2009/11/05

レヴィ=ストロースの死

10月30日に死んだそうだ。「まだ生きていたのか?」が正直な感想だが、100歳(!)。

11月1日、句会後の与太話のなかに、なぜかレヴィ=ストロースの話も出てきた(訃報はまだ知らなかったはずなのに)。どんな話題かといえば、『悲しき熱帯』の話。とりわけ上巻は極上の旅行文学。人類学(民族学)に興味のない人でも興奮しながら読める(川田順造訳・中公版がよい。講談社版「悲しき南回帰線』は翻訳が異様というか拙くて読んでいられない)。

最初にレヴィ=ストロースを読んだのは、ジョルジュ・シャルボニエ『レヴィ=ストロースとの対話』(みすず書房1970)。著作ではなくインタビュー本というところが変則。まだ20代前半(ニュー・アカデミズム流行時代のさなか、だったような)で、その手の素養も思考スタイルも身についていない私にも平易でわかりやすく、魅力的な語り口だった(翻訳だけど「語り口」を確かに感じたのだ)。

その本の内容でいまでも印象的に憶えているのは、現代西欧社会を蒸気機関に、いわゆる「未開」社会を精緻な時計に譬えて対照させた箇所。大袈裟にいえば、「相対化」ということが「常に為されるべき作業・一過程」として自分の中にしっかりと据え付けられた瞬間だったように思う。

(いま『レヴィ=ストロースとの対話』を調べてみると、翻訳がなんと多田 智満子(!)。他著作のほとんどは人類学者によるものだから、多田 智満子訳レヴィ=ストロースはおそらく唯一。そのときは知らずに読んでいたが、最初の出会いに多田 智満子訳で読めたとは、なんという幸せだろう)

その後、翻訳ばかり相当数を読んだが、大部の「神話論理」シリーズ翻訳刊行が始まるはるか以前に、自分の読書領域からは外れた。



大理論(グランド・セオリー)に向かうレヴィ=ストロースの仕事は、民族誌的事実からの反証を「例外」と片づけがちで、人類学/民族学全般からその点を批判する声も多かったが、正確で破綻の少ない中理論(ミドルレンジ・セオリー)よりも、少々乱暴でも大理論のほうが夢がある。

学問的知識に乏しく好奇心旺盛な末端の読者(例えば私)にまで夢を与える、スターのような存在。それがレヴィ=ストロースだったような気がする(専門家にしてみれば、噴飯物のねじ曲がった捉え方かもしれないことは承知しつつ)。


追記
●小田亮による追悼文 http://d.hatena.ne.jp/oda-makoto/20091104#1257337628
構想主義の「構造」の意味は、これでもまだ伝わらないと思うが(誤解のきわめて多い概念。ろくすっぽ読まずに想像で「構造」を口にする人がいかに多いかの証左)、コンパクトで、びしっとした追悼文。

●内田樹による追悼文 http://blog.tatsuru.com/2009/11/04_1227.php
パリのアカデミー(知の世間)とレヴィ=ストロースの(想像上の)回顧。パリじゃなくニューヨークだよん、という上記・小田亮の指摘と重ねると興趣。

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