2008/09/22

ビリーバー

成人の何割か、かなりの割合の人が「幽霊の存在」を信じている、という記事を読んだことがある。数字は憶えていない。アメリカでのある調査では4割が信じているそうだ(註1)。「信じない」もほぼ同数で、あとの2割は「わからない」。

「幽霊」と「Ghost」とは同じではないし、日本とアメリカでは宗教観も違うが、4割対4割で「信じる」「信じない」が拮抗するという結果は、日本の調査でも、そう変わらなさそうだ。自分がむかし見たのも、そのあたりの数字だったような気がする。

教育とは、国家にとっては投資、それも最重要な投資である。成人の4割が幽霊の存在を信じているこの状態は、投資的観点からは、とりわけ理科教育部門で「失敗」ということにもなろう。だが、どの人間も効率の良い機械に育ってくれるわけではない。それに生物学の先生が、幽霊を信じているということだってあるかもしれない。

それにしても4割は多い(アメリカの場合だけど)と思う人が多いだろう。しかし、この「信じる」ということ、なかなか一筋縄では行かない。「信じる」という行為の中に、いくつもの層があったり、概念的なデコボコがあったりする。

例えば、幽霊の存在を信じている人が空き巣被害に遭い、交番に届ける。お巡りさんから、「犯人については、人間と幽霊、両方の可能性を視野に入れて捜査します」と言われたら、いくら幽霊を信じていても、「はい、よろしくお願いします」となるはずがない。

あるいは推理小説。最後まで読んで、「犯人は幽霊。だから密室殺人も可能だった」という結末だったら、幽霊の存在を信じている読者であっても、「なるほど、幽霊だったのか。やっぱりな」とはならない。本を投げ捨てるだろう。

「信じる」は、そう簡単に割り切れるものでない。幽霊を信じている人も、「幽霊が存在しないという(社会の)前提」を理解している。

いずれにせよ、幽霊を信じる・信じないなどという個人の思い・表明が、それほど深刻な事態を招くことは少ない。宗教が「麻薬」なら、オカルト信仰もその亜種。けれども、人間全体としては、合法ドラッグとしての宗教や他人に迷惑をかけない範囲のオカルト信仰も必要なのだろう。

ただし、タチが悪く、実害を及ぼしそうな「信仰」もある。

この記事↓↓↓
関東地区公立小・中学校女性校長会 ;kikulog

「水からの伝言」の著者・江本勝なる人物の講演を、公立小中学校の女性校長たちが企画しているというもの(「女性校長会」というものがすでに愚劣臭ぷんぷんなわけですが)。

信じてしまう人のことを「ビリーバー」と呼ぶそうだ。これはもちろん自称ではなく、「信仰」の外にいて、それを問題視する側からの命名。

「水からの伝言」という疑似科学/オカルトが、道徳教育のツールとして学校に持ち込まれている事態についてはずいぶん前から問題視されている。ガッコの先生にも「ビリーバー」がいて当然だが、それが大手を振って、オカルト事業を振興あるいは後押しするとなると、話は別。問題でないわけがない。

ていうか、さっきの投資ということでいえば、国か何か知らないが、この校長先生たちに、「おめえら、なーに、やってんだよ。仕事しろ」ときちんと言うべき筋合いのことだろう。

幽霊の存在を4割の国民が信じていたってかまわないが、こういう教師が学校にいてもらっては困る。社会に実害が出るざんす。



(註1)社会集団別の数字も出ている。
全体40%(信じない39%)・男性33%・女性46%・高卒以下50%・大卒32%・大学院卒22%

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