http://yagimotomotomoto.blog.fc2.com/blog-entry-1176.html



2015/12/06

■勝手に組句:使用前後・使用中

吊られゐて潜水服の中おぼろ  杉山久子 『泉』

白南風や潜水服のなかに人  10key 『けむり』




2015/12/05

2015/12/04

【句集をつくる】第6回 連作ユニットの件




前回・前々回のオカネの話からがらっと変わって、今回は内容の話です。

「5句から数十句単位の連作の集合にするスタイル」というアイデアについて第3回に書きました。

連作のタイトルは(ゆるやかな)詞書/前書として作用することがある。そう気づいたので、その考え方を実行しようと思います。

≫流体力学 10句
http://sengohaiku.blogspot.jp/2014/01/haikuworks1_31.html

「河童」と明示せずに10句全体の詞書として「流体力学」。この体(てい)で行こうという考え。したがって、一句の中の一語(熟語等)を抜き出してタイトルにするという、よくあるやり方は、きほん、しません。それが〈ゆるやかな詞書〉になっている場合を除いて。

さて、実際の作業は、新しく連作として何句かをまとめていくほか、例えば上記「流体力学」10句を生かす、あるいは元にして加減(足したり引いたり)していく、推敲するという作業。ほんとうの詞書にした書名を生かすかどうかを含めて検討(この大真面目な冗談は、きっと残します)。

もうひとつ、土台になる連作例。

≫俳風昆虫記〔夏の思ひ出篇〕 99句
http://weekly-haiku.blogspot.jp/2012/09/99.html

これは『けむり』収録句を除くと81句。これを元に加減乗除。

さらに。

≫走れ変態 9句
http://weekly-haiku.blogspot.jp/2014/07/9.html

これは当時のタイミングでの座興の要素が強いので、また変態句を一箇所にまとめると、変態を収容所に閉じ込めておくようで(というヘンな理由で)、バラして、他の連作に紛れ込ませることにしましょう。「暮らしの中の変態性」。

といったあんばいで、『けむり』以降、いろいろなところに掲載していただいた連作を机上に/俎上に載せて、切ったり貼ったり赤を入れたり補充したりという、楽しい作業が、まず待っていますね。補充用に、バラの句も用意しつつ。

このように考えていくと、句数が足りているような錯覚に陥るから、不思議です。


ま、そんなこんなで、なにはともあれ、楽しく行きましょう。

2015/12/03

■バイカル湖へ 『川柳カード』第10号を読みました

『川柳カード』第10号(2015年11月25日)。同人諸氏の作品10句ずつが並ぶなか、飯島章友「ほらここに」がおもしろかった。

上向きにすれば蛇口は夏の季語  飯島章友

ふだん俳句に親しんでいる者としては(あるいは、そうでなくとも)、納得感があります。景が思い浮かびやすい(例えばグラウンドの端っこに水道で運動のあとの喉を潤すの図。青春!)こともあり、わかりやすい句です。

わたくしの一指がまじる十二指腸  同

ハ行音まみれの二十二歳だな  同

ほらここにふらここがあるバイカル湖  同

指つながりとか、音つながり(ほらここ、ふらここ)とか、言葉遊び(いい意味です、常に。言葉を遊ぶのは常に、いいこと)の成分が強い。そこへもってきて、「バイカル湖」という有無を言わさずワケのわからない帰結がくっついています。快感ですね。

