2013/07/31

■あなたの見ているインターネットと私が見ているインターネットは、違う

当たり前すぎて忘れそうになるのだけれど、私が見ているインターネットとあなたが見ているインターネットは違うものだ。インターネットで何を見ているかは、全員がそれぞれ違う。

ある人にとってインターネットは遠い外国の情報がたくさんがあるところであり、またある人にとってインターネットは罵倒や憎悪に満ちた場所であり、またある人にとってインターネットは手軽な辞書・事典であり、またある人のインターネットには性器が溢れている。

(インターネットは、自分を映す鏡。おお、怖)

見ているものは、みんな違う。だから何かの折に「インターネットは……」と口にだすとき、それは常に「私が見ているインターネットは……」という意味を何パーセントか含んでいる(もちろんいちいち断りを入れる必要はないのですが)。ところが、どうもそれを忘れて語りがちのようなのです、私たちは。

(あなたが見ている世の中と私が見ている世の中は違う、というのと同じで、こんなことを言ってみてもしかたがない一方で、「違う」ということをまったく忘れてしまうと、これまたヘンなことになります)


ちなみに、『俳句』2013年8月号の座談会「超世代で語る俳句のスタンス」でも、インターネットの話題がちょこちょこ出ています。インターネット全般を語るような内容がとても多い。みなさん、よほどよくインターネットをご覧になっていて一般化できるほどに通暁していらっしゃる、ということは考えにくいので、上記のような誤解、つまり「みんながインターネットで同じものを見て、同じような体験をしている」という大きな誤解があるのかもしれません。



【過去記事】
2009年12月 現代俳句協会青年部勉強会「俳人とインターネット」 レポート

後篇より 「週刊俳句は、インターネット的ではない」

前篇より

0 件のコメント: