2012/08/08

シロウトとクロウト

「モンスターシロウト」というネーミングが素敵な《山田耕司・俳句時評 第60回 道化のワダチ》 。
「気の利いたことを言え」というのは、シロウトぶりの深刻度合いとはほぼ関係なく、たいてい無分別に投げかけられると言っていい。/俳人には、そういうチョッカイを出しやすいのである。/俳人が出してきた「気の利いたこと」は、シロウトでもチェックしやすい。五・七・五であり、季語というものがはいっていればよいということを学校で習ったのである。
なるほどです。こうしたチョッカイは「クロウト」と思っていない証拠であります。同時に、山田さんから「モンスターシロウト」と呼ばれた人(たち)は、自身を「シロウト」と見ていない(範疇化していない)。いないからこそのセリフ。してみると、シロウト・クロウトの二項(あるいは範疇)は、俳句世間の側だけに存在するもので、一般には、そんなものはないのかもしれません。


私は俳句世間にいるわけですが、俳句の「クロウト」の存在について、あまり確証が得られない。簡単にいえば「そんなの、いないんじゃあないの?」。まあ、何をクロウトというかが問題ではあるのですが。


それはそれとして、リアルな現場における「はい、ここで一句」というリクエストには、


といった対応がベストの部類かと。

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