なお、

球根の寝息かすかな月明かり  同

…といったポエティックな句もあります。広レンジの10句。



この号では、暴力的でちょっと禍々しい材料に、コクのある諧謔と触感を含ませた次の2句もお気に入りです。

殺さない約束で逢うラヂオ塔  くんじろう

弾薬が泳いでいるよ和金だよ  榊陽子


加えて、表紙にもあるように「第三回川柳カード大会」のレポートも充実。

※『川柳カード』についての問い合わせ等は、以下のサイト。
http://senryucard.net/



2015/12/02

■言葉とか文字とか 『鷹』2015年12月号

『鷹』2015年12月号に本年度の「同人自選一句」。年末号らしい企画ですね。

主宰と編集長(編集部?)のお二人の自選一句は、以下のとおり。

言葉は帆四海料峭吹きわたり  小川軽舟

月涼し旅の記憶を文字にして  髙柳克弘

「ことば」への信頼をあらためて表明するかのような二句と思いましたよ。



同時に、ジャンルへの信頼もあるようです。俳句というジャンルへの。

そういう態度はすこしうらやましくもあります。


※例によって、記事内容とは無関係に、ソウル・コフィン。

2015/12/01

■暖冬?

…のようですが、少しずつ寒くなってきました。もっと寒い気分に浸りたい気もします。レジデンツのエスキモーでも聴くことしませんか?




2015/11/30

■今日もどこかで菅井きんの歌

台東区あたりで澱みだす空気そのとき菅井きんの爆発 10key

「葬式の花ぬすみます」さう言つて駆け出す緑魔子を目で追ふ

しかうして大場久美子のLPに冬の日のさすそんな日常


みなさん、月曜日ですよ。



■句会果つ

http://www.iwate-ginpla.net/

http://koueimarusuisan.ocnk.net/

2015/11/29

■「意地でも、どこかに行かない」

結社「澤」の詠みぶりに特徴的な、いわゆる「澤」調についての一文。
下五の短いセンテンス(池田澄子は『俳句』2013.11掲載の第59回角川俳句賞選考座談会でこれを「ダメ押し」と呼んでいる)の言い足りなさだろう。「焼きあがる」「地に伸びる」「すぐ返す」――いずれも主語や目的語が上五中七にあり、それが切れによって下五からは失われているため、欠けている感じがどこまでもついて回る。堀下翔 俳句雑誌管見「ふるさと」
「欠けている感じ」という指摘は、これまで私が思っていたこととずいぶん違います。

切れのあと、念を押す、とどまる(展開しない、離れない)を、私は逆に「充填」のような感じに思っていました。

別の見方が示されると、新鮮。



「アンチ二物衝撃」のようにも思っていましたよ。

意地でも、どこかに行かない。

「どこか」というのは、次の場面、照応される季語/事物、詩的ファンタジー(幻化の処理)など。

そういう態度が「澤」調と。



(で、記事内容とは無関係に、エノケン)




2015/11/28

【句集をつくる】第5回 予算の話


前回の値段の話の話に続いて、今回は予算の話です。

これ、だいじ。句集の99.99%は自費出版なわけで、句集を出そうというなら、予算を考えないといけません。

たくさんの俳人・俳句愛好者が句集を自費出版されていますが、その費用はずいぶん幅があるようです。本の体裁にもよりますが、同じような体裁でも費用は大きく違うようです。

で、早速、結論ですが、お店でチャーハンを2000杯食べられるくらいを目安にしようと思います。理由は、前回、『けむり』が郵送代込みでそれくらいで出来たから。

なお、これは、冷静に考えて、けっこうな金額です。道楽としてはずいぶん贅沢。

俳句はふだんオカネがまったくかかりません。紙と鉛筆さえあれば遊べる。必要な書籍も少ない。歳時記あるいは季寄せくらいは必要ですが、あとはそれほど要らない。他人様の句集は贈呈されることもありますし、買うのがツラいというなら、図書館で読む手もある。

俳句は貧しい者の味方だと、書いたことがあります(≫spica 掲載「虫の生活」より)。ただし、それは、句集を出そうなどとは思わないかぎりにおいて、という話です。

句集には、その面での覚悟が入りますね、じつに。

「そんなムダな酔狂にチャーハン2000杯ぶんのオカネをかけるなんて!」というのが常識的な考え方でしょう。でも、だからこそ酔狂、とも言えます。

それに、です。初回に書いたように、オカネがなくて(惜しくて)出せないなら、つくるだけつくって、出さなければいいのです。「句集をつくる」と「句集を出す」は別物。それに、ほとんど費用のかからない方法もあります(PDFを知人に送る、ネット上に公開する、プリントアウトした紙をホチキスで止める、等々)。ただ、まあ、今回は、上記の予算で行くことにします。








■追悼アラン・トゥーサン

アラン・トゥーサンが亡くなった(11月10日)ことを知ったのはずいぶんあと。享年77、ですか。

最初に聴いたのは「Southern Nights」(1975年)だから、いわゆる「にわか」の部類。当時、細野晴臣のトロピカルっぽいアルバムが相次いで発売。その元ネタが、なあんだ、「Southern Night」じゃないか、と思ったものですが、調べてみると、「トロピカル・ダンディー」が1975年、「泰安洋行」が1976年と、ほぼ同時。進んでいたんですね、先端だったんですね、細野晴臣。と、まあ、別のことも思い出したりしましたよ。






この正統派ラヴソング(1978年)も好き。サザン・ナイツから3年後は、南部テイストが抜け、がらりと当時のメインストリーム洗練(ジェフ・ポーカロ、チャック・レイニー、リチャード・ティー、ラリー・カールトンなどがバック)。いわゆるマーケティングされたアルバムだったですね。

2015/11/27

■カレンダーから絵葉書へ

カレンダーとして使い終わると、切り離して絵葉書に。

雪我狂流さんのベトナム土産は、いろいろと素敵です。




■東京の表層

表面主義俳句は、深入りを拒絶する。

深さ・厚さではなく、浅さ・薄さ。膜の上に、みごとにとどまる句。

表面主義俳句は、読み手の中に蓄積されたドラマ群を参照させない。

あるとすれば、一秒先に見る一枚の(厚さを持たぬ)ドラマ。

表面主義俳句は、見ることのできない内面(感情、思想、個人史に縛られた私)に埋もることを拒絶する。「見た目」という表面にまで高められた句。

表面主義俳句は、描写や伝達や感興やあらゆるものの〔結果〕ではない。それは〔契機〕である。

  東京の美しき米屋がともだち  阿部完市

表面主義俳句は、意味から逃れる。言い換えれば、意味が、ない。

  東京を歩いてメリークリスマス  今井杏太郎



2015/11/26

■おそるべき大阪

とりどりの滴になって心斎橋  竹井紫乙

火と水を噴いて大阪歩きます  同

……。

どんなとこなんですか! 大阪って!


なお、句集全体が大阪なわけではありません。おもしろい句集です。



竹井紫乙句集『白百合亭日常』(2015年9月25日/あざみエージェント)の詳細はこちら↓
http://azamiagent.com/modules/myalbum/photo.php?lid=41&cid=1

2015/11/25

【句集をつくる】第4回 値段の話


ええっと、今回は値段の話。

一般に句集の頒価、2800円かその前後が多いようですね。これ、ページ数(多くは200頁を切る)や造本などからすると、とんでもない値段です。一般書籍で200頁程度だと(新書の体裁は別にして)1200円から高くても1500円程度でしょうか。

句集がなぜこんなに高いのか。

謎です。

以前はいろいろ類推しました。自費出版の制作費(版元に支払うオカネ)、例えば140万円を発行部数(例えば500部)で割って2800円、とも考えました。ぜんぶ手売りすればトントンという計算。ですが、制作費はケースによって幅があります。

わかりません。

結局、そういう習わし、と考えるしかないのかもしれません。

なにか確たる理由があるのかもしれません(ご存じの方、いらっしゃたら教えてください)。

「自費出版だからいくら高い金額をつけてもいいじゃないか」という声もありましょうが、一般書籍につきまとう版元の損益リスクはないのだから、採算を度外視して安くもできる(極端な話、100円でも500円でもいいのです。謹呈が多くを占めるのであれば、いっそのこと)。

ところが2800円、ないしはその前後、です。

謎ですね。

あ、言っておきますが、2800円はダメ、とか、「高価」を批判しているわけではないのです。

こういうものって、著者(自費出版をする人)が決められるものではない、というケースもあるでしょう(ナントカ叢書ってなシリーズとか)。自分で決めるものではない、と思い込んでいる人もいそうです(自分が費用をぜんぶ負担する自費出版であるにもかかわらず)。

それに、きほん、値段も含めて、著者それぞれが、あるいは版元それぞれが決めればいいことです。それに文句をつけるつもりは毛頭ありません。

ただ、2800円という破格の(異常な)定価をつけつつ、「広く多くの人に読んでほしい」とのたまう、そういうムジュンには、やはりちょっと首を傾げます。

贈呈以外のところで、思ってもみない読者に出会う(それが「広く」という意味のひとつ)ためには、常識的な頒価がよろしいです。


で、どうしましょう?

出来てもいない句集の値段を、この時点でうんぬんするのもへんな話ですが(もともと順序どおりではありません、この「句集をつくる」シリーズ)、頒価は1300~1500円くらいかな? 次に出す句集は。自分の知らないところで読者に出会ってほしいので。『けむり」は幸運にもそういう出会いがいくばくかあったようなので、チャンスはだいじにしたい。

ちなみに『けむり』は1800円。ちょっと高すぎたと反省。当時、既存の句集群の高価にちょっと気を遣ったところもある(意外に弱気です)。人名句集『チャーリーさん』は私家版・非売品(実質タダ)でした(PDFによる増補改訂版も現在無料)。「こんなものでオカネを頂戴するなんて滅相もない」ということもあるし、こんな酔狂(バカとも言う)にふさわしいのは「プラスレス」。そういう気分もありました。

その意味では、次の句集は、酔狂(バカとも言う)に1000円以上のお代を頂戴しようというのですから、自分でもちょっとドキドキしてしまいます。

なお、ディストリビューション(流通・頒布)の問題も、価格と密接に存在するわけですが、これについては、まだノー・アイデア。おいおい考えていきましょう。


というわけで、句集づくりを元気に、のんびり進めてまいります。ジミ・ヘンドリクスでも聴いて、盛り上がりつつ。





2015/11/24

■十一月の南房総

花の谷クリニックの11月のコンサートはこのところ恒例。嫁はんは伴奏、私は運転手。

食堂。昼間ここでコンサート。

運転手にはアイドルタイムがふんだん。ひとり散歩をたくさんします。


夕食のあと、軽く、近くのレストラン。猫がたくさんくつろいでいて、われわれ人間もとても居心地がいい。


2015/11/21

【再掲】くにたち句会〔11月〕のお知らせ

2015年1129日(14:00 JR国立駅改札付近集合

句会場所:キャットフィッシュ
(場所が第一報=ロージナ茶房から変更になりました)

席題10題程度

句会後の飲食もよろしければどうぞ(会費アリ)


ご参加の方は、メール(tenki.saibara@gmail.com)、電話etcでご一報いただけると幸いです。

問い合わせ等も、上記メールまで。


2015/11/20

■発句と俳諧味 福田若之宣言のこと

福田式発句論の記事2本(ウラハイ掲載)。

もう一度、「発句」と言いはじめるために

なぜ、もう一度、「発句」と言いはじめることを考えるのか

2行にまとめると、

句は、他の句とつながってるよ。

俳諧味しばり、じゃなくていい。



異論はありません。というか、含蓄および刺激的。



2本目は「念の為に言っとくけど」といった位置付けと思しいが、心配に及ばない。現在の俳句世間においては、俳諧味は幅を利かせていないので。

ざっくりいえば、俳諧味と文学性が対照され、後者が優遇されている感が強い。

で、このふたつ、どちらも、アリでいい。「俳句」はなんでもアリ。「俳句」は寛容。
「俳句」という言い方には一つの価値判断がすでに織り込まれている。そう考えると、バルバロイになってしまうかもという懸念は当然あるけれど、あえて「発句」と言いはじめてみたいという気持ちが湧いてくる;そのほうが、なんだか自由になれる気がする。福田若之
この部分は、俳諧味ばかりを重視する必要はない、という脈絡にありますが、逆に、俳諧味を(現在のように)軽視する必要もない。そのほうがさらに自由、と、私などは思うですよ。

ただ、「俳諧味」というもの、幅広く多義的。その難しさはありますけれど。

2015/11/19

■一周忌の柿

『里』2015年9月号(2015年10月23日)より。

柿切つて崖あらはるる一周忌  黒岩徳将

「もいで」ではないので、柿の木を切ったと解しました。

亡くなった人の家を、親しい人が整理する。柿の木をそのように限定して読みましたが、そうでなく、どこかにあった木、と読む人もいるでしょう。

無住となった家は、すぐには片付かず、1年くらいは知らぬ間に経ってしまいます。

先立った人への哀悼・愛惜の気持ちも強く感じる句。




■勝手に組句:毛皮夫人と鰤旦那

オカリナを吹きをり夜の毛皮夫人  中嶋憲武

服の上にどてらをつけて鰤旦那  八田木枯

タイトル「毛皮夫人と鰤旦那」をやりたかっただけです。

「お金持ち俳句」というジャンルにも見えますが、ちょっと違うような気もします。



2015/11/18

■御座候が世界一(回転焼部門)おいしい件




カロリー制限を続けている者としては、目の毒です。


2015/11/17

■スズメの国・ハマグリの星 岡田一実句集『小鳥』の一句

晩秋の季語「雀蛤となる」は七十二候のひとつ(詳しくはググれ)。古い中国由来。句になるときは、二物衝撃的に、関連が濃くなり過ぎないように、あるいは伝奇的なモチーフと結びつけるなどを、よく目にする。スズメやハマグリの形象がキュートだし、言葉遊び的に楽しい季語でもあります。

そんななか、これ。

雀蛤となつて夕餉の良い匂い  岡田一実

蛤のお椀が連想され、「食べちゃうんだー!」と、ちょっとびっくりする。この季語の処理としては、かなり新鮮、というか異例。素っ頓狂な味もある。おもしろいですね。

(「て」のうしろの切れを深い切れと解し、ハマグリと夕餉を結び付けない読み方もあるにはありますが、意味で関連するなら関連させて読む、というのが私の基本的スタンス)


ところで、季語の「本意」がどうのこうの、というのは、句を評するときのなかばクリシェ。したり顔で口にされることも多い。本意などどうでもいい、とはまったく思わないけれど、本意を了解したうえで、季語を遊ぶ態度も、俳句の楽しみ。そう考えているので、雀が大海に入り、蛤となって、水揚げされ、そして作者の食卓にのぼった、という事態もまた、おおいにアリなのです。

掲句は岡田一実句集『小鳥』(復刻2015年11月1日/マルコボ.コム)より。


2015/11/16

■なんとなく菅井きんの歌

戦争はいやだいやだと泣きながら走れば菅井きんにぶつかる 10key

全身に水森亜土のイラストを纏ひて南カリフォルニアへ

恋人がある日おでんに見えてくるピカソ的にはそれで合つてる


みなさん、月曜日ですね。


2015/11/15

【句集をつくる】第3回 前とは違うものを

≫第2回 散歩のように
≫第1回 思いつく→始まる

過日、お名前は存じ上げていてようやくご挨拶の叶った佳人に拙句集『けむり』をお送りしたところ(雑談でその話になったのだ)、その礼状に「封を開けて取り出したブツから、けむりの匂い」とある。残部を置いてある部屋が私が喫煙する部屋でもあって、長年燻された結果、ページに煙の匂いが染み込んでしまったのだ。もう遅いかもしれないが、残部少量となったこの句集の保管場所を別の部屋に移すことにする。


というわけで、今回の句集企画の一手順として、前の句集(2011年)との関係を考えることにします。

まず頻度

前句集からあまり時間を隔てないで出すと、「えらいポコポコとたくさん句集を出す人だなあ」という印象を免れない。実際、そのパターン、ある。

では、どのくらい開ければいいのか。八田木枯さんはご自分の句集の間隔を「5年」とおっしゃっていた。調べてみると、年齢が行ってから初期の句を集めた『汗馬楽鈔』から最後の句集『鏡騒』まで1988年、1995年(2点)、1998年、2004年、2010年。22年間で6点。だいたいそのペースになっている。木枯さんを参考にするのはおこがましいが、5年経てば、次の句集を考えていい。それが目安になる。来年2016年以降なら、『けむり』から5年以上を経過することになり、まあ、それならいいか、と。

次に内容

これ、結論を言ってしまうと、前の句集『けむり』とはまったく違った感じにしたい。別に理由はない。強いて言うなら、「せっかく別の本なんだから」。

では、どう変えるか。

作る俳句は、そうそうがらりと変えられるものでもない。だから、「本のかたち」を変えることになる。

1 造本・装幀

『けむり』の造本・装幀は、こんなかんじ(↓)。見たことない人のために。
http://2.bp.blogspot.com/-0tDVAQcZp0g/Tw_CGrBOunI/AAAAAAAAHEI/o3yWlG5Gks4/s1600/kemuri02.jpg

かなり変則的。表紙がなく、中身を剝き出しにして、大きめの帯を巻いた。

変わった造本だったから、次の句集は「ふつう」な感じ、標準的なものにする、という手もあるが、そうではなく、『けむり』とは違う路線で変則的なもの。それがどんなものか、

ただ、具体的な部分はまだまったく固まっていない。それに、中身(句)が先で、そこから造本・装幀を考える、というのが筋というもの。

2 どんな句群?

『けむり』は、ある程度のトーンを決めて、句を拾い、そこにヘンなものを混ぜていった。なぜそうしたのか、いくつか理由があるが、割愛)。

今回は、前回なら拾わなかったような句を混ぜることにする。『けむり』に入れなかった句を入れることもあるはず。簡単にいえば、前回よりも暴れた感じ、傾いた感じ、バカな感じが出せれば、成功。

3 句数

『けむり』は300句強。標準か、それより少し多い。ここから大きく変えるとなると、半分以下(150句以下)か、倍以上(600句以上)。

2を理由に、後者を選択。

句がたくさん要るなあ。まだ拾ってもいないし、数えていないけれど、だいぶ足りなさそう。

4 構成

『けむり』は4章立てで、各章の中で季節順(ただし、春や新年から始まるとは限らない。例えば第1章はたしか夏に始まり春に終わる)。これはごく一般的で標準的な構成。

次の句集は、そこから大きく変える。いま考えているのは、5句から数十句単位の連作の集合にするスタイル。


以上、ざっくりだけれど、これでも自分の中ではだいぶイメージが固まってきている。


こういうふわっとしたことをあれこれ考えるのは、日曜日向きですね。

なんにもで言えることですが、プランを頭の中であれこれ練ったり捏ねたりしているうちが楽しい。出来上がったときよりも、まだかたちにならないプランの段階のほうが楽しいですよね。

誰彼となく、勧めてしまいそうです。「句集作りは楽しいよ! なに、出さなくてもいいんです。作っていくのが楽しいんだから」

(次回に続く)


イメージ映像。こんなふうな具体的な作業までは、
まだだいぶ時間がかかりそう。









■copycat

…という語は、これとは違う意味ですが。

ムクという名です(♀)。乗るのが好きな猫。冷蔵庫の上とか、何にでもいろいろ。

猫関係に疲れているのかもしれません。高いところに居たがるというのは。



2015/11/14

■電車の音 西村小市句集『乱雑な部屋』の一句

高架ゆく電車の音や花筏  西村小市

都会ではよく見る景。

視線は花筏に。したがって「音」なわけです。


掲句は西村小市句集『乱雑な部屋』(2015年11月1日/マルコボ.コム)


あとがきに「好きな本」として、バロン吉元『柔侠伝』が挙げられています。私も大好き。『昭和柔侠伝』『現代柔侠伝』も併せて。



2015/11/13

■勝手にデュエット 吉田戦車



人名句集『チャーリーさん』(2005年1月/私家版)。
ご本人の肉筆イラスト。宝物。


■ザ・スパイダースでいちばんは



昨晩、AMラジオで小西康陽がスパイダースの「結成50周年記念」特集。たくさん曲が流れて、甲州街道を走りながらほんと楽しい時間を過ごしました。へえ、こんなR&Bもやってたんですねえ、とか、いろいろ。

そんななかザ・スパイダースの「いちばん」はコレ。「あの時君は若かった」。多くのファンの意見が一致するだろう曲です。前奏(素晴らしい!)から鳴りっぱなしの12弦ギターの「あのとき」性。あまくせつなく、そして明るいです。


ついでに、当時(1975年)としてはおそろしく洗練されたバックトラックのコレも。



付言するに、「あの時~」は1968年。たった7年で、これだけの変わりよう、というか進歩、というか、音がまるで違う。1970年前後に、何かとんでもないことが起きたのかもしれません(スパイダースだけの話ではなく世界的に)。

この曲、演奏はタワー・オヴ・パワー。だからカッコいいのは当たり前なのですが、それにしてもね。1975年といえば、「Urban Renewal」の直後。そのアルバムからも1曲。

2015/11/12

■あをぞら 『オルガン』第3号の一句

逝く人へ秋晴そびえ立ちにけり  生駒大祐

荼毘の煙。そういうふうに具体的に解したら、いけないのかしらん。具体・抽象どちらかに限定するのではなく、「逝く人」から煙を併せてイメージしたい。

静謐で鮮やかな景。


掲句は『オルガン』第3号(2015年11月1日)より。

2015/11/11

■東京西郊の風景

住んでるとこを訊かれて、ざっくりと「東京」と答えようものなら(訊いた人が遠方という背景から、そう答えているのだが)、23区住みの人から、ツッコミが入ること必至なので、「東京西郊」と答えています。「多摩」とか言っても伝わらないし。


新堀(にいぼり)ギターは神奈川県藤沢市が本拠だそうですが。


2015/11/10

■ヘンな句を取り上げていただくのは、とてもうれしい。

旧聞に(とんでもなく旧聞に)属しますが、在庫(以前書いて保存しておいた記事)一掃処分中につき。



https://twitter.com/anata_omaeda/status/590260089342169090

https://twitter.com/anata_omaeda/status/590492540802961409

御前田あなたさんに感謝。

こんなヘンな句ばかりつくっているわけではありませんが、「こんな句つくっている」というのはね作者にとってのバリエーションなわけです。それは、句自体の成否にかかわらず、大事だと思っています。

本線以外を捨て去り、キャリアとして凸凹のないきれいなかたちにする。そういうツルンとした作者像は、一種の洗練かもしれませんが、そのやり方は、採りません。ヘンなものも出てきてオッケー。というか、自分で大歓迎。

だからってこともあって、ヘンテコリンな句に目を注いでもらえるのは、作者としてとてもうれしい。


なお、前者は、『川柳カード』誌に「川柳」として投句し、選者・小池正博さんに選んでいただけた句。後者は「俳句」として発表した句。

川柳か俳句か。それに悩んだり考え込んだりするのはやめました。週刊俳句のこちらにも書きましたが、 どっちでもいいや、と。


【追記】

こちらも↓↓↓
https://twitter.com/ogiharahiroyuki/status/591546741557633026

有名スタープレーヤーである荻原裕幸さんに取り上げていただくと、緊張しますね。サンダル履きで草野球をやってるところを、プロ野球選手に見られているようなかんじ。


なお、この句の出所はこちら、「灰から灰へ」:『週刊俳句』第338号 2013年10月13日
http://weekly-haiku.blogspot.jp/2013/10/10_13.html

この10句は、ヘンな句特集なのでありました